第21話 どちらが正義か
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ようやく雨も上がり、朝を迎える空が薄明かりでぼんやり青みがかってゆく中。
城塞都市アンティーヌの門前に陣取った騎馬兵部隊の中から、幼い少女が単身歩み出していく。
身なりの整った少女が目指す先は、対面に陣取った歩兵部隊、そのまっただ中。
少女を送り出した帝国側の誰しもが、その様子を固唾を呑んで見守っていた。
少女は悠々と歩みを進めていく。恐れ知らずに歩みを進めていく。
何故か歩兵部隊から矢を射かけられることはなく、穂先を向けられることもない。
堂々と姿を晒しながら、少女は部隊にゆっくりゆっくりと近づいてゆく。
……それは静かで奇妙な、夜明け前の一幕だった。
やがて少女が部隊の前まで辿り着いた時。部隊長らしき男が、ゆっくりとその中から姿を現した。
少女は男と面識がなかったものの。それでもいの一番に、とある言葉を口にする。
「――泥をすすりて、白き鳥へ至る」
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「私には……秘密が、あります。誰にも言えない、秘密が」
改めて、人払いが済んだ後。
私は部屋の真ん中で意を決し、これまでずっとひた隠してきた事実を口にしていた。
――今の状況は、考えうる限り最悪だ。
正直に言えば、セドリックさまとレジスタンス、どちらにも勝って欲しくはない。
セドリックさまが勝ったなら、蜂起してしまったレジスタンスは一気に存亡の危機に立たされてしまう。立ち上げ直後の地下組織がこんなところで人員を失えば、組織が本当に壊滅しかねない。さらには捕えられた人々から、私のことを辿られる可能性すらある。
逆にセドリックさまが敗れライオネルナイツを失えば、帝国内での影響力も当然失われてしまう。祖国復興に対する平和的解決という道は当然立ち消えてしまうし、それにレジスタンスが危険視され、帝国の標的にもなってしまう。
それになにより。今はかろうじて人馬の直接的被害は少ないけれど、それでもライオネルナイツは相当疲弊してもいる。それは言わば、ひびの入ったガラスの像と言っても過言じゃない。もう一度強い力が加わったら、勝敗がどうあれ取り返しの付かない状態になってはしまうはず。
……そもそも、ライオネルナイツは親衛隊でもある。その部隊が脆ければ、戦いの中でセドリックさま自身が命を落とす危険だってゼロじゃない。
そんなのは嫌だ。――そんなのは、嫌だ。
想像しただけで身震いがする。
だから私は、あえて中身はボカしたまま、秘密がある事だけ口にしていた。
何故なら……この事態を打開するためだ。
私はこれ以上ないほど真剣なまなざしで、セドリックさまの切れ長の瞳を見つめる。
「セドリックさまと出会った時からずっと、私は秘密を抱えていました。そしてその秘密を有効活用すれば――その謎の部隊との交戦、きっと回避出来ると思います」
「……謎の部隊との交戦を、回避出来る……?」
「はい。だから何も訊かずに、私に任せてくれませんか? ……セドリックさまの代理として、向こうの部隊と交渉させて欲しいんです」
つまりは――最低限の情報開示だけして、そしてレステンクール公爵代理という肩書きを得て、衆人環視の元で向こうと接触する。
これが私が絞り出した、もっともスマートな策。
そうすることで、仮に向こうが暴挙に走ったとしても、セドリックさまの目にはきっと誘拐されたとしか映らないはず。すぐに助け出してくれるかも知れないし、そうでなかったとしてもいずれ、元の状態に戻れる余地は出てくる。
……もちろん、何も打ち明けずに使者になれるなら、その方がずっと良かった。でもどう考えても、一介の幼女が帝国公爵の代理に据えられるなんてあり得ない。だから、何かしらアテがあることを示す必要があった。
だからこその、秘密開示。内容には触れず、ただ奥の手があることだけを主張し、事情は丸々伏せる。幸か不幸か、先ほどは大立ち回りをしてしまったし、これでも十分説得力は出るはず。
後は、セドリックさまがこれを信じ、首を縦に振ってくれるかどうか。
私に賭けてくれるかどうか、それだけ……。
祈るような思いで、その端正な顔を見つめ続ける。
