第13話 おもてなし
「……マドレーヌさん。そんなに緊張しなくとも大丈夫ですよ」
「う、うん、それは分かってるんだけど……」
苦笑するアマンダに、私はなんとかそう答えていた。
――クラシカルな前掛けに、品の良いロングスカート。頭にはフリルのカチューシャ。胸元は赤いリボンで飾った、子供用ながら本格的なメイド服。
完全に、服に着られている状態だ。ただそれでも体裁だけは保とうと、私は必死に背筋を伸ばしつつ、セドリックさまの到着を待ち続けていた。
……困った。アマンダの真似事をするだけだと高をくくっていたのだけれど、この後に及んでみると、思った以上に今の状況に尻込みしてしまっている。
なにせこれまで生きてきた中で全く経験したことのない、『メイド』としての接待……しかもその相手は、まがりなりにも帝国の公爵なのだ。
もちろん仮に粗相をしたとしても、セドリックさまは罰を与えてきたりしないだろう。
でもだからといって、失敗しても良いというわけでもない。
これまでしてきた用意や努力が、最悪水の泡になるという緊張感も相まって、私はまさにガチガチに固まってしまっていた。
……こんなことなら、安易にこんな提案に乗るんじゃなかった……。と、そんなことまでチラリ考えはじめた時だった。
コンコン、という軽いノック音が部屋に響いたのは。
「っ、どっ、どぉぞ……!」
うわずりながらもそう返事をすれば、幾ばくかの後、部屋の扉がスッと開かれる。
「……マドレーヌ、今日はいったい何、を……」
そうして中へと入ってきたセドリックさまは、何故かそこで固まってしまっていた。きっと私の出で立ちが本格的すぎたから、あっけにとられてしまったのだろう。
「わざわざご足労戴き、ありがとうございます。ひとまず、こちらへ……」
アマンダに教わったとおり、深々としたお辞儀を挟みつつ、呆けるセドリックさまをひとまず席まで案内してゆく。
――窓際に用意された丸テーブルには、細部にまで装飾が施されたケーキスタンドが、既に置かれてある。
香ばしい香りを放つスコーン、細かく盛り付けられたサンドイッチやスイーツ。
当然、紅茶を煎れる準備も万端整っている。
「……マドレーヌ、これは?」
「特製の、アフタヌーンティーセットです。日々頑張っていらっしゃるセドリックさまのために、一生懸命用意したんですよ。実は、私が作った物もあるんです」
「……」
「……? どうか、されましたか?」
「いや……すまん。まさかこんな用意をして貰っていたなんて、夢にも思わなくてな」
私自ら引いた椅子におずおずと腰掛けながら、そうぼやくセドリックさま。
そんな様子に、脇で控えていたアマンダがふと笑った。
「ふふっ、でしたらマドレーヌさん、ひとまずは作戦成功ですね?」
「うん。セドリックさまの気分転換になるような、そんなサプライズになって良かった。……でも、もちろんまだ、これで終わりじゃありませんから」
今のやりとりを経て、すこしばかり緊張も溶けた私は、それでも若干ぎこちなくナプキンを手渡しつつ、続けていく。
「それでは、改めまして。日頃皆のために骨を折ってくれているセドリックさまのため、今日は精一杯、おもてなしをさせて頂きます」
そうして私は、事前に練習した通りの手順で、紅茶を煎れてゆく。
「今日ご用意したのは、アージリンのダールグレイです。……あっ、違う、えと……」
「ふふっ、ダージリンの、アールグレイですね」
「そ、そうです。えと……紅茶のシャンパンとも呼ばれるダージリンに、えと、ベルガモットのフレーバーが、足されているそうですよ。ご存じかも知れませんが、ベルガモットとは柑橘類の……」
紅茶は蒸らす時間が長い。そのため間を保つべく、私は事前にアマンダに仕込まれた口上を、拙いながらも並べていく。
もちろんそれと同時にカップを温めたり、あるいはサンドイッチを切り分けたりと、忙しなく動く必要もある。思った以上に、頭の中はタスクでいっぱいいっぱいだ。
……それもこれも、セドリックさまに心穏やかな時間を過ごして貰いたいという気持ちがあるからこそ。
とはいえ、いつもこんな高度なことを平然と行っているアマンダには、内心舌を巻いてもしまう。
そうしててんやわんや状態のまま、あれこれこなしていると。いつの間にか砂時計の砂が落ちきってしまっていた。
「っと、それでは紅茶をお注ぎ致しますね」
