第14話 面影
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――レステンクール公爵セドリックは、日が落ちて誰もいなくなった薄暗い回廊を、足早に進んでいた。
揺れる銀髪、切れ長の瞳。かっちりとした軍服に身を纏いし帝国の屋台骨は、しかしその見た目に似つかわしくない、大きなくまのぬいぐるみを脇に抱えている。
そうして一人どこかへ急ぐセドリックを、後ろの方でふと呼び止めるものがいた。
「ああ、セドリック様。こちらにおられたのですね」
「……クロードか。すまないが、今はマドレーヌやアマンダを待たせている。用件があるなら、手短に済ませてくれ」
「例の、食事会ですか。……」
急かし気味に告げられるそれに対し、抱えられたぬいぐるみを明らかに気にしながらも、クロードは何とか口を開いてゆく。
「先にお話しした、鍾乳洞の調査部隊なのですが。確認してみたところ、やはり指示を受けた書面は、すでに破棄済のことです。ただ……」
「ただ?」
そこで一旦区切ったクロードは、辺りを見渡し、誰もいないことを確認してから続きを述べる。
「セドリック様の筆跡を見せたところ、非常によく似ていたという証言をしてきました」
「……!」
「……あの子が単に仕事をこなすだけなら、わざわざ筆跡をセドリック様へ似せる必要がありません。やはり他にどんな書類に手を付けたか、徹底的な調査が必要ではありませんか?」
「しかしだな……」
そう渋るセドリックに、クロードはぐいっと詰め寄る。
「セドリック様。今回起こったことは、貴方様の地位をも脅かす、極めて重大な事案なのかも知れないのですよ?」
「……しかし、私の机に置かれていた書類は、十や二十じゃきかないだろう? その全ての指示を辿り、妥当かどうかを検証する手間は、単純に書類を処理するより何倍も時間と労力が掛かる。違うか?」
「それは……もちろん、そうですが」
「……それにそもそも、今回の件以外に、何か問題が起こるとも思えない。マドレーヌは優秀だからな」
「……」
そんなにべもない返答を受け、クロードは出かかっていた言葉を一旦は飲み込み、ゆっくりと姿勢を直していく。
しかしそれは引き下がるという意味ではなく、むしろ長期戦を覚悟した、居住まいの正し方でもあった。もう一度だけくまのぬいぐるみにチラリと視線を送った後、今度は静かに語ってゆく。
「良いですか、セドリック様。そもそもあの子は、出自が全く不明です。そして退避が済んでいたはずのあの城下町で、まるでたった今逃げ出してきたかのような様相で、我々の前に走り込んできた。……おかしいとは、思いませんか?」
「つまり?」
「我々を帝国の重鎮と認識して接近してきた、ブランシャール側の密偵である可能性が高い、ということです」
「……クロード。私にこの宝剣があるのを忘れたか?」
セドリックは長めの鼻息をつきながら、腰に差してある宝剣の柄をぽんぽんと叩いた。
だがそれでもクロードは、納得がいかないとばかりに食い下がる。
「もちろん、承知しております。――『魔宝剣グランツェ』。権謀術数渦巻くこの帝国において、レステンクール家を代々謀略から護り続けて来た宝剣……ごく一部のもの以外、皇帝陛下すらも知り得ないその能力は、各国に伝わる秘匿や秘宝と同等の格であるとも評されてもいます」
「ああ、その通りだ」
「しかしその宝剣が有する能力は、あくまでも『触れている間、所有者への悪意を読み取る』ことだけと伺っております。嘘そのものへの察知は出来ないはず」
「……そうだ」
「であれば、あの子が嘘をついていないという証明にはなりえません」
ぴしゃりとそう告げたクロードに、セドリックはまたも鼻息を漏らす。
ちなみに、不可抗力だが宝剣には触れたため、セドリックはクロードが100%自分のためを思って発言しているという事が、ぼんやり見える魔力の渦の形で判別できてもいた。
……だからこそ、邪険にもしづらい。
セドリックは前髪を掻いた後、改まってクロードへと向き直った。
