No.1-5 灰色の希望
「いやぁ、丁度ええ所に置いてあったから、タオルと間違えてもうたんよ」
「……」
「でも! 洗濯はしてあったから、セーフセーフ!」
一体、なにがセーフなんだ。
叶うことなら、僕も今すぐ、さっきの記憶だけを忘却したい。
「さぁー! 気を取り直して、善は急げや」
こちらの呆れなど素知らぬ顔で、名医が机の薬瓶へ手を伸ばす。
……まぁ、確かに、今は時間が惜しい。
パンツで涙を拭った事実より、妹の薬のほうが、ずっと大切だ。
僕にも何か出来ることはないかと、さっきの医学書を思い出す。
「それじゃあ僕は、この本の薬草を探せばいいですか?」
「お、手伝うてくれるん? ほな、自分はこの薬草、探してくれるか?」
「了解です」
医学書の右上を指さされ、ページに書かれた薬草の名前を確かめる。
見慣れないその名を、頭の中で繰り返す。
「壁付けの麻袋は全部粉薬やから、あっちに置いてあるのを探したってな」
「分かりました」
「あ、そこの机の瓶に入っとる薬品は、触らんとってな。鼻もげるで」
「……はい?」
「鼻、もげるんよ」
「……はい」
うん。深く聞くのは、やめておこう。
言われた瓶に目をやると、中身は濁った液体で、確かに、まともな代物には見えなかった。
そうして医学書を片手に、麻袋の山へと向かう。
「うわぁ…」
見上げるほどの麻袋の山に、思わず声が漏れる。
軽く探せば見つかると思っていたけれど、考えが甘かったらしい。
「……よし」
小さく息を吐いて、近くの麻袋に手を伸ばす。
書かれた名前を目で追い、違えば次へ。また違う。その次も、違う。
屈んで、背伸びして、山を崩さないよう一袋ずつ。腕が重くなってきた頃、ようやく。
「あった、これ……!」
重たい袋を抱え寄せ、医学書のページと見比べる。
うん、これだ。間違いない。
「名医さん、ありましたよ……!」
見つけた袋を掲げて振り返る。
けれど名医は、こちらの声など耳に入っていない様子で、別の袋を手に、困ったような顔をしていた。
「ない」
「へ」
「ヒカゲシズクちゃんが…ない…」
そう言って袋を逆さに振る。
はらりと舞い落ちたのは、枯れて縮れた葉が、たった一枚きりだった。
「え!! ひょっとして材料が、ないんですか…!?」
声を上げても、名医は顎に手を添えたまま、じっと考え込んでいる。
「いや…待ち、ヒカゲシズクちゃん……最近採取した、ってどっかで見た気が……」
「本当ですか…!?」
「そう、紅茶淹れた時……メモ帳があってな、それに書いてあって……」
独り言を呟きながら、彼はふらりと、部屋の隅の台所へ向かっていく。
そして一冊のノートを手にすると、ぱたぱたと駆け足で戻ってきた。
「ほら! あったで! 見てみ!」
「えっと……その、字が……特徴的で、読めません」
開かれたノートには、勢いのまま走ったような文字が、びっしりと並んでいた。
まるで子どもの落書きで、ぱっと見ではとても読めたものじゃない。
「な、な、なんやて! 失礼な奴やな!」
その返事に、名医がむっと頬を膨らませる。
抗議のつもりなんだろうけど、小動物が頬に餌を溜め込んでいるようにしか見えない。
「ほら、それよりヒカゲシズク? でしたっけ。採取、してました?」
癖だらけの文字について語り合っていても、埒が明かない。
話が逸れたままではいけないと、半ば強引に本題へ引き戻す。
「んんんんー……あ! 二日前に、ヒカゲシズクちゃん見つけとる!」
「良かった……!」
ほっと胸を撫で下ろす。
それから、ずっと気になっていたことを尋ねた。
「その薬草、どこに保管してるんですか?」
「えーと、あっちの部屋に、袋でまとめてあるみたいや!」
名医が、隣の部屋へ続く扉を押し開く。
背中を追って、足を踏み入れた途端──こもっていた焦げた匂いが、鼻先をかすめた。
ふと、前を行く足が止まった。
「あ」
視線の先にあったのは、原形を留めていない麻袋。
あの爆発に巻き込まれたのか、黒く焦げた薬草が、見るも無惨に散らばっていた。
「もしかして…!」
「もしかすると、そうやね」
「これじゃあ……作れないってことですか」
「…まぁ、これだけ焦げてもうたらなぁ」
作れない。
たった一つの希望だった薬が、この焦げた草と一緒に、消えてしまった。
頭の中が、すっと冷えていく。
それじゃあ、妹は──助からない、ってことか。
立っているのもやっとで、その場に崩れそうになった、その時。
「何辛気臭い顔しとるんよ」
「でも」
ふいに落ちてきた声に、顔を上げる。
「諦めるんは、患者が死んだ時だけやで」
焦げた葉を指でつまみ上げる、その横顔に。
さっきまでのポンコツの面影は、どこにもなかった。




