No.2-11 名医 対 ヤブ医者
ヤブ医者の指が、引き金にかかる。
撃つ──そう思った瞬間には、もうレベッカが動いていた。
床に沈んでいた男の襟首を掴み上げ、己の前へ引きずり出す。
血を流したまま呻く体を盾にしたかと思えば、そのまま、こちらへ思いきり突き飛ばした。
「うわッ…!!?」
血まみれの男が、二人まとめて押し潰すように倒れ込んでくる。
「お、おも…!!」
「ちょ! 踏ん張れや!」
ナイフを握った手では受けきれず、空いた腕で抱え止めた。
隣のヤブ医者も、拳銃を持ったまま男の肩にしがみつく。
「──…っ?」
男の頭の向こう。
その隙間から、レベッカが己の腕へ、注射器を突き立てているのが見えた。
なんだ、今の。
呻く男を押しのけた、その瞬間。
レベッカの足が跳ね上がり、ヤブ医者の手首を蹴り飛ばす。
「ぉふあ!?」
弾かれた拳銃が宙を舞い、床を滑っていく。
間の抜けた声を上げながら、ヤブ医者が後ろへよろける。
「んぎゃっ!!!」
立て直す間もなかった。
翻ったレベッカの足が、その胴を蹴り抜く。
壁際の瓦礫まで一息に吹き飛んで、鈍い音を立てて沈む。
「隙だらけね」
冷えた声が、すぐ耳元にあった。
「ッ、はや……っ」
顔を戻したときには、もう蹴りが来ていた。
反射的にナイフの腹で受ける。だが、勢いまでは殺しきれない。
肘ごと押し込まれて、足の裏が床を擦った。
重い。
ただの蹴りじゃない。人を壊し慣れた一撃だ。
「ふふふ、あんまり傷は付けたくないけど仕方ないわね」
勢いづいた足をそのまま軸に、レベッカが体を捻ると、二発目が左から首を狙って飛んできた。
「っ、ぶねぇ!」
反応がわずかに遅れ、頭を引いて紙一重で躱す。
風が、頬のすぐ前を薙いでいった。
その反動で崩れた間合いへ、踏み込もうとした。
「──遅いって」
先に、レベッカの膝が跳ね上がる。
鳩尾へ、深々と突き上がった。
「ぐ、ぁ……っ!」
息が、止まる。
壁まで突き飛ばされて、背中で硝子の山を砕いた。
医者の蹴りかよ、これが。
「私、こういう泥臭いの、好きじゃないの」
白衣の裾を払って、レベッカが一歩近づいてくる。
「さっさと、肉塊になってくれる?」
「……っぐ」
その時、壁際に転がされていたヤブ医者が、ふらりと体を起こした。
頭から流れた血で顔半分を濡らしたまま、瓦礫の中から薬瓶を一本掴み上げた。
「誰が肉塊になるか、あほ」
迷いのない手つきで振りかぶり、レベッカめがけて瓶を放つ。
「──無駄よ」
レベッカが瓶を払い落とす。
硝子が砕けた、その一瞬。腕がふさがったその脇へ、俺は踏み込んでいた。
「ッらあ!!!」
がら空きの脇腹へ、刃を薙ぐ。
確かな手応えが、柄を握る手に返ってくる。
「ぐ……ッ!?」
初めて、レベッカの体が大きく崩れた。
「寝とけ!!!」
鋭い回し蹴りが、レベッカの側頭部を捉える。
骨に響く、重い感触。
「え」
ぐ、り。
その首が、ぐるりと回った。
蹴りの衝撃を、受け流すように。いや──追いかけるように。
あり得ない方向まで捻じれた首の上で、レベッカの目だけが、こちらを見ていた。
次の瞬間、咄嗟に庇った腕ごと、蹴り飛ばされる。
「が、っ!?」
受け身も取れずに転がった先で、何か柔らかいものにぶつかって、止まった。
「んぎゃあっ!?」
吹き飛んだ先に、運悪くあいつがいたのだ。
巻き込んで、二人して床へ崩れ落ちる。
「いてて…あ、すまん」
「すまんで済むか!!!」
「うるせぇ、文句は後にしろ!!」
悪態を投げ合いながら、二人、同時に地を蹴った。
「鬱陶しいわね…!!」
伸びてきた蹴りを、刃の腹でいなす。
軌道を逸らされたレベッカの体勢が、わずかに開いた。
その背後から、低く駆けてきたあいつが──俺の肩を、踏み台にした。
「ちょお、肩借りるで!」
「ッ、おま……!」
ぐっと重みが乗ったかと思えば、もう抜けている。
跳び上がったあいつの足が、宙からレベッカの頭部めがけて振り抜かれた。
「甘いわ」
だが、捉えたと思った蹴りは、躱される。
レベッカが半身を引いて、空を切ったあいつが背後へ着地した。
でも、その半身。
軸足が、こっちに残ってる。
「ッ、もらった!」
床を擦るように踏み込んで、その軸足を払う。
ぐらり、とレベッカの体が傾いだ。
「きゃっ!?」
体勢を崩した懐へ、着地し直したあいつが飛び込む。