「マドレーヌに関しては、一度ではなく複数回、宝剣での見定めを行っている。そのうち敵対心や悪意を向けてきたのは、あの城下町で出くわした際のやりとりと、食事会で出自に関する質問を投げかけた時だけだ。それ以外での会話や、あるいは仕事をさせていたときに、私への悪意を抱いたことは一度もない。……信用に足ると、私は思うがな」
セドリックは堂々と、そう言い放った。
――ちなみに、補足をしておくと。
居眠りなどで意識がなかった場合、仮に宝剣を触れていたとしても観測が出来ないため、当然その悪意は分かりようがない。
また天候によって予定が崩れ、周りから休息を勧められるといった経緯で、あえて宝剣を帯刀しなかった場合においても、もちろん同様の結果となる。
するとクロードは、聞かされた内容に対し、思わず口角泡を飛ばして反論する。
「ちょ……ちょっと、待ってください、出自の質問で反応したと言うことは、間違いなくそこに、何らかの秘密を抱えているということではありませんか! それを分かっていてなお、ああして側に置かれているのです!?」
「落ち着け、クロード。……良いか? マドレーヌにとってここは、敵地のど真ん中だ。仮にやんごとなき身分だったり、あるいは我々と主義主張が異なっていたとして、それを表に出せば危険だという事ぐらい、子供でも簡単に判断はつくだろう。出自を隠すことは、何ら不思議なことではない」
「それは……確かに、そうですが……」
そうしてトーンダウンしたクロードを前に、セドリックはなおも続けた。
「名乗った時や、名前の由来を聞いた時、宝剣が強く反応していたことからも、マドレーヌという名が偽名だということは、なんとなく分かっている。そもそもマドレーヌという名前は、あまりに安直すぎるしな。とっさに口から出てきた単語だったんだろう」
「……なら、やはり……」
「ああ。あの場で飛び出してきたという経緯、あるいはドレスの着こなしやテーブルマナーを鑑みれば……恐らく彼女は、要人の娘か何かには違いない。例の秘密の通路を通って、逃げてきたんだろうな」
「で、では、もしや女王の……」
「あの時点で王家直系の血を引くものは、すでにブランシャール女王とルクレシア王女だけになっていることは、すでに分かっていたはずだろう? 女王は壮齢、王女も成人済。あの子が直系である訳が無い。隠し子の存在も、陛下が主導して調査させていたはずだ」
「確かに……そうでしたね」
「もちろん、わずかながら王家の血を引いている可能性は否定できない。が、それでも直系ではない以上、今となっては特に問題でもないはずだ。アマンダにも、出自を知る機会があれば探りを入れるよう伝えてはいるが……それはあくまでも、彼女の肉親探し目的でしかない」
と、そこまで言ったセドリックは、ふとある事を思い出す。
「……そうだ、クロード。最近アマンダに、マドレーヌの様子を見に行かせたな?」
「と、いいますと……?」
「とぼけるな。マドレーヌの寝坊癖から、夜中に何かしているのではと考えたんだろう」
「……」
考えを見透かされ、クロードは思わず視線を逸らす。
「何度も言うように、あまりアマンダを酷使してやるな。……確かにアマンダは、我々が最も信頼していた密偵だ。だが足を悪くした今はもう、一介のメイドでしかないんだぞ。これまでの功績を踏まえ、気楽な立場においているにも関わらず、あれこれ仕事を押しつけるのは、彼女にとっても酷だとは思わないか?」
「……はい」
渋々そんな返事をしたクロードに、セドリックは何度か頷く。
そしてそのまま、くるりと背を向けた。
「……話は以上か? 二人を待たせているんだ、さっさと向かいたいんだが」
「……。待って下さい。せめて私も、その食事会に同席させて下さい」
「それはダメだと、何度も言っただろう。マドレーヌにとって居心地の良い環境を作るという、そんな目的で設定しているのだからな」
そうにべもなく返されたクロードは、一旦は口を閉じかける。
しかしそれでも、ぽつりと漏らすように問いかけた。
「どうして……敵国の孤児にしか過ぎないあの子に、そこまで固執するのですか?」
「……」
「以前も伺ったとおり、あの子にだけ贖罪をしたところで、奪った命をなかったことには出来ません。それでも御心が救われたり、未練が払拭できるのなら、百歩譲って納得は出来ます。ただ、どうやら理由はそれだけではない様子。……何故あの子を、ここまで手厚く保護し続けているのです?」
