第9話 ヤンデレの隠し属性
「春木さん、私、そういうのあんまり知らないんだけど……男の人ってこういうの好きだよね?」
森山しおりの手がスカートの裾に伸びた。
ゆっくりと持ち上げられると、黒いストッキングと布地の間に、真っ白な太ももの肌が露わになる。
横から見れば、誰が見ても間違いなく森山しおりの下着が覗いてしまう角度だった。
「これが、私のお礼」
大胆すぎる行動だ。
もし他の誰かに見られていたら、森山しおりは欲求不満の変態女だと決めつけられていただろう。
だがその誘惑を前にしても、春木海斗の表情は微塵も揺るがなかった。
次の瞬間――森山しおりの頬が明らかに赤く染まった。
視線が徐々に下に落ちていくと、春木海斗の手が彼女のスカートの中に滑り込んでいるのがわかった。
前にも言ったように、シミュレーション世界では春木海斗はすでに森山しおりと「最後の一線」手前まで何度も経験済みだ。
身体に秘密など残っていない。だからこそ、こんな誘惑にも冷静でいられる。
似たような場面はシミュレーションで数え切れないほど繰り返されてきた。もう慣れっこだった。
「す、すご……春木さん、ほんとに大胆だね。叫ばれたらどうするの?」
森山しおりの身体が小刻みに震え、顔は真っ赤、息遣いも荒い――完全に興奮の兆候だった。
そう、森山しおりはヤンデレであるだけでなく、隠れたマゾヒストの属性も持っていた。
実際、ほとんどのヤンデレにはマゾっ気があると言われている。
アニメや小説でもよく見るし、現実の森山しおりも例外ではなかった。
この隠し属性に気付いたのは、6回目のシミュレーションのときだった。
「先に言っておくけど、大胆なのはこっちじゃなくて君の方だよ。僕はただ、君が望む通りにしてあげてるだけ」
春木海斗は感情の起伏を一切見せず、淡々と答えた。
こうやってたまに主導権を握れる瞬間もあるが、大半の時間はやはり森山しおりを恐れている。
その恐怖があるからこそ、彼女のマゾ属性が刺激されると、どこか楽しんでしまう自分がいる――
おそらく自分にもサディスティックな部分があるのだろう。
「ご、ごめん……こんなことしちゃダメだったよね。もうやめて。お願い。誰かに見られたら大変だよ……」
森山しおりはかすかに喘ぎながら言った。
言葉では拒否しているが、本心では春木海斗にやめてほしくなどなかった。
ようやく店員がデザートとドリンクを持って現れたことで、春木海斗は手を引いた。
離された瞬間、森山しおりの顔にははっきりと名残惜しさが浮かんだ。
「春木さんがこんなに変態だなんて思わなかった」
目の前のデザート皿を手に取り、添えられていたスプーンを握ると、森山しおりは春木海斗の方を見た。
頬の赤みはまだ完全に引いておらず、ダークブラウンの瞳には小さなハートが二つ、チラチラと揺れているように見えた。
「同じだよ。しおりちゃん、想像以上に変態だった――外見はあんなに清楚なのに」
春木海斗もスプーンでケーキを一口すくい、口に運んだ。
「ん、これは二人だけの秘密だよ? 絶対に他の人には言っちゃダメだからね」
森山しおりは人差し指を唇に当てて「しーっ」とする仕草をし、左目をウィンクさせた。
そして再び春木海斗に身体を寄せる。
さっきの興奮でまだ息が上がっていて、胸の上下がはっきりとわかる。
「ねえ、春木さん……名前で呼んでもいい? 恋人同士みたいに」
日本では、苗字で呼ぶか名前で呼ぶかは、関係性の深さを如実に表す。
苗字は普通の友達、名前呼びはかなり親密な間柄だ。
シミュレーション世界でも、森山しおりは必ずこのお願いをしてきた。
ただ名前で呼ぶだけでなく、自分も名前で呼ばれたいという、ヤンデレ特有の独占欲だった。
春木海斗自身は苗字でも名前でも特に気にしないが、森山しおりにとっては家族と自分以外に「海斗」と呼ばれる権利などあってはならない。
「春木さんも、私のこと名前で呼んでね?」
予想通り、森山しおりは春木海斗にも名前呼びを要求してきた。
空気が徐々に甘く、繊細になっていく。
森山しおりの身体は熱を帯び、モノクロだった世界に少しずつ色が戻り始めていた。
「もちろん、いいよ。しおり、でいいよね?」
森山しおりの名前を呼ぶのは春木海斗にとって初めてではない。
だからこそ、ごく自然な響きで言えた。
「うん、そう。海斗」
森山しおりも笑顔で返した。
まさに恋人同士のような雰囲気が漂い始めたその瞬間――
「えっと……ちょっと普通に戻ってくれない? 周りの人、かなりこっち見てるよ」
春木海斗は、周囲の通行人が驚いた顔でこちらを凝視しているのを指さした。
それに気付いた森山しおりは少しだけ我に返った。
表情を平静に戻し、何事もなかったかのようにデザートを食べ始めた。
周囲の視線もようやく逸れていったが、中にはまだヒソヒソと何かを囁き合う人もいた。
春木海斗はそんな視線を無視した。
9回のシミュレーションを経て、彼は一つの法則に気付いていた。
森山しおりは確かにナイフを振り回すヤンデレだが、よほどのことがない限り見ず知らずの他人を襲うことはほとんどない。
標的になるのはほぼ知り合い――特に春木海斗その人だ。
関係が近ければ近いほど容赦がない。
彼女は春木海斗に極端に依存しているからこそ、少しでも「裏切り」の気配を感じると理性を失い、ただの恐ろしい怪物と化す。
だが、初期のヤンデレ値が徐々に下がるにつれ、春木海斗は森山しおりの変化をはっきりと感じ取っていた。
初期値120と110の最大の違いは、「他の女の子と話しただけ」ではもう刺されなくなったことだ。
もちろん、ここで言う「話しただけ」は普通の会話に限る。
あまりに親密な雰囲気になると、まだハチェットエンド(斧エンド)の可能性は残っている。
ヤンデレ値が100を切れば、彼女はもう気軽に暴力を振るわなくなり、春木海斗の自由度は格段に上がる。
少なくとも女の子との会話くらいは許容範囲に入るだろう。
それ以上については……まだ試していない。
残り6回のシミュレーションが、最後の検証の機会になる。
……
カフェを出たときにはすでに13時半を回っていた。
外の気温は店内の暖かさとはまるで別世界だった。
春木海斗は少し身体を慣らしてから、森山しおりと最後の言葉を交わした。
「今日はここまでで。払わせちゃって本当にごめん」
森山しおりは深々と頭を下げ、申し訳なさそうに言った。
「いいよ。男が女の子におごるのって普通でしょ?」
「そうなの?」
森山しおりはくすっと笑った。「じゃあ、またね」
そう言って、森山しおりは踵を返して歩き出した。
その背中を見送りながら、春木もまたその場に留まることなく歩き始めた。




