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No.2-13 帰結

「……ッ、つっかれ……た」


 肺が、燃えていた。

 吸っても吸っても、足りない。

 全身の打ち身が、今ごろになって、じわじわと熱を持ちはじめた。


「あー…酷い目にあった」


 崩れた診療所が、すぐ背後で、夜にぽっかりと口を開けている。

 抉れた壁も、砕けた窓枠も、さっきまでの騒ぎが確かにあったことだけを、無言で語っていた。


 ──そうだ。あいつ。

 早く、あいつの元へ戻らないと──。


 そう思って踏み出しかけた足が、止まる。


「……ぁ……だ……わた、し、は……」


 レベッカが地面を、震える指で掻いた。

 土に爪を立てて、伸びきった体を、引きずろうとしている。


「うわ、まだ動けんのかよ」


 まるで、ゴキブリみたいな生命力だな。

 仕留めたと思ったのに、本当に往生際の悪い。


「大人しく、縄につけよ」


 ひとつ息を吐いて、地に伏せたそいつを見下ろす。


「──…なんだ?」


 首の動脈が、大きく脈打った。

 注射の痕を中心に、皮膚の下で何かがぐねりとうねって──ふつ、と、沈む。


「え……、ぁ……これ……私の、体……っ」


 直後、レベッカの肌から、艶が、抜けていく。

 浮いていた血管が、しぼんで沈む。滑らかだった皮膚に、細いひびが、いくつも走った。

 指が、骨の形を浮かせて反り返り、しなやかだった腕は、枯れ枝みたいに痩せ細っていく。


「いやぁ……! いやよ、こんな……っ」


 骨の軋む音を立てて、レベッカが這う。

 もつれる足を引きずって、空き地の先──木立の奥へと、転がるように逃げていった。


「っ、待て!」


 その時。

 俺の目が、見覚えのある輪郭を捉えた。


「───ッ」


 人を喰う植物の影。


 しかも、一つじゃない。

 いくつもの影が、誘うように、ゆらりと身じろぎした。


「おい…!!!! 止まれ……っ!!!」


 地を蹴って、後を追おうとする。

 だが、踏み出した一歩で、刺された足が悲鳴をあげた。

 戦いの熱が引いた今になって、太腿の傷が、ようやく本気で痛みを思い出したらしい。


「みないで……みないで! わたしを、見るな゛あ゛ぁ……っ」


 老いさらばえた姿を晒す屈辱だけが、彼女を闇へと押しやっていく。


「違ぇ……っ!! そっちは──」


 制止の声は、届かない。

 木立の奥へ、痩せた背中が、完全に呑み込まれていった。


「ッ、あ…いやっ、なに、これ──!」


 葉が、ざわめく。

 あの時と、同じ音だ。

 それに混じって、何かが、ねっとりと湿った音を立てた。


「ぎ、ぁ……っ、たすけ……ッ」


 くぐもったレベッカの悲鳴が劈く。


 ぶつり。


 肉を裂いて、引き千切る音。

 幾本もの蔓が、獲物を奪い合うように、めいめいの方へ引きずり込んでいく。


 その音までも、俺の耳は、律儀に拾った。


 やがて、それも収まって。

 あとには、葉擦れだけが、夜の底に、ぽつんと残った。



*.



「っ…はぁ」


 張り詰めていたものが、ぷつりと切れて、全身から力が抜ける。

 地面の冷たさが、尻から這い上がってくる。心臓だけが、まだ早鐘を打ち続けていた。


「くっそ最悪な、気分……─っいて」


 ちりっ、と。

 右目の奥が、痛んだ。

 さっき顔に叩きつけられた砂が、まだ瞼の裏に残っているらしい。


「いってぇ…くっそ、右目が…」


 瞬きで押し出そうとすると、滲んだ涙が、頬を伝って落ちていく。

 ふと、すぐ近くで、声がした。


「──え」


 弾かれたように、顔を上げる。


 壊れた窓の縁に、あいつが、もたれかかるようにして立っていたのだ。

 その懐から、ことり、と、何かが滑り落ちた。

 地面に当たって、硬い音を立てて割れる。


「お前……っ」


 無事だったのか。

 なんで、どうしてそこにいる。

 溢れる言葉は、どれも形にならないまま、喉の奥につかえて止まる。


 痛む体を引きずるように、立ち上がる。

 ふらつく足で、それでも、あいつの方へ歩み寄ろうとして──。


 その視線が、まっすぐ、こっちに注がれていることに、気づいた。



 俺の、顔に。


「──その目」


 晒したままの、忌まわしい左目に。

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