「しまいや!!!」
軽口とは裏腹の、容赦のない蹴りが、その脇腹を撃ち抜いた。
くぐもった呻きが漏れる。折れ曲がった体が、勢いのまま後ろへ流れていく。
吹き飛んだレベッカが、診察台の縁へ叩きつけられた。
金具が派手な音を立てて、ひしゃげる。
それきり、部屋が静まり返った。
「……終わった、か?」
倒れたまま、動かない。
けど、こいつが素直に気絶してくれるとは思えない。
「縛っとこ。さっきの手錠、まだそこらに転がっとるやろ」
「言われなくても」
隣であいつも、膝に手をつきながら腰を上げる。
俺を縛っていた拘束具を拾おうと、一歩、踏み出した。
その時。
「あ゛ー……最ッ悪」
ひしゃげた診察台の上で、レベッカが気怠げに身を起こした。
白衣の内側へ、しなやかに指が伸びる。
取り出されたのは、三本の注射器だった。
「もう、いらないわ」
振り上げた手が、己の首筋へ、針を打ち込んだ。
「な……!?」
ぐ、と最後の一本を押し込まれた直後、レベッカの体が、ぶわりと張り詰めた。
首筋から腕へ、血管が浮き上がる。瞳が、限界まで見開かれる。
「ふふ、ふ……──」
まずい。
うなじから背筋へ、ぞわりと鳥肌が駆け上がる。反射的に、距離を取って身構える。
「ッ」
声になるより早く、影が消えた。
「がぁッ!?」
気がつくと、脇腹に拳がめり込んでいて。
ガードした腕が、衝撃で痺れて感覚を失う。床を二度跳ねて、診察台の脚に背を打ちつけ、ようやく止まった。
なんだ、今の。
「──っんぎゃ!!!」
あいつの体も、横ざまに蹴り飛ばされて、瓦礫の山へ突っ込んでいく。
「あはっ、もう終わり?」
弾むような足取りで、レベッカが歩み寄ってくる。
見開かれた目の奥が、ぎらぎらと濡れて、もう、まともじゃない。
そして、その視線が、ふいに横へ流れた。
「あなた」
瓦礫に埋もれて動かない、ヤブ医者の方へ。
「さっき、よくも私の邪魔をしてくれたわね」
床に落ちていた拳銃を拾い上げると、持ち上げた銃口が、あいつのほうを向いた。
「ま──」
待て。待て。待て。
やめろ。
やめろ!!!!
──パァン!
乾いた音が、鼓膜を裂いた。
あいつの体が、内側から弾かれたみたいに跳ねる。
「───あ…ぅ」
まるで、スローモーションみたいだった。
力の抜けた体が、ゆっくり倒れ込んでいく。
いつもへらへら笑っていた顔が、今は何の表情も浮かべないまま、瓦礫の上に沈んでいった。
「んふふふ、あはぁ」
その光景に、レベッカがうっとりと喉を鳴らす。
崩れ落ちたあいつの体に、なおも銃口を向け直す。
「やめろ!!!」
握っていたナイフを、力任せに投げ放つ。
刃は、銃身へ深々と突き立った。撃鉄が嚙んで、弾けるような音が、ぴたりと止む。
「……っ、なにするのよ」
レベッカが、銃身に刺さったナイフを引き抜き、拳銃を舌打ち混じりに放り捨てた。
その隙に、俺は倒れたヤブ医者の元へ転がり込む。
「しっかりしろ!! ヤブ医者!!!」
「……─ぃ、…っ」
痛む体を引きずって、抱え起こす。
腕の中で、浅い呼吸が、かすかに胸を上下させていた。
「ッてめぇ……絶対許さねぇ…!」
絞り出した声が、掠れて震えた。
噛みしめた歯の隙間に、また鉄の味が滲む。心臓が脈打つたび、煮えた血が肋骨の内側を焼いて、喉元までせり上がってくる。
「あら。生きてるの? 残念」
くすくす笑いの混じった声が、降ってきた。
「そうだ! いいこと思いついたわ!」
名案でも閃いたように、レベッカが声を弾ませる。
言い終わるより早く、襟をぐっと掴み上げられていた。
「ぐ、っ…!」
抱えていたヤブ医者の体が、腕から引き剥がされる。
抵抗する間もなく、そのまま壊れた窓の方へ、力任せに放り投げられた。
「ッ、が……!!?」
砕けた窓枠を突き破って、外へ転がり出る。
硝子の破片と一緒に、湿った地面へ叩きつけられた。背中が、夜の冷たい土を擦る。
「──先に、あなたから殺しましょう!」
乱れもしない足取りで、レベッカが空き地へ降り立つ。
まっすぐ、こちらへ歩いてくる。
「な、にを……」
地面に爪を立て、どうにか身を起こそうとする。
その背後、壊れた窓の向こうに、動かないヤブ医者の影が見えた。
彼女の唇の端が、にぃ、と吊り上がる。
「──あの医者の前に、冷たくなったあなたを転がすのよ」




