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狐の嫁入り―千年の執念を飲み干して、私は神を飼い慣らす―  作者: もふおのしっぽ


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第8話:朱の褥(しとね)、逃れられぬ完成

 横抱きにされた私の視界で、白い蕎麦の花が流れていく。



 かつては天国のように見えたこの景色が、今は自分を閉じ込めるための巨大な棺桶の装飾にしか見えない。



(……間違いだ。こんなの、絶対に間違っている)




 脳裏を支配するのは、叔母であろう石化した唇。



 おばあちゃんの掠れた警告。

 それらが、執拗に打ち鳴らされる警鐘のように響き渡る。


 (あの石は叔母さんで間違いない……)



 けれど、私を抱く朔夜の腕は、鋼のように強固で冷たかった。



「どうしたんだい、花耶。そんなに強張って」



 囁きが耳元を掠める。

 甘い愛の言葉のようでいて、その実は、獲物が逃げ出さないかを確認する捕食者の声。



 彼は私の頬に自分の頬を寄せ、愛おしげに、けれど逃がさないという執着を隠そうともせずに、屋敷の最奥へと歩みを進める。



 重厚な襖が開かれ、足を踏み入れた寝室には、現世では見たこともないような鮮やかな朱色の寝具が広がっていた。朔夜は私をゆっくりと、その朱の上に横たえる。



「ここは、現世のことわりも、あの忌々しい村の掟も届かない場所だ。……お前はもう、私だけのものなんだよ、花耶」



 白い無垢の帯に手がかけられ、ゆっくりと解かれていく。指先が触れるたび、肌には粟立ちが走る。それはかつての「ときめき」などではなく、生存本能が叫ぶ「逃げろ」という絶叫だった。




「……朔夜様。一つだけ、教えてください」




 自分を覗き込む三日月の瞳を、真っ直ぐに見つめる。声は震えていたかもしれない。けれど、私の目からは「心酔」の光はすでに消え去っている。



「叔母さんは……沙耶叔母さんは、ここで何を見たのですか?」



 その問いに、彼の手がぴたりと止まった。


 一瞬の沈黙。

 部屋の中を、外を流れる天気雨の音だけが支配する。



 やがて、彼の唇がゆっくりと弧を描いた。それは、隠していた化けの皮が剥がれ落ちたような、残酷な笑みだった。



「彼女はね、花耶。……最後まで、『人間』を捨てきれず、ただの石になった」



 首筋に鼻を寄せ、深く、深く、その「残り香」を吸い込まれる。




「だが、お前は違う。十八年だ。お前が生まれる前から、私はお前を、私に馴染むように『磨き上げて』きたのだから。……お前は石にはならない。私を救うための、最高の器になるんだ」




 その告白は、愛よりも重く、死よりも冷たい呪縛だった。



 私は悟る。この男にとって、私は愛する対象などではない。あの沢山の石化した女の子たちと同じ――ただの代替品に過ぎないのだ。



(馬鹿馬鹿しい。私は何を、一人で恋をしているつもりだったの……)



「さあ、始めよう。我らの一族が、再び生を得るための祝宴を」



 朔夜の影が、私の視界を真っ暗に塗りつぶしていく。私は朱色の寝具に押し倒されたまま、冷めた声で問いかけた。



「……じゃあ、私があなたを受け入れるのをやめたら、私も同じ薪になるの?」



 庭に並ぶ石の花嫁たちのように、私も絶叫の形のまま固まる運命なのか。朔夜は一瞬だけ、悲しげに目を細めた。けれどすぐに、その瞳には逃れられぬほどの熱が宿る。



「ならない。ならないよ、花耶」



 壊れ物を扱うような手つきで、けれど指先が白くなるほどの力で頬をなぞられる。



「お前は、私を受け入れ、受け止めた。……完全な存在なのだ。沙耶のように壊れたりしない。私のすべてを、その魂の奥まで蜜として飲み干したお前を、私が放すはずがないだろう?」



 もはや愛の告白ではない。それは、神としての自分を維持するために「器」に依存しきっている、怪物の切実な悲鳴だった。



 襟元に顔を埋められ、鼓動を確かめるような呼吸が繰り返される。



「お前は、私の一部になるんだ。……いや、私が、お前の一部になる。この腹の中に、私の一族の未来を、千年の孤独の終焉を、すべて預ける。お前が拒んでも、お前の身体はもう、私を求めて疼いているはずだ……」



 彼の言う通りだった。十八年かけて加工された私の肉体は、彼の冷たい指が触れるたび、本能的な悦びに震えてしまう。心はあんなに拒絶しているのに、身体だけは「最高の快楽」として彼の毒を欲しがっている。



「……気持ち悪い」



 耳元で、はっきりと拒絶を吐き捨てる。



 けれど、彼はそれを聞いて、むしろ悦びに打ち震えた。



「ああ……いい。もっと言ってくれ。その憎しみのこもった声さえ、私には至高の祝福だ。お前の憎しみも、怒りも、すべて私が飲み込んでやる。その代わりに……私の一族のすべてを、お前に注ぎ込む」



 三日月の瞳が、暗闇の中で妖しく光る。



 襖の向こう、庭の石像たちが一斉にすすり泣くような音がした。それは嫉妬か、あるいは自分たちが成し得なかった「支配」を完遂しようとする者への、無言の拝謁か。



 私は目を閉じた。朱色の闇がすべてを呑み込んでいく。



「……逃がさない。……お前の魂だけは、私の腕の中から逃がしはしない」



 それが、私たちが「交わる」瞬間に聞いた、最後の言葉だった。

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