……蒸らし過ぎて、少し渋くなってしまったかも知れない。
これ以上時間はかけられないと、私は逸る気持ちでもって、ティーポットの取っ手を握りしめる。
そして……。
「……熱っ!!」
指の背に灼けるような感覚を覚え、ついそれを手放してしまう。ぐっと握りしめすぎて、熱された部分に手を当ててしまったのだ。
当然自由落下したポットは、けたたましい音を立てて割れてしまう。
「あ、あ、あ……」
床にどんどん流れていってしまう紅茶を、ただあわあわと眺めることしか出来ない私。
そんな私へ、血相を変えたアマンダが寄ってくる。
「マドレーヌさん、おけがはありませんか!?」
「あ……うん、大丈夫……」
私はメイドとしての恭しさを霧散させ、いつものようにそう答えてしまっていた。
セドリックさまも立ち上がりつつ、私の手を心配してきてくれる。
「今は大丈夫でも、後で水ぶくれになったりするかもしれん。ひとまず、流水で処置を……」
「い、いえ、本当に大丈夫です、全然痛みもありませんし。掃除も、やれますから」
「……本当に、大丈夫なんだな?」
訝しんでくるセドリックさま。それを必死でなだめながら、私は慌てて後始末をし始める。
するとアマンダだけでなくセドリックさまも、割れた陶器の欠片を集め始めてしまった。……もはや、誰が使用人なのか分からない状態だ。
「せ、セドリックさまは、おかけになって下さい。すぐに片付けますから」
「しかし……」
「いえ、良いんです。今はセドリックさまへのおもてなしなんですから。……えと、替わりをすぐにご用意しますから、ひとまずサンドイッチでも食べながら、待っていて貰えますか?」
そうして丁寧に切り分けたサンドイッチを、お皿で渡そうとしたのだけれど。
セドリックさまは拭き掃除中のアマンダを見やりつつ、遠慮がちに断りを入れてくる。
「……皆が忙しなく働いているのに、のんきにサンドイッチを頬張っていても、落ち着かないだけだろう?」
「……でも……」
「いい。マドレーヌが自分で掃除するというのなら、それが終わるまでゆっくり待たせて貰うだけだ」
「……。わかり、ました」
私はしょぼくれつつも、一旦は差し出したお皿を引き上げる。
……が、その際。私が一瞬だけ使っていた濡れぞうきんが、未だ床に残されていたことに気づけず、盛大にそれを踏んづけてしまっていた。
「あ、わ、わわ……」
そうしてバランスを崩した私は、あろうことかそのサンドイッチを、セドリックさまの胸元にぶちまけてしまう。
「……っ、ご、ごめんなさい、服が……」
「……いや、今のはむしろこちらが謝るべきだ。素直にそれを受け取っていれば、何事もなく済んだ話だったからな。……アマンダ、済まないが……」
「ええ。すぐに洗濯の手配と、替わりのお召し物の用意をして参ります」
いつの間にかあらかた床の処理を終えていたアマンダが、流れるような所作で着替えを手助けする。
そしてそのまま上着を預かり、部屋を後にしようとするその最中。こっそりと私に耳打ちをしてきた。
「……マドレーヌさん。失敗を悔やんでも、堂々巡りになるだけですよ。ひとまず平常心で、いつものようにセドリックさまへ応対してみてください」
そうして安心させるよう、にこりと微笑んでくるアマンダ。私はそれに、かすかに頷いて返すことしか出来なかった。
……垢抜けていて手際が良く、そして品も良い所作の数々。さらにはこんな私にまで、フォローを欠かさない。
そんなアマンダのハイスペックぶりを目の当たりにし、私はもはや、惨めに背中を丸めることしか出来なかった。
だが、落ち込んでばかりもいられない。
私はセドリックさまを一人にさせてしまっていることに気づき、慌てて近くに寄っていく。
「……ほんとうに、ごめんなさい。せっかくこうして時間を割いてまで、足を運んで下さったのに……」
そうして精一杯の謝罪を入れると、セドリックさまは笑みを浮かべながらそれに首を振ってくれた。
「いや、良いんだ。そうやって私をねぎらおうとしてくれたという、その事実だけで胸がいっぱいだからな。それに……今日のために、相当色んな事をアマンダに教わってきたんじゃないか?」
その問いに薄く頷いて肯定すると、セドリックさまは私の頭を軽く撫でてくれた。
「頑張ってきたことは、もう十分伝わっている。それよりも……アマンダが帰ってくるまで、少し話に付き合ってくれないか」
「……話、ですか?」
