No.2-3 珈琲様と紅茶ちゃん
「こいつと同じサンドイッチのセット一つ」
「帰れ」
「紅茶は甘いやつをお願いするわ」
「お願いすんな、頼むから」
二度と会うことは無い。
確かにそう言ったのに、こいつは何食わぬ顔で、俺の真向かいの椅子へ腰を下ろしていた。
狭いテーブルを挟んで、目と鼻の先。店員が水の入ったグラスを二つ、卓へ並べていく。
「あの…相席でよろしかったですか?」
「よろしいですわ、俺はこいつと一緒に座るわ」
よろしくねぇよ。
どうしてこうなってんだ。
街に入ってすぐ診療所へ向かえば、扉は固く閉ざされていた。
看板を見ると、今日は午後からしか開いていないときた。本当にツイていない。
なら先に腹ごしらえだと入ったこのカフェは、昼前だというのにほぼ満席で。
どうにか席にありつき、一息ついたところだったのに。
「帰れ」
危険植物の体液まみれだった男。どうやら着替えたらしい。
明かりを照り返す、見慣れない仕立ての上着姿で、当然みたいな顔で俺の向かいに座ってきたのだ。
「相席すんな」
「しゃあないやん、席が満席なんやから」
「別の店行けよ!」
「ここで会ったが百年目っていうやん」
「ッ言わねぇよ!」
敵討ちの台詞だし、仮に恩人に言うものでもない。
威嚇のつもりで睨みを利かせても、こいつには何の効果もなし。
それどころか、食後のデザートは食べるかと、メニュー表に目を奪われている始末だ。
そんな俺たちのやり取りに、店員がくすくすと笑いをこぼす。
居心地の悪さに、俺は短く息を吐いた。
「それじゃあ、サンドイッチのセット二つ、珈琲と紅茶で、ご用意しますね」
「はぁ…、おねーさん、俺の珈琲、ミルク付けて」
「かしこまりました」
さっさと食って、さっさと出る。こいつといるとロクなことがない。
「それではごゆっくりどうぞ」
メニューを書き留めた店員が、店の奥へ引っ込んでいく。
その背を見送っていると、向かいの椅子がかたりと鳴った。
「いやぁ、恩人の顔、忘れんで済んで助かったわ」
「…?」
意味の分からないことを言いながら、ふっと目を細めると──探るような視線が、眼帯の上をなぞった。
「なぁ、眼帯の左目、痛むんか?」
「……人のプライバシーをそんな軽々しく聞くんじゃねぇよ」
突き放すように言い捨てる。
だがこいつは引き下がるどころか、ゆるく首を横に振った。
「ほっとけへんのよ」
「ほっとけ、余計なお世話だっつーの」
さっき助けられた恩でも感じて、この目を何とかしてやろうってつもりなら、いい迷惑だ。
頼んでもいない親切で、人の問題に土足で踏み込んでくる。
腹の底がじりっと熱を持って、気づけば口を開きかけていた。
「お待たせしました! サンドイッチのセット二つです! えっと、」
高い声が、会話を遮った。
見れば、まだ幼さの残る少年が、トレーを抱えてこちらへやってくる。
「あ、そっちが俺の──」
トレーを受け取ろうと、手を伸ばした瞬間。
少年の腕の中で、トレーがぐらりと傾いだ。
載っていた皿が、滑り出す。
「「あ」」
落ちる、と思った。
「おふぁ…!!! セーフセーフ!」
気がついた時には、向かいの席から腕が伸びて、傾いた皿を下から掬い上げていた。
危うく落ちかけたサンドイッチが、皿の上で小さく跳ねる。
「ご、ごめんなさい…僕の腕、下手くそで」
「…へたくそ?」
「あっ、その」
慌てる少年がトレーを持ち直した拍子に、袖がずれ落ちた。
覗いたのは、生身ではない右腕。明かりを鈍く弾く、硬い継ぎ目の手だった。
「…─」
何か言おうとして、口が止まる。
下手くそで。そんなふうに自分を言う少年に、返せる言葉を俺は持っていなかった。
「そんなことあらへんよ」
すると、こいつはトレーをひょいと受け取って、こともなげに言った。
「お手伝い頑張る、かっこいい右腕やけどな」
席に座ったまま、少年と目線が合う高さまで身を乗り出す。
ふざけた調子の抜けた、静かな声だった。
「ぁ…うん…そ、そうかな?」
「せやで、ほんまにえらいわぁ」
強張っていた少年の肩から、すっと力が抜ける。
それから、顔がぱっと晴れた。
「えへへ…それじゃごゆっくりどうぞ!」
ぺこりと頭を下げて、少年は跳ねるような足取りで戻っていく。
「……」
「ん?どないしたん?」
「別に」
焼き立てのサンドイッチの匂いが、ふわりと鼻先をかすめる。
さっきまで重ねようとしていた拒絶の言葉は、もうどこにも見当たらなかった。
「美味しそうやなぁ、いただきまー…んむっ!」
いただきますも言い終わらないうちに、そいつはサンドイッチへかぶりついた。
「うまぁ…! わぁ、幸せやなぁ…!」
お前はサンドイッチを初めて見たのかよ。
口の端にマヨネーズを付けたまま、頬袋いっぱいに詰め込んで、それでも嬉しそうに咀嚼している。
まるで冬眠前のリスみたいだ。
「はぁ、ったく、いいな…お前は能天気野郎で」
ただのパンと野菜で、これだけ幸せそうな顔ができるなんて。どんな風に生きてきたらそうなれるんだ。
いや。
───…どうせ、こいつは病気と無関係な人生歩んでいるんだろ。
「んぁ? 病気?」
サンドイッチを持ち上げかけた手が、止まった。
しまった──声に、出ていた。
「別に、何も」
「ほんまに?」
「本当に」
「ふーん…」
返事の代わりに、無言の視線がこちらへ刺さる。
たっぷり数秒それが続いて。
そいつは、紅茶のカップを傾けた。
「わぁ…うま」
「うげ、そんな激甘紅茶の何が上手いんだよ」
甘ったるい匂いが、こちらまで漂ってくる。嗅いだだけで口の中が甘くなりそうで、顔を顰めた。
「なんやて、紅茶ちゃんを舐めんなよ」
「舐めてねぇし、飲みたくもない」
「そっちこそ、その真っ黒インクみたいな飲み物飲んで、胃は大丈夫なんか?」
「珈琲様に喧嘩売ってるなら、言い値で買うけど?」
売り言葉に買い言葉。
転がる会話に、お互い張り合って口を尖らせる。こいつに至っては、その口元はマヨネーズだらけだが。
「あー、ダメだめ、お前とは全部相容れねぇな」
「ふむ、あい、いれない…」
「頬張りながら、喋んな!」
同じものなんてひとつも無い。
例えるなら、月とスッポン。水と油。交わることのないような性格同士で、なぜ相席しているのだ。
「んぐ……まぁまぁ、それでも、このサンドイッチは上手いし、紅茶も珈琲も、どっちも上手いからえぇやん」
「一緒にすんな。俺とお前は別もんだ」
そいつはサンドイッチの最後の一口を、名残惜しそうにじっと眺めてから、ゆっくり口へ運んだ。
「ふー…ご馳走さまでした」
両手をぱちりと合わせる。テーブルには、空のお皿が二つ並んでいた。
俺は残った珈琲を飲み干した。心地良い苦みが、舌の奥に広がっていく。
「それにしても、行く場所ある言うてたのに、こんなカフェに行くなんて自分シャレとるなぁ」
言い返そうと、息を吸った。
──その時だった。
パリーン!!
店内に、硝子の割れる音が響いた。