するとセドリックさまの代わりに、隣のクロードが口を挟んできた。
「……馬鹿を、言わないで下さい。肝心のその中身を伝えずに、我々が納得するとでも思っているのですか……?」
「思ってない。けれど、その……私が抱えている秘密は、本当に特殊なものなの。誰かに打ち明けただけで、即座にその効力を失ってしまうから」
「なら、当然向こうの部隊にも、それを打ち明けられないのではないですか?」
澄ました顔で嘘を吐いたのだけれど、クロードは無遠慮にそれを追求してくる。
……窮地に追い込まれている事は、セドリックさまやクロードだって当然分かっているはずなのに。何も聞き返さず、ただ信じてくれるだけで良いのに、それでも疑り深く聞いてくるクロードに対し、私は苛立ちを募らせながら答えてゆく。
「打ち明ける必要なんてないもの。向こうには、とあるものを見せるだけで伝わるから。それで向こうは、きっと分かってくれる」
「……。まるで向こうの部隊の正体が分かっているかのような口ぶりですね。そもそも、そんな特別な物を持っているそぶり、今まで見たこともありませんし……」
「……お願いします、セドリックさま。少しの間だけ、私を信じて、託してくれませんか? もしそれでダメだったなら、もう何も言いませんから」
埒があかないと感じた私は、クロードを無視し、セドリックさまにすがりついた。上目遣いで、宝剣の柄尻を握る左手の裾を掴み、表情でも必死に訴えかける。
するとセドリックさまは私の瞳をじっと眺めた後、ふと口を開いた。
「……勝算が、あるのか?」
「あります」
「しかし、向こうは武装した軍隊だ。不興を買えば、命を落とすかも知れない」
「本望です。命を賭けるべきところで賭け、それで散ったのなら、悔いなんてありません」
「……。護衛はどうする? 多少なりいた方が安全だし、泊もつくと思うが」
「……! いえ、大丈夫です。一人きりで、向かわせて下さい。その方が、向こうは警戒心を解くはずですし……」
「せっ、セドリック様! お戯れもいい加減にして下さい! 背丈も育ちきっていないような少女を、ライオネルナイツを率いる我々の使者に据える……? そんな事をして万一裏目にでも出たら、我々は末代までの笑いものですよ!?」
まるで向かわせる前提でやりとりが始まったため、クロードが慌てて口角泡を飛ばしてくる。それにセドリックさまは、肩をすくませながら言い返した。
「しかし、無用な戦闘は何としても避けたい。雨は上がったが、地面は依然としてぬかるんでいるし、そもそもライオネルナイツには死傷者も多い。そうだろう?」
「それでもライオネルナイツであれば、勝つ事は可能です。こんな一か八かの作戦に出る必要なんてありません」
「だがその謎の部隊に勝ったところで、また例の賊たちがやってきたら、どうする?」
「…………っ」
「……はっきり言って、こんなところで彼らを失いたくはない」
「そう、ですね……」
言い込められるクロードだったが、それでも不満が表情にありありと表れてはいた。するとセドリックさまはため息を一つ挟みながら、言葉を投げかけていく。
「……クロード。いい加減、マドレーヌを信じてやれ。彼女は我々のために、こうして命まで張ろうとしてくれているんだぞ?」
「……。……ほんとうに……本当に、善意しかないのですね?」
「ああ、間違いない。一片の曇りもないほどにな」
「……? いっぺんの、くもり?」
二人の間で交わされる謎めいたやりとりに、思わず首をかしげるものの。二人はそれに意味深に視線を交わすばかり。
「マドレーヌに秘密があるように、こちらにも少々、秘密があってな。まぁ、いずれ話す機会もあるだろう」
「……? ……分かり、ました」
ひとまず納得すると。セドリックさまは改まってこちらに向き直ってきた。
「もう一度だけ、確認させてくれ。……こちらは、抱えている秘密を問わない。そしてマドレーヌを使者として、一人きりで派遣する。間違いないな?」
「はい、そのとおりです」
「何か必要なものはあるか? あればすぐに用意させるが」
「いえ、何も必要ありません。……ただ見守って下されば、それで大丈夫です」
セドリックさまに向け、私は安心させるようにふわりと微笑んだ。
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そんな経緯を経て。私は『秘密がある』という最低限の開示のみで、単身レジスタンス部隊との接触を許されていた。