「……」
「客人は客人として、もてなされる理由があるべきです。私のミスの帳尻合わせにしては、あまりに長い期間城に置いておきすぎですし、あるいは情報を聞き出すにしても、現地に赴き直接調査すれば良いだけ。……今もなお賓客扱いにしておく理由が、全く分かりかねるのですが」
今度のそれは、苦言や忠言ではなく、純粋な問いだった。
実際クロードの胸中には、これまでずっと、その疑問が渦巻き続けていたのである。
そしてそれを真正面からぶつけられたセドリックは、さすがに答えないわけにもいかず。長く長く鼻息を吐き、重い口を開いていく。
「……まだ、小さかった頃のことだ。亡き親父に連れられ、帝国とブランシャールの重鎮が参加する晩餐会に出席したことがあった。その際、ルクレシア王女の顔を垣間見たことがあってな。実は、マドレーヌは……その時の王女と、容姿がうり二つなんだ」
「……!? そ、れは、本当なのですか……!?」
「ああ。同じような年齢の子は王女しかいなかったから、ことさらはっきりと覚えている。だから城下町でマドレーヌと出くわしたあの時は、正直かなり動揺もした。『どうして、あの時のルクレシア王女がここにいる?』と、思わずそう口から出かかったほどで……」
「そういえば声を掛けた際、不思議なほど驚かれていましたね。……なるほど。だからあの子を監視するために、こうして帝国領まで連行してきたということですか」
「……」
相変わらずの頭の固さに、思わず閉口してしまうセドリック。
するとそんな様子を見て、クロードは突如、察する。
「……! まさかとは、思いますが……。セドリック様は――亡きルクレシア王女の面影を、あの子に重ねて……?」
「……」
今度の沈黙は、完全に図星だという意味合いが込められていた。
――そう。
つまり若きセドリックはその当時、ルクレシアに一目惚れをしていたのだった。
もちろん今となっては、その淡い恋心はすでに霧散している。
しかし当時の面影のまま、路地裏から姿を現したルクレシア……つまりマドレーヌを見た際は、もちろんこれ以上なく驚きもしたし、だから捨て置けずに連れ帰りもした、というわけなのである。
ばつが悪そうに視線を逸らしたセドリックは、そのままくるりと背を向ける。
「……今の話は、決して、決して誰にも口外するな。これはセドリックとしてではなく、レステンクール公爵としての、命令だ」
特にマドレーヌに聞かせては、沽券に関わる……そんな思いを言外に込め、鋭く言い放ったセドリックは、ぬいぐるみを抱え直しながら足早に去って行く。
そしてその場に一人残されたクロードは、その背中を眺めつつ、ふと呟いた。
「セドリック様。……あの子の容姿が、幼きルクレシア王女と似ているのなら……それはもう、王族関係者である事が、半ば確定的なのではありませんか……?」
――先も話題に上がったとおり、ブランシャール王族の直系は既に絶えていることは、公然の事実となっている。よって帝国側の視点からは、女王の忘れ形見などという線だけは否定がされていた。
ただそれでも、遠い先祖で繋がっていたり、あるいは傍系の血を引いていたりした場合。国を奪われた怒りというものは、少なからず抱いている可能性が高くもあって。
にもかかわらず、セドリックはどうやら、マドレーヌを排斥するつもりはないらしい。
先ほどの会話を鑑みるに、はるか昔に懸想をしていたというのもあるのだろう。
……と、なれば。マドレーヌの正体を暴き、セドリックの目を覚まさせる事が出来るのは……もはや、クロードだけということになるわけで。
「……私がどうにかするしか、ないようですね……」
完全に日が暮れ、辺りが真っ暗へとなってゆく中。
クロードはメガネを静かに上げながら、その決意を固めていく――。
*+*+*+*
両手では数えきれないほどになってきた、セドリックさまとの夕食会。
いつものようにそのメンバーは、私とセドリックさま、そして給仕を担当するアマンダの3名だけ。
……ただ、今日は一つだけ、普段と違っている点があった。
「……」
ちらりと横に目を配れば、そこには先ほどセドリックさまから貰った、大きなくまのぬいぐるみが置かれている。