「ああ」
セドリックさまはそのまま、私に椅子に腰掛けるよう促してくる。
いつもと勝手が違うスカートに少々手間取りつつ、おずおずとそれに座れば、セドリックさまはテーブルに両肘をついて手を組み、身を乗り出してくる。
「最近は執務室以外で、様子を見られる暇も中々なかったから、改めて聞いておきたいんだが……。ここでの暮らしに、不自由はしていないか?」
唐突に投げかけられたそれに、私は思わず瞬きを繰り返す。
「……どういう、意味ですか?」
「どうも何も、言葉通りの意味合いだ」
「そんなの……いつも良くして貰ってて、逆に心配になっちゃうくらいです」
「そうか。……」
そこで一旦考えるそぶりを見せたセドリックさまは、再度こちらに顔を向けてきた。
「質問を変えよう。……最近、よく眠れてはいるか?」
「それは、どういう……?」
「……」
セドリックさまは一拍置いてから、神妙な面持ちで切り込んでくる。
「マドレーヌは年齢不相応なほどしっかりしてはいるが、しかし何故か朝だけは弱いだろう? 度々遅刻もしがちだ。それは……眠れなかったり、あるいはうなされているから、なのではないか?」
「……!」
「実は、少し心配になったアマンダが、夜中にこっそり確認しに行ったらしくてな。……ああ、アマンダは責めてやらないでくれ。誰にも言わないようにしていたのに、無理矢理に聞き出したのは私だ。責めるならこちらを責めてくれ」
「……そう、だったんですか」
ようやく質問の意図を読み取ることが出来た私は、うつむきながら、ぽつりぽつりと話し始める。
「とても……嫌な夢を、見ます。繰り返し繰り返し、同じような夢を」
「……」
「でもそれは、誰かに虐められてるとか、ベッドの寝心地が悪いとか、きっとそういう理由ではないんです」
「そうか。ならそれは恐らく、あの厨房で過去にされた仕打ちか、もしくは国を追われた時のことが原因だな? つまりそれは、言い換えるなら……」
「いえ、その。……セドリックさまのせいではないですし、その……少しずつ、夢を見る頻度も、減ってきていますから」
嫌な予感がした私は、あえてその言葉を遮り、発言を被せていった。
……恐らくそのまま流していれば、セドリックさまは自らを責めていたはず。気晴らしになればと、こんな大掛かりなことをしたのに、それじゃ本当に本末転倒だ。たとえ嘘を並べてでも、会話の流れを元に戻す必要があった。
だからこそ、私は何気なくケーキスタンドへと目を向ける。
「そっ、それより……このマドレーヌ、私が作ったんですよ」
……明らかに、話題をそらしたのがバレバレだ。
ただ、それでもスルーしにくい要素が、実は目の前にあった。
「……これ、全部か?」
思わず尋ねてくるセドリックさま。
……そう。サンドイッチが乗った一番下、スコーンが乗った二段目に比べ、一番上に乗せられている焼き菓子……具体的に言及するならマドレーヌだけが、他と比べて明らかに山盛りになっていたのである。
「はい。……その、残っていたら後でこっそり食べちゃうつもりで、多めに……」
「そういえばマドレーヌは、好物も名前の通りなのだったな」
そうしてフッと笑ったセドリックさまは、一瞬だけ扉の方に目を向けてから、話を続けてゆく。
「……。飲み物こそないが、その代わり作法にうるさい者も出払っている。少しぐらい、つまんでしまっても良いんだぞ?」
「っ、ほ、ホントですか……?」
「ああ。鬼の居ぬ間になんとやら、だ」
そうして許しを得た私は、セドリックさまの顔を何度か見つつ、恐る恐るマドレーヌを手に取ってゆく。
そうして小さい口でもって、おずおずとそれにかじりついた。
――生地のふんわり食感と、口いっぱいに広がってゆく香ばしい香りと甘み。
内側のしっとりした生地は、舌で押すだけでホロホロ崩れてゆき、コクのあるバターの風味をこれでもかと主張してくる。
……もちろんアマンダ監修の元、味見は十分なほどしている。やり過ぎだと怒られるくらいには。
でもそれでも、何度でも味わいたくなってしまうぐらい、このマドレーヌは始めて作ったとは思えないほど、会心の出来だった。思わず顔がほころんでしまう。
と、そんな私の事をじっと見つめていたセドリックさまが、ふと呟いた。
「やっと……笑ってくれたな」
「え?」
「ああ、その、気にしないでくれ。……これまで一度も、私の前でそんな笑顔を見せてはくれなかっただろう? それでつい、本音を漏らしてしまっただけだ」