堂々と姿を晒し、レジスタンスの部隊に近づいていく。
……向こうから攻撃が飛んでくることはない。あるわけがない。指揮をしていた私の容姿は、恐らく向こうに伝わってはいるはず。組織の旗印を、祖国復興への希望を、自ら葬り去るわけがない。
だからこそ私は歩きながら、ゆっくりゆっくり説得のシミュレーションを立てる事が出来ていた。
するとこちらが到着すると同時に、中から特に面識のない男が姿を現してくる。
――短髪長身で、痩躯。そんな、どうにもいけ好かなそうな男だった。
そして、その見知らぬ姿に……私は正直、ホッとしてもいた。何故ならこの状況で蜂起したバカが、知り合いや顔見知りでなくて良かったと、心底思ったからである。
……これなら遠慮なく、叱り飛ばすことが出来る。
「――泥をすすりて、白き鳥へ至る」
「……お初にお目に掛かります、ルクレシア様。わたくしはプロヴィデンス地方を任されました、ファゴールと……」
「何故、兵を挙げたの?」
「……は?」
「何故言いつけを破り、兵を挙げたか聞いてるの」
有無を言わさず、問いかける。
するとその剣幕に怖じ気づいたか、男はたじたじになりながら言葉を紡いでいった。
「し、しかし……ルクレシア様もご存じの通り、帝国の牙はいま手負いの状態です。かの部隊がここまで弱体化しているのは、千載一遇のチャンスなのでは……」
「こちらも相当被害は負うでしょう? その後に例の賊でもやってきたら、どうするつもり?」
「……。貴方様が我々を率いて下されば、大した損害も負わずに勝つことが出来るでしょう」
そうあっけらかんと告げてくる男に、思わず眉をひそめる。すると男は、言葉が足りなかったとばかりに付け足してきた。
「いえ、我々はいたく感服したのです。あれだけ醜態をさらしていたライオネルナイツが、貴方が指揮を執った途端、見違えるように活躍し始めましたので。……是非、その神通力とも言うべき能力にて、直接陣頭指揮を執って頂けませんでしょうか? さすれば手負いの猛き牙も、思った以上に膨れ上がってしまった賊共も、恐るるに足りません」
「……。………………ケホッ」
肺の中の空気をため息で全て吐き切ってしまい、咳まで漏らしてしまっていた。
……何故こんな男を、リュカは幹部に据えたのだろうか。これはリュカ自身の責任も問わなければならないだろう。
「さあ、どうぞこちらへ。貴方様の親衛隊も、すでに用意してありますので……」
「何を……勘違いしているの? あんなに堂々と姿を晒し、顔がしっかりと割れている状況で、このまま帰れるわけがないでしょう? 私がこの組織の重要人物である事がバレて、ブランシャール中に指名手配されてしまうじゃない。ましてや、陣頭指揮? いったい何を考えているの?」
「……では、どうして姿を晒し、こちらまで来られたのです?」
怪訝そうな顔で問いかけてくる男に対し、私はさらりと嘘を交えながら告げていく。
「コホッ……私はレステンクール公爵の代理として、謎の部隊と交渉するよう命じられただけ。容姿がいたいけな子供なら、向こうも警戒しないだろうから、ってね。『兵士さんたち頑張ったばかりだから、酷いことしないで』って演じてこい、だそうよ」
「そんな……貴方様が、そんな使いっ走りみたいな事を承諾されたのです……?」
「ええそうよ。面と向かって貴方たちと話せるチャンスだと思ったし。……いい? このままだと貴方たちは賊の一味として、歴史に汚名が刻まれるだけ。そもそも今、このプロヴィデンス地方を治めるにふさわしいのは、ルブランドルでも私でも、ましてや貴方でもない。今は彼らこそが、この地方の領主にふさわしい存在なのよ?」
「……えっ? は? い、今、何と……?」
「聞こえなかった? 彼らこそ領主にふさわしいと、そう口にしたの。考えもみなさい。民を苦しめる賊たちを討伐するため、身を投げ打ったのは彼らよ。漁夫の利を狙おうとした貴方でも、何の力も持たない私でもない」
「し、しかし、この国の正統なる後継者は、貴方様で……」
「今の私は、ただの幽霊と同じ。そして今の貴方たちは、単なる賊と同じ。何故なら賊たちがのさばるのを止めるどころか、むしろ裏で糸を引き、集結までさせていたのだから。……そうでしょう?」
