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No.2-8 瞳

「は」


 カチャン。


 両の手首で、硬い音が同時に鳴った。

 反射的に目を落とすと、肘掛けの金具へ、左右の腕がまとめて回り込まれている。

 遅れて、その輪が、ぎち、と両手首へ食い込んだ。


「え」


 いつの間に。

 咄嗟に引いても、肘掛けに腕を縫い留められたまま、びくともしない。

 状況を呑み込むより先に、奥の扉が軋みながら開いた。


「いひひ、待ちくたびれましたよぉ」


 奥の闇から、男が二人。下卑た笑い声をこぼしながら、身を屈めて出てきた。


「なッ、やめろ!!! 触んじゃねぇ!!」


 男たちが、暴れる両脚へ覆い被さってきた。

 太腿を上から圧し潰すように押さえ込まれ、関節が嫌な音を立てる。


「いひひ、暴れんなって。傷モンになっちまうだろぉ?」


 舐めるような視線が、頭の先から爪先まで、ねっとりと這う。

 ぞわりと、肌が粟立つ。


「ッ、触んな……!」


 革帯が足首へ巻きつき、容赦なく締め上げられる。

 もがけばもがくほど、食い込む。肉に、骨に。


「ほぉら、もう逃げらんねぇ。じっくり可愛がってやるからよ」

「上玉じゃねぇか、久々の当たりだ」


 奥に潜んでいたのは、この男たちだ。

 逃げ出したくても、手錠が手首を縫い留めて離さない。


「本当…久々だわ」


 レベッカの声が、すぐ傍から降ってくる。


「最近、お前たちが金になる薬草を持ってこないんだもの」


 長い髪を、指先がひと筋すくい上げる。

 ゆっくりと耳へ流しながら、爪の先だけが、苛立たしげに毛先を弾いた。


「す、すいやせん、ここらの森のはもう、根こそぎ採り尽くしちまって」


 さっきまで舌なめずりしていた男の声が、今は喉の奥へ引っ込んでいる。

 その縮こまりようを、レベッカは微笑んだまま眺めて、天井を指で示した。


「上にも、もう一人いる。連れてきて」


 二階。あいつのいる方へ──。


 レベッカが棚から細身の銃を二挺取り出し、男たちへ放った。


「麻酔銃よ。眠らせるだけにしなさい」

「いひひ、かしこまりましたぁ」

「…了解した」


 男たちが踵を返して、部屋から出て行く。

 重たい足音が、ぎし、ぎし、と階段を踏み、少しずつ遠ざかっていった。


「おい! 待てよ!!」


 咄嗟に身を捩る。だが、手錠が肉へ食い込むだけだ。

 手錠の留め具、椅子の脚、閉ざされた窓。逃げ道を探して、視線が泳ぐ。

 どうにかしないと。早く。早く。


「無駄よ」


 二人きりになった途端、レベッカの口元が、にぃ、と吊り上がって、こちらに近づいて来た。


「貴方はここで、綺麗に売り物にされるの」


 細い指が、俺の顎を掴んで持ち上げる。

 唇に笑みを湛えたまま、右目に吸いついた視線は、値踏みする商人のそれだ。


「両目揃ってたら、もっと良かったのに」


 ちらり、と眼帯へ視線が流れた。ほんの一瞬。

 だが、興味はすぐに失せ、鼻で小さく笑って逸らされた。


「本当、使い物にならない目」


 頭の奥で、何かがぶつりと音を立てた。

 拘束された手足が軋むのも構わず、身を乗り出して食ってかかった。


「ッざけんな!! 俺の目、治してくれるって──」


 言い終わるより早く、頬に火が走った。

 平手だ。乾いた音が、頭の芯まで突き抜ける。

 首が嫌な角度に流れて、口の中に、じわりと鉄の味が滲んだ。


「うるさい」

「ぁ、ぐ……っ!」


 布が、奥まで押し込まれる。

 舌が圧し潰され、唾液と布の乾いた繊維が、喉の奥にへばりついた。


「んふふ、ふふ──生まれつき、瞳の病、ねぇ」


 長い指が頬の輪郭をなぞり、その爪先が、皮膚に細い筋を残していく。

 虫唾が走る。振り払いたいのに、手錠が鳴るだけ。

 首を振って顔を背けると、その動きすら愉しむように、彼女は喉で笑った。


 ぐ、と顔を近づけて、彼女は囁いた。


「貴方の目は──治らないわよ」


 なにを。


 言ってるんだ。


「医薬局では、先天性の瞳の異常に、回復の報告は一つもない」


 聞きたくない。やめろ。


「瞳というのはね、それほど繊細なものなの。産まれ持った病は、どう手を尽くしても変えられない」

「──っ」

「残念ね。──治ると思って、生きてきたの?」


 くすり、と憐れむように、レベッカが目を細める。


「可哀想に。その時間ぜんぶ、無駄だったのにね」


 頭が、真っ白になった。

 俺が縋ってきた日々を、こいつは、たった一言で無に変えた。


 俺の、この目は──。


「そんな体で産んだ母親を、恨みなさい」


 瞬間。握りしめた拳の中で、爪が掌に食い込んでいた。


「ぐ、ぅぅ──ッ!! ぐぅう!!!!」


 猿轡の奥から、言葉にならない咆哮が噴き出す。

 拘束ごと椅子を揺すり、革帯へ全体重を叩きつける。手首と足首が、悲鳴をあげた。

 肉が裂けようが、骨が軋もうが、構うものか。


「ふふ」


 衣擦れの音とともに、机から何かを掴み上げる。

 硬質な光が一閃、俺の太腿へ振り下ろされた。


「ッ!!? ぁぅう、うぐ…!!!」


 焼けた鉄を突き立てられたような熱が、脚の奥で爆ぜた。


「もういいわ。いつも通り捌いて──跡形もなく、溶けて消える」


 太腿に刺さったままのメスを、レベッカが無造作に引き抜いた。

 肉を擦って抜ける刃の感触に、脚の奥が引き攣れる。

 ぞろりと、熱い血が傷口から溢れ出すのが分かった。


「あぁ…でも、良かったわね」


 血に濡れた刃が、ゆっくりと持ち上がる。

 その切っ先が、俺の右目のすぐ下で、ぴたりと止まった。

 まばたきすら、できない。


 彼女は、花がほどけるみたいに微笑んだ。


「──ほんの一瞬でも、治るかもしれないって、夢は見られたんだから」


 刃が、振り上げられる。


 逃げ場のない右目めがけて、一直線に落ちてくる。

 拘束された体は、その切っ先を、ただ待つしか出来なくて。


 刺される──。



 その時だった。



 ミシ……ミシッ……!


 頭の上で、何かが軋んだ。

 落ちてきた切っ先が、右目の眼前で、ぴたりと止まる。


 睫毛が触れそうな距離。

 刃の冷たさが、肌の産毛まで伝ってくる。


「なに…?」


 天井から、細かな埃がぱらぱらと降ってくる。

 レベッカの顎が、訝しげに上を向いた。


 足音だ。誰かが、二階を走ってる?


 いや──足音にしては、音が、おかしい。


 まさか。


 猿轡の奥で、息を呑む。


 次の瞬間。



 ───ゴシャァァァアアン!!!



 頭上の天井が、シャンデリアと共に、丸ごと崩れ落ちてきた。

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