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逃亡幼女とライオンハート ~若返りし亡国の王女、敵国最強の公爵に拾われて~  作者: 山下 六月
第三章 ライオンハート

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第11話 雨の図書室


 それから、一週間ほど経った後。


「雨……降って来ちゃいましたね」


 はめ込み式の窓越しに、私はふと空を見上げていた。

 空は曇天、窓には雨粒、外から軽めにサァーという音が聞こえ出す。


「これで恐らく、視察の予定は飛んでしまったな……」


 サインを入れた書類を処理済の山へと乗せながら、セドリックさまがふとため息を漏らした。

 ……珍しいことに、執務室の机の上に乗っている未処理の書類は、今のが最後。

 もちろん、他にはまだ山ほどあるのだろうが、それでも一応今日の事務仕事は一段落ついたらしく、セドリックさまは珍しく大きな伸びをする。


「……これから、視察だったんですか?」

「ああ。今日はそれで、山ほどあった書類を急いで片付けていたんだが……この様子では雨脚が弱まることはないだろうな。何も言わなくてもクロードあたりが、既に取りやめの連絡を入れているだろう」


 セドリックさまはそう応じながら、黒い雲が延々と続く窓の外へと視線を向ける。

 すると噂をすればといった様子で、執務室のドアが控えめにノックされた。


「失礼します」

「クロードか。視察の件だな?」

「はい。……老朽化した橋を確認しに行って、それで万一増水した川に誰かが流されでもしたら、笑い話にもなりませんから」

「使者は?」

「既に送っております。日程の調整は如何致しましょうか?」

「任せる。それはそうと……」


 そこでふと手を組み、机に肘をついたセドリックさまは、処理済の山にチラリと目配せしながら続けた。


「今からの予定を、練兵に切り替えることは出来るか?」

「……。……オススメは出来ません。この天気では室内で基礎練をこなすか、座学に切り替えている部隊がほとんどでしょうから」

「なら、手つかずの書類をこちらに回してくれ。昨日も私の机の上から、相当な量を持っていっただろう?」

「……」


 クロードはそんな要求に対し、どこか思い悩むような顔を見せる。

 そして。


「すこし、休まれては如何ですか。以前とられた休日から、既に相当な時間が経っていらっしゃいますし……そもそも前回だって、休息を取られたわけでもなく、視察がてらの街案内だったと、後で伺いましたよ」


