No.1-12 忘れられない夜
「ぅ、ぐぅ……っ、つッ、あぅ゛っっ!!!」
瞬間。これまで経験したことのない熱が、腹を一気に、焼き潰していく。
皮膚の焼ける匂いが鼻を刺して、じゅう、と嫌な音まで、聞こえた気がした。
「〜ッ、おい!! しっかりせぇ!!」
雨の音も、炎の爆ぜる音も、もう聞こえなくなった。
代わりに、自分の絶叫だけが、耳の奥でぐわぐわと反響する。
「血を止めるのは、これしかないんや!!」
「ぁ、う゛ッ、ッッ!!」
「耐えろ!! 死んだら許さんからな!!」
逃げようとしても、名医の手が、容赦なく僕の身体を押さえつける。
腹の奥を抉られるような熱に、意識が、何度も沈みそうになった。
───
─
どれくらい、そうしていたんだろう。
肉の焼ける音が、ふつりと止む。
腹を灼いていた熱が、ゆっくりと、鈍い疼きへ変わっていった。
「はぁ、はぁ……もう、大丈夫や。よう頑張ったな」
ようやく、名医の手からナイフが離れる。
「ぁ……あ、りがと……ございます」
腹の血は、止まったらしい。
傷口を見る勇気もなくて、僕はぐったりと、地面に転がったままでいた。
ちなみに、途中で三回ほど気絶した。
そのたびに、容赦なくビンタで叩き起こされた。解せない。
いくら道具がないからって、ナイフで傷を炙るって。荒治療にも、程がある。
「臓器も、大きな血管も傷ついてなくて良かった。不幸中の幸いやね」
「そう、ですね……」
ほっと息を吐いたところで、名医が、ふと何かに気づいたように顔を上げた。
「そうやった、忘れんうちに、渡しとかな」
彼はその場に座り込むと、白衣のポケットを、ごそごそと探りはじめる。
「っと、あったあった、これ。ほら」
「これ……は?」
彼が、小さな瓶を取り出して、こちらへ差し出してくる。
身体が、上手く動かない。
それでも震える手をなんとか持ち上げて、落とさないよう、慎重に受け取った。
「ハルちゃんの、薬」
「え」
一瞬、言葉の意味が、分からなかった。
あの時。
銃弾の飛び交う中を、急に飛び出していったのは──これを、取りに行っていたのか。
瓶をよく見ると、中に、赤い錠剤が入っている。
何を失ってでも、大切な妹を救うと誓った。喉から手が出るほど、欲しかった薬。
「これで、もう大丈夫や、良かったなぁ」
良かった。
そうだ。これで良かった、はずなのに。
「っ、あ」
彼の笑顔の向こうで、燃えている家が、見えた。
薬瓶の並んだ机も、本で埋め尽くされた棚も。
あの人が、気の遠くなるような時間をかけて積み上げてきたものが、炎の中へ呑まれていく。
あの薬も。
ぼくを助けるために割れた、あの薬も。
全部。ぜんぶ。
喉の奥が、熱く詰まる。
堪えようとした端から、鼻の奥がつんと痛んで、視界が、じわりと滲んだ。
「……ッ、ごめ、ごめんなさい……!」
「は!? ちょ!? な、なんで謝るんよ、お前は何一つ、悪くないやろ?」
「だっ……て、だって……!!」
「悪くないことに謝ったら、本当に自分が悪いって、思い込んでしまうで……?」
「だっで、くずり、ッ、名医さんの、たいせつな、薬が、おうちも、ぜんぶ、なくなっ、て、ぅ、ぅぅ゛、ごめ、んなさい」
何度謝っても、足りない。罪悪感と後悔で、胸が詰まる。涙が、ぽろぽろと零れた。
雨足も少しずつ強くなってきていて、頬を伝う雫が、涙なのか雨なのか、自分でも、分からなかった。
「あのなぁ、ノア。よう聞き」
彼の瞳が、少しも揺らぐことなく、こちらを向いた。
「薬は、命に変えられんの」
「─……ぁ」
「また作ればええ。生きてれば、ええの」
そう言って、僕の頭へ伸びてきた手が、ふわりと、髪に触れた瞬間。
彼の身体が、ぐらりと、大きく傾いた。
「名医さん!!」
身体を支えようと慌てて手を伸ばすが、彼はそのまま、仰向けに倒れ込む。
焦点の合わない目で空を見上げたまま、名医は、消え入りそうな声を零した。
「あ……そうだ……そう……忘れる、前に……」
ほとんど独り言みたいな呟きが、雨へ、溶けていく。
「思い出したんよ……言わな、こと……」
その声が、だんだん細く、遠くなっていく。
一言も聞き逃さないように、僕は、彼の傍へと、顔を寄せた。
一瞬。
名医の口元が、くしゃり、と緩んで、告げる。
「──頭の傷、治してくれて、あり……が……と─……」
そして、彼は静かに、意識を失った。