「……! き、気づかれていらっしゃったとは……」
明らかにうろたえる男。……先ほどの口ぶりから、ふとカマをかけてみたのだけれど。まさか本当にそんな下卑たことまでしているとは思わなかった。
ため息交じりの咳が出る。
「ケホッコホッ……つまりアンティーヌの街が略奪にあったのは、言わば貴方のせい。今回、民を苦しめたのは貴方よ、ファゴール」
「ですが、ルクレシア様の救出には、多大なる混乱が必要不可欠と……」
「そんな方法で救出して、だなんて誰も頼んでいないけれど?」
「……」
「そもそもブランシャール王国は、賊をすべからく討伐対象としてきたはず。ルブランドルとなった今も、そのスタンスを変えたつもりはない。何故なら私たちが最終的に目指すべきは、この土地に住む民の安寧。間違っても悪逆非道を助け、善政を挫くことなんてあってはならない。……そうよね?」
「……お、仰るとおり、ですが……」
「貴方はあろうことか、ケホッ、賊たちをけしかけ、その安寧を奪った。あまつさえ民を守ろうと奮起した帝国軍に対し、こうして牙を向けようともしている。どちらが正義で、どちらが悪か……ここまで言えば、流石に分かるでしょう?」
「……っ」
「貴方たちは、向ける矛先がそもそも違うの。それをはき違えて、何が祖国復興? ――今すぐに、ブランシャールの旗を下ろしなさい。貴方たちに、その旗を掲げる資格なんてない!」
毅然と言い放つ。しかし私の命令でもそこまでは聞けないようで、周りの人達はかなり困惑しながら、男に目配せを送るばかり。
それを見てから、私は大声を張り上げた反動で咳を繰り返しつつ、続ける。
「ケホコホッ……それでも、その旗を降ろしたくないというのなら。このプロヴィデンス地方を治めるにふさわしいのは我々だと、コホッ、そう高らかに叫びたいなら。……今からでも遅くないから、集めた賊たちを根絶やしにしてきなさい。一網打尽にするため一箇所にまとめたという体なら、その稚拙な策にも、いっぱしの正当性は見いだせるでしょう?」
そうして、幾分譲歩したように見せかければ、男は私の機嫌を伺いつつ、おずおずと質問を投げかけてきた。
「でっ、ですが……結局我々の存在は、公になってはしまいました。賊を討伐したところで、後ろから帝国軍の猛攻を喰らうのは必至で……」
「そもそも公にしたのは誰のせい? と言いたくもなるけれど。……合い言葉、覚えているわね?」
「もちろんです。泥をすすりて……」
「それは当然、我々が目指すべき姿でもある。……泥をすするなら、とことんすすって見せなさい」
「仰る意味が……良く、分からないのですが……」
そう返してくる男に対し、私は一拍置いてから、おもむろに告げた。
「背後を突かれるのが怖いなら、いっそ巻き込んでしまいなさい。真に国を憂うなら、憎悪を抱く対象と手を取り合ってでも、民を守りぬく使命を果たしなさい。――ライオネルナイツと手を組み、山城に逃げ込んだ賊を、まとめて駆逐して見せなさい!」
「……!」
「向こうにはすでに根回しが済んでいるし、帝国最強の騎兵隊の力を借りれば、賊討伐なんてたやすいはず。それになにより貴方たちの蜂起の理由も、賊退治だったとすり替えられる。さらに一時的でも協力関係を結んだのなら、それをアリバイにして、野心のない平和的な組織に見せかけることだって出来る。……もちろん、私が向こうでそれとなく誘導や撹乱をしなければならないけどね」
「そっ、それは……しかしそれなら、貴方様は……」
「私がいなくても、組織は回せているでしょう? だから私は仕方なく、貴方の尻拭いをすることにする。この状況下に置いては、それが一番穏便で、結果が丸く収まるし。……違う?」
そう訊ねた後、私は矢継ぎ早に言葉を被せていく。
「まぁ、貴方に聞いたところで、そもそも決定権などないのだけれど。……ゴホッ、コホッケホッ、良いから、彼らを利用し、しでかした事の後片付けを手伝わせなさい。ズビッ、……これは、命令よ」
急に咳が止まらなくなり、鼻水まで出てきた。……冷たい雨に当たった弊害が、こんなに早く現れるとは。これも体が幼い弊害だろうか。
何だか熱っぽさも感じつつ、それでも私はなんとか毅然とした態度で返事を待つ。
しかして、返ってきた言葉は……。
「……ハッ。承知……しました」
承諾ではあった。もちろん、かなり渋々だったけれども。