曰く、先日のおもてなしのお礼とのことなのだけれど……何度も確認している通り、私は元は成人済み。
もちろん、セドリックさまの前だ。大げさに喜びはした。けれど、今更こんな子供らしいものを貰っても、心の底から喜ぶことなんて出来ない。
ふとぬいぐるみと目が合い、思わず苦笑してしまう。
……ただ、セドリックさまがこれを贈ってきた思惑そのものは、ちゃんとくみ取れてもいた。
おそらくは怖い夢を見ている私の為を思って、夜中部屋に一人きりでさみしくならないようにと用意してくれたのだろう。
その気遣いには、何だか温かなものを感じてしまう。
と、そこへアマンダが次の料理を運んできた。
「子羊の煮込みです。いつものように、マドレーヌさんは少なめにしてありますよ」
「……っ! え、こ、子羊……!?」
「……あら? もしや、好物だったのですか?」
そんな問いに、目を爛々と輝かせ、あり得ないほど首を縦に振ってしまう。
――見ただけで美味しいことが分かってしまう、丁寧に調理された柔らかなお肉。
くたくたになるまで煮込まれたであろう、コクのあるソース。
脇を彩るごろっとした野菜まで、なんだか宝石か何かのように見えてきてしまう。
いつもは絶対に冷遇する香草も、今なら何だか許してしまいそうになるほどだ。
……何の巡り合わせでこれが出てきたのか知らないが、お菓子のマドレーヌと対を成すぐらい、子羊を使った料理は私の大好物なのである。
そんな姿に、セドリックさまは薄い笑みを、そしてアマンダは口に手を当てて笑う。
「でしたら、とっておきのこの場でお出しする事が出来て、何よりです」
「ああ、そうだな。……そうか、マドレーヌは好物を前にすると、こんなに簡単に笑ってくれるんだな」
セドリックさまはぼそぼそと何かを呟きつつ、優雅な所作でお肉を口に運んでいく。
……そして、何故かふと、その動きを止めた。
「そういえば、ラム肉は……かのルクレシア王女も、大の好物だったか」
「……、…………!!!?!?!」
癖の全くないお肉に舌鼓を打っていた私が、その溢れんばかりの動揺を態度に表さなかっただけ、自らのことを褒めたいと思う。
その発言はそれほどまで唐突で、好物に浮ついていた私の心を、根本からえぐり取るかのような、強烈な強烈なものだった。
咀嚼も忘れ、思わずセドリックさまの顔色を伺ってしまう。
「ああ……すまん、独り言だ。……忘れてくれ」
ただその様子から察するに、どうやら私の正体が分かっていての発言ではないらしい。
かぶりを振った後、セドリックさまは何事もなかったかのように食事を再開してゆく。
……きっ、肝が冷えるどころの騒ぎじゃない。今の一瞬で、どれだけ寿命が縮まったことやら。
しかしそうなると、どうしてそんなことを言い出したのかが気になってくる。
「……その。ルクレシアさまとは、どんな関係だったの……ですか?」
しかしてうそぶきつつ、そんな問いを投げかけると。セドリックさまはふと、彼方の方へ目を向けた。
「……もうかれこれ、十何年ほどになるか。昔、ブランシャールと帝国が、通商協定を結ぶ機会があってな。結局数年で破棄されることになりはしたんだが……」
「……」
「その協定締結を祝した晩餐会で、一度だけ姿を見たことがあったんだ。こちらが一方的に眺めていただけだったが……その時も、ラム肉ばかりを美味しそうに頬張っていてな」
「……、……ぅ」
人知れず、うめき声を上げながら、顔を押さえ込んでしまう。
……滅茶苦茶、恥ずかしい。
確かにあの時は、どれほど重要な晩餐会だったか全く理解できておらず、ひたすら自分の好物を頬張ってばかりだった。
それをあろうことか、見られていたなんて……。
ただ、てんやわんやな私の胸中を余所に、セドリックさまはふと、寂しげな表情を浮かべだす。
「しかしそれも、もはや遠い過去の話だ。王女はもう……この世にはいない」
「……」
それに私は、ひたすら沈黙を返すことしか出来なかった。
――豪勢な料理が目の前にあるにもかかわらず、雰囲気がなんだか重たいものへと変わってゆく。
「……湿っぽくなったな、すまない」
セドリックさまはそうして一言詫びた後、肉を口へと運んでいったのだった。