「……!」
思わず口を手で押さえる。頬が染まっているのが、なんとなく分かった。
……確かに言われてみれば、セドリックさまの前で、これまでまともに笑ったことなんてなかった気もする。
そもそも王女だった時も、感情を表に出す機会が限られていたから、笑うこと自体が得意ではなかったのだけれど……特に祖国が滅亡してからは、一度たりとも笑みを浮かべた事なんてなかった。
むしろ城の陥落以降、嬉しくなるような出来事がなに一つ起こらなかったという方が、正しいのかもしれない。
ただ……それはもちろん、セドリックさまに非があるわけではなくて。
むしろセドリックさまは私を戦火から救ってくれたし、こうして不自由のない生活を提供してくれてもいる。
だから気に病む必要はないのに……それでもこの人は、自分に非があるかのような表情を向けてくる。
「……これはあくまで、個人的な意見だが。形式張ったり、かしこまられたりするより、笑顔でもてなされた方が、こちらとしては嬉しいんだ」
「……」
「それで不自由していないか聞いたり、好物を勧めたりしたんだが。……もし目的が私の接待ではなく、単に給仕をしたかっただけだったなら、余計なことだったかもしれないな」
そうして、軽く詫びてすらくる有様。
私はふるふると首を振って、それを否定した。
「ごっこ遊びに、多忙なセドリックさまを付き合わせるわけ……ないですよ」
「……!」
「前にも言った通り、セドリックさまをねぎらいたくて、それでこうして色々準備したんです。だから……セドリックさまが喜んでくださるなら、正直、何でも良いんです」
そうして、ふんわりと微笑む。
するとセドリックさまは何故か息を呑み、こちらのことを見つめてきた。
……ああ、そうか、なるほど。
もしかして、セドリックさまを喜ばせたいのなら。実はセドリックさまではなく、こちらが幸せそうにした方が良いのかも知れない。
少しばかりいびつではあるけれど、それでもすごく、セドリックさまらしくもある。
そんな気質にようやく気づいた私は、本当にこの人はどこまで優しいのだろうと、ふとそんな事まで考えてしまっていた。
「セドリックさまが、私に笑って欲しいというなら。それで心が晴れるって言うのなら、精一杯笑って、おもてなしをします。それこそ、ここにあるマドレーヌを全部食べて、満面の笑みだって浮かべられますよ」
そんなことを、冗談交じりに告げてみる。
するとセドリックさまもくすりと笑いながら、それに応じてきた。
「……これ全部は、流石に怒られるのではないか?」
「全部食べて、満面の笑みも浮かべられます」
「二度も言わなくていい。……いくらでも食べてくれ」
「ふふっ、ありがとうございます」
そうして含み笑いをした後。遠慮のなくなった私は、マドレーヌを一個二個とつまみ、頬張り、そして予告通りの笑みをこぼしてゆく。
セドリックさまはそんな私の様子を、一旦は呆れながら眺めた後。ゆったり頬杖をつき、穏やかな笑みを浮かべつつ、見守ってくれていた。
「それはそうと、マドレーヌ。なんだか香りがいつもと違うが……香水でも付けているのか?」
「……え? あ、はい、実は中庭のお花を摘んで作った、お手製の匂い袋を、忍ばせているんです。庭師の人にも、協力して貰っていて……」
+++
「……。ええと、これは一体、どういう状況なのでしょうか……?」
しばらくの後。替えの上着を腕に掛けつつ戻って来たアマンダは、開口一番、そんな戸惑いを口にしていた。
……戻って来てみたら固さがすっかり取れ、至って自然体で談笑している私がいたから、きっと面食らってしまったのだろう。
メイド服こそ着てはいるものの、給仕の方はすっぱり辞めてしまってもいたし。
「紅茶……わたくしがお作りしましょうか?」
なんとなく事情を察したアマンダが、おずおずとそんな申し出をしてくる。
セドリックさまだけでなく、客人のようにどっかりと椅子に座った私は、それに一も二もなく頷いて返す。
「……ごめんアマンダ。今日はまだ『こっち側』で、『おもてなし』することにする」
その言葉で、アマンダはすぐに全てを理解してくれていた。
そうして持ってきた上着をセドリックさまに着せた後。アマンダはそのまま流れるような所作で、にこやかに紅茶を煎れる準備を始めていってくれたのだった。