 そうしてこちらの方へ目を向けるクロード。


「……? えっ、それってまさか、私を案内した、あの日のこと……?」

「ええ。あの日以降、セドリック様は一日たりともお休みを取られておりません」

「……!」


 思わず振り返れば、セドリックさまは少しばつが悪そうに視線を逸らしていた。


「ちょうど良い機会です。喫緊の仕事はございませんし、少し息を抜いてみては如何でしょうか」


 クロードがそう諭しに掛かる。

 しかしセドリックさまは何かに急かされるかのように、食い下がった。


「……レステンクール公爵として、そして帝国の屋台骨として、率先して仕事に励まねば、下々のものもついてこないだろう」

「まぁ、そう言われたところで、実際仕事はありませんし。……」


 そこでクロードはまた、こちらに顔を向けてきた。


「マドレーヌさん。セドリック様はこのままでは廊下の掃除など、しなくても良い仕事にまで手を出しかねません。変な事に手を出さないよう、見張っておいて貰えませんか?」

「……。確かにセドリックさまなら、そういうことやりかねないかも……」

「ええ。甚だ癪ではありますが……現状手が空いているのは、貴方しかいませんし」


 クロードは本当に渋々といった表情を浮かべ、そんな頼み事をしてくる。

 ……どれだけ私の事が嫌いなのだろうかと半笑いになりつつも、私はそれに何度か頷きを返しておいた。


「よろしくお願い致します。それでは、私はこれで」


 そうしてクロードが執務室を後にする中。

 セドリックさまは軽いため息を漏らしてから、ふと何かを思いつく。


「……ちょうど良い機会だ。治政について、マドレーヌに教える時間にするか」


 ……確かにその提案は魅力的だった。ただそれでは結局、気は休まらないだろう。

 だからこそ、私は静かに首を振る。


「居眠りしちゃうくらいお疲れなんですから、ゆっくりお昼寝でもしてください」

「……」


 そうして優しく諭してもなお、セドリックさまは納得がいっていない様子。

 ならばと私は外を眺めつつ、ふと切り出した。


「ではセドリックさま、図書室に行きませんか? こういう日には、きっとぴったりだと思いますよ」

「図書室?」

「はい。まだ行ったこともないので、出来れば案内して貰えると嬉しいんですが……」



+++



「こんなに本が……」


 圧を感じるほど並んだ本棚を見上げながら、私は思わずそんな言葉を漏らしてしまっていた。

 セドリックさまは一つ苦笑を挟み、つかつかと書物の中に足を踏み入れてゆく。


「古い伝記や単なる測量結果など、面白くないものも多いがな。とはいえ、物語などの蔵書もなくはない。気に入ったなら、遠慮なく入り浸ってしまって構わないぞ」

「……いいんですか?」

「良いも何も、仕事の手伝いだけでは、得られるものにも限りがある。自ら書物を開かなければ、学びも深まらないしな」


 と、そこでセドリックさまは、とある一画で足を止めた。周りを見渡せば、そこには同話や小説などが所狭しと並んでいる。


「気に入った本があれば、部屋へ持ち帰ってもいい。ただし読み終わったら、ちゃんと元あったところまで返してくれ」


 そう言いながら、セドリックさまはふとその中の一冊を手に取った。


「……その本は?」

「これは私が幼かった頃、何度も読み返した絵本でな。為政者としての学びも得られる。読んでみるか?」


 そうしてセドリックさまは、その本を私に差し出してくる。

 ……そのボロボロの表紙を見れば、確かにセドリックさまが何度も何度も読み込んだと言うことがすぐに分かった。


「内政に関する指南書はあっちに、他国に関する書物はこの先にある。取れない高さのものはこれを使うと良い」


 近場にあったはしごを指さした後、セドリックさまはそのまま一人でつかつかと進んで行ってしまった。

 そうして一人取り残された私は、いったん古書の匂いを肺の中いっぱいに吸い込んだ後、ふと周りを見渡す。



 ――気になった本があれば、何でも読んで良いと言っていた。つまりそれは帝国の地理などの内部情報も、容易に調べられるということでもある。

 そこからは当然、食糧事情や軍備情報なども透けてくるはずで……つまりこの図書室への立ち入り許可は、レジスタンスにとってもメリットが大きい事柄だった。


 しかし。それでも私は、ため息を一つつく。

 ……また私は、セドリックさまの信頼を裏切るような事ばかり考えている。

 先日も軍事的機密を盗み見ただけでなく、勝手に部隊の撤退指示まで出すという大それた事をやってのけたばかりだというのに……。

 立場上仕方がない事だとはいえ、それでも自分のこの二面性には、我ながら呆れてしまう。



 と、そうして一人自分の世界に入り込んでいると。


「……どうかしたか?」


 脇に何冊か書物を抱えたセドリックさまが、いつの間にか私の顔を覗き見てきていた。

 慌てて繕う。


「ああ、えっと……今日はやっぱり、紹介して貰った本を読もうかな、って思って……」

「そうか。その本は文体こそ幼児向けだが、下手な帝王学より優れているところも多い。きっと学びに繋がるはずだ」


 セドリックさまはポンポンと私の頭に手を乗せると、入り口近くにあるソファへと向かっていったのだった。



+++



 セドリックさまが渡してくれた絵本は、なんてことはない内容だった。



 ――動物がたくさん住んでいる森に、住みよい場所を求めてライオンがやってくる。

 そして力任せに、森の動物たちを食べようとするのだけれど。動物たちは皆「私を食べても良いから、その代わり担ってきた森での仕事は、ちゃんと貴方が引き継いでくれ」と告げてくる。

