Karte─No.2-1 旅は道連れ
「兄ちゃん起きな、もう隣街に着くでな」
ガタゴト。ガタゴト。
揺れる荷台の振動が、背骨の奥まで響いていた。
重たい身体を起こすと、乾いた喉がひりつく。
寝起きの鈍い頭のまま、凝り固まった肩をゆっくり回した。
「…ここ、どこ?」
見渡した道の両脇には、背の低い草と木々が続いて、葉の隙間から日差しがまだらに差し込んでいた。
「はは、まるで記憶飛んでるみたいだど」
手綱を握る目の前のおっちゃんが、冗談めかして笑った。
「──…んな、昼寝したぐらいで記憶飛ぶほど、やわな人間じゃねぇよ」
そんな吹けば飛んでいくような脳みそ、花畑で出来てるんじゃねえの?
ずれていた眼帯に指を掛けて、左目を覆う布をきつく結び直す。
大きな欠伸を噛み殺して、俺は荷台の縁に肘をついた。
「イセンスの街、もう着くのか?」
「もう先の道曲がったら着くど」
「そっか、おっちゃん乗せてくれてありがとうな」
「いやいや、礼を言うのはこっちだど。あのまま誰も通らんかったら、日が暮れるまであそこで立ち往生だったべ」
からから笑って、おっちゃんが手綱を持つ手で首の後ろを掻いた。
「そう言えば、ここらで貴重な薬草を穫る強盗がいるって噂だからな、兄ちゃん気をつけな」
「ぶっそうだな、国軍は? 衛兵は?」
「国軍さまも、こんな田舎じゃあ出張ってこんのよ」
手綱を引く手に、残念そうな息がこぼれる。
車輪が小石を踏むたび、荷台が小さく跳ねた。
「向こうのムマの村では、森でボヤ騒ぎとかもあったでな」
「へぇ…おっちゃん物知りだな」
「あぁ、行商やってと、色んな話聞くでな」
自慢げに言って、おっちゃんは前へ向き直る。
行商人ってのは、商品と一緒に噂も運んでくるらしい。
「そういえば、恩人の名前も聞いてながったな、兄ちゃん、名はなんていうんだ?」
「俺? 俺の名前は…──」
不意に、風が大きく吹いた。
草がざわざわと鳴り、木々の葉がいっせいに擦れる。
その音に、何かが混じった。
「──…なんか、聞こえねぇか?」
「へ?」
「茂みの向こう」
「いんや、なんも…?」
息を殺して、耳を澄ます。
ざわめきの隙間から、何か細い声が、確かに届いた。
「─…人…?」
「え!? 近くに誰かいるべ?」
「おっちゃん、ちょっと見てくる! 待ってて!」
荷台から飛び降りる。
草の根を掻き分けて茂みに踏み込むと、湿った土が靴底へ重たくまとわりついた。
街道のすぐ傍のはずなのに、少し奥に入っただけで、妙に空気がひんやりとしている。
奥へ進むほど、さっきの声が、はっきりと耳に触れてくる。
「──…─ぇ──」
声だ。やっぱり人がいる。
「こっちか?」
泥濘む道に足をとられないように、近くの木に手を置いて先へと進む。
ゴン。と、何か足元に当たった。
「……荷物?」
見下ろすと、鞄が草に半分埋もれていた。
口が開いたまま、中身がいくつか転がり出ている。
すぐ脇には、雑草の詰まった袋。
草を採りに来て、置き忘れた──にしては、様子がおかしい。
「んぁ? 何だこれ?」
その時だった。
「─ぁっ、あぅぅ……っ」
くぐもった、湿っぽい喘ぎ。それも、一人分じゃない。
「──あぁ…ん、だ…め……そんな、奥まで……っ」
え、いやん。
なにこれ。いや待て。これは。これはあれだ。茂みの奥で人がこういう声を出している状況なんて、ひとつしかない。
見るな。聞くな。いますぐ回れ右しろ俺。
全力で気配を消して、抜き足差し足で来た道を戻ろうとした、その瞬間。
頭上に、ぬっと影が差した。
「…あ?」
雲が陽を遮ったのかと思った。
だが、影は頭の上にだけ、ぴたりと差している。
嫌な予感が、背すじをじわりと這い上がってきた。
──もっちゃ。もっちゃ。
頭上から、湿った音が、降ってくる。
ゆっくりと顔を上げて──俺の体は、固まった。
「あぅぅ、ぁぁうぅぅ、だ、ず、げでぇ」
そこにあったのは、人の背丈を軽く超える巨大なウツボカズラだった。
ぬめりを帯びた表面が、鈍く光っている。
その口──人間の胴体がまるごと収まるほどの袋の中に、誰かが半分、飲み込まれていた。
「ッいぎゃぁぁあぁあ!!!」
叫び声が森の中に響く。
次の瞬間。
細い蔓がこちらへ向かって一斉にうねり、右腕に絡みつく。
ぬるりとした感触が、皮膚を這う。
ぐ、と引かれた体が、あの袋のほうへ傾いた。