 草刈り、木の実採取、食材管理……それらは森で住む皆のために必要な仕事であると説かれたライオンは、結局動物たちを食べるのを諦めざるをえなかった。

 そして住みよい場所の維持には、それ相応の努力が必要なのだと気づかされたライオンは、心を入れ替え、その力で持って皆を助けるようになっていった。

 そうしていつしかライオンは、百獣の王として、皆に慕われる存在になってゆく……。



 『森の動物たちとライオンハート』というタイトルのその本は、確かに為政者に必要な教訓を説いてはいた。

 しかしそれはあまりに初歩的なことでもあって、思わず背表紙を閉じながら苦笑いを浮かべてしまうほどだった。


 そうしてふと顔を上げれば、対面で本の背を開いていたセドリックさまが、つられてこちらを向いてくる。


「……どうだ?」


 そうして優しく感想を求めてくるので、私は思ったことを包み隠さず伝えていた。


「私にとっては、言うまでもないことかな、と」

「ふっ、そうか」


 セドリックさまは破顔した後、ふと寂しげな表情を浮かべる。


「……そうだな。普通ならば、言うまでもないこと……だな」


 そんなことを消え入りそうに呟くセドリックさま。


「でも、この国では……そんな当たり前のことすら気づかない人たちが、きっと大勢いる。……そうですよね?」

「……」


 それにセドリックさまは、肯定の沈黙を返してくる。


 ……そう。こんななんてことない道理を、皇帝をはじめとする大多数の帝国重鎮たちは、恐らく理解できてはいない。

 だからこそセドリックさまが、帝国の中で余計、際立って見えてしまうのだ。


「諭しては、いるんだ。だがきれい事だけで政は行えないのも、また現実でな。物語のようには行かないのが、辛いところだ」

「だから、立場を逸脱しない範囲で自分に出来ることをしようと、ああして仕事漬けの日々を……?」

「……」


 今度の沈黙は肯定というよりかは、むしろ図星をつかれたといった様子だった。

 ……なるほど、だからこそ無理をしてでも仕事を探したり、あるいは占領地であっても善政を敷こうとしている……。

 そんなことを見透かされてしまったセドリックさまは、答えを返す代わりに苦笑いを浮かべ、ばつが悪そうに手元の書物へと視線を戻してしまう。


 ――その書物はブランシャールの歴史が書かれたものだと、表紙からすぐに知ることが出来た。

 攻め滅ぼした国の歴史なんて、はっきりいって知る必要などないはず。それでもセドリックさまは、丁寧に丁寧にそれを読み込んでゆく。

 ……その性根の優しさと、息抜きの時間でもやはり仕事をしてしまう、その呆れるほどのワーカホリックぶりを垣間見た私は、ただただ肩をすくめ、困り眉を浮かべることしか出来ずにいた。


 静かにページをめくる音が、薄暗い図書室にゆっくりと溶けていく――。



+++



 そうしてしばらく、雨音をバックに本を読み進めていると。

 静寂な室内にふと、大きめのノック音が響き渡った。


「休憩中のところ失礼致します、セドリック様」

「……なんだクロード、衛兵に所在でも聞いたのか?」

「はい。少し確認したいことがございましたので、それで。……今、よろしいでしょうか?」


 そんな伺いに、セドリックさまは片手で本をパタンと畳んで応じる。

 するとクロードは、私にはあまり聞いて欲しくないといった視線を向けつつも、そのままセドリックさまへと体を向けた。


「たった今、プロヴィデンス地方に駐留していた部隊の一部が帰還したのですが……」

「……何か問題でも?」

「はい。指示していないにも関わらず、帰還した者たちがいるのです」

「……。その顔では、単なる命令違反というわけでもなさそうだな」


 クロードの険しい表情を読み取り、セドリックさまはスッと背筋を正す。

 ……そしてこのときにはもう、私は嫌な予感を覚え、冷や汗をかき始めていた。


「ええ。聞けばその部隊は、ブランシャールの残党を追討していたようです。山奥の鍾乳洞に逃げ込まれ追跡不可能となったので、それで戻って来たらしいのですが……実は事前に報告を送り、こちらから帰還するよう指示を受けたと、そう主張してきているのです」

「……? そんな報告も指示も、記憶にはないが……」

「はい。他の宰相達にも確認したところ、誰もそんな指示はおろか、報告を受けてもいない、と」

「……」


 思わず押し黙ってしまうセドリックさま。

 ……私はもう、このタイミングで腹をくくるしかなかった。


「あ、あの……その指示、私が出しちゃったんですけど……」


 本当に恐る恐る、私は右手を挙げながら名乗り出る。


「……本当か?」

「はい。セドリックさまが以前居眠りをされていた時に、少しでも負担を減らしたくて、机の上の書類に手を付けたときがあったんです。それで、ブランシャール関連のものだったし、これも私が判断できるかなって思って、つい……」


 おっかなびっくりそんな申し出をすれば、思いがけないところに犯人がいたからだろう、二人は思わず互いに顔を見合わせる。

 そして数秒の後、口火を切ったのはクロードの方だった。


「……セドリック様が担当されている書類には、高度な判断を要求されるものも多数あります。今回の件も、仮に撤退によって王族関係者を逃したとなれば、ブランシャール領の統治に多大な影響が出てしまいます。それを……」

「まあ良いじゃないかクロード。実際、その判断は間違っていない。話を聞く限り、私も恐らく同じ指示を出しただろう。たかだか残党狩りの為に兵を割いたりする余裕はない」

「しかし、セドリック様……!」

「分かってる、心配するな」


 そうして安心させるような声色で応じた後、セドリックさまは改まってこちらへ向き直ってくる。


「とはいえ。クロードが言ったとおり、機密を扱っている書類も多い。それに思った以上に、判断が難しいものだってある。……マドレーヌに手伝って貰っている仕事は、事前にある程度目を通して、任せても大丈夫そうなものだけを回しているんだ。だから今後は任されたもの以外は、許可なく触れないようにしてくれ。それから……私もなるたけ、居眠りはしないようにする」


 そうして最後は冗談めかして、肩をすくめるセドリックさま。……十二分に気づかってくれたのが、そんな行動からも見て取れる。

 そんな優しさに、私は二重の意味で縮こまってしまっていた。


「わかり、ました。……ごめんなさい」

「よし。……ちなみに、他にはどんなものを処理したんだ?」

「あ、えっと……他にもやろうと思ったんですけど、税制についてとか、難しいものばかりだったので……それ以外は、触ってないです」

「そうか。その判断は正しいぞ、マドレーヌ。ならひとまず、この話はここで終わりだ。……クロード。件の帰還部隊は、他の帰参兵と同様の対応をしておいてくれ」

「……」

「クロード、どうかしたか?」


 ふとセドリックさまが、クロードへ顔を向ける。

 するとクロードはようやく訝しんだ表情を崩し、慌ててそれに応じていった。


「あ、ええと……かしこまりました。休暇を取らせます」

「ああ、頼む」


 その受け答えを聞き、セドリックさまは安心したようにゆったりとソファの背もたれにもたれかかり、読書を再開してゆく。

 そして何とか窮地を切り抜けることが出来た私も、どっかりとソファへ腰を落とすと、人知れずため息を漏らしていた。


 ……何とかごまかすことが出来たようだ。もし対応を一つ間違えていれば、最悪のケースだってあり得た。



 と、そんな事を考え胸をなで下ろす中。


 ――クロードだけはなおも疑り深いまなざしで、私の事を見つめ続けて来ていたことに……このときはまだ、気づきもしなかったのだった。




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