春 5
庄司さんが鍵を開け、広い土間になっている上がり框でパンプスを脱ぐ。俺も大江さんも、他のスタッフと宮川さんも庄司さんに続いた。
「のぞみさーん」
呼び掛けの声に、奥の四畳半の和室から返事があった。弱々しく、苦悶に満ちた声で。
庄司さんは、「開けますよ、大丈夫ですか」と声を掛けてから襖を開けた。
そこには、敷きかけの布団の上に身体を丸めてうずくまるのぞみさんの姿があった。庄司さんも俺も大江さんも彼女に駆け寄る。のぞみさんは脂汗をかいていてだんごむしのようにお腹を庇うように丸まっている。
肩に手をかけた庄司さんは、ハッとしたように手をあてる位置をのぞみさんの額、首筋へと移動させた。
「熱がありますね」
まるで熟練の看護師のように冷静な庄司さんとは対称的に大江さんはスマホを取り出しどこかへ慌てて電話を始めた。しかし、慌てすぎて何度もフリック操作を間違えている。なかなか電話を掛けることができないようだ。
「のぞみさん、お腹が痛い?」
問いかけにのぞみさんは顎をわずかに引いた。おそらく、襲ってきている激痛に耐えるのに精一杯なのだろう。
「えっ、救急車が出払っている? しかも、受け入れ先の病院がない? うわ、どうしよう庄司ちゃん」
「え……そんなことを言われましても。タクシーは待たせてますけど、病院がないんじゃ。のぞみさんの所属プロダクションにも連絡しておいた方がいいです」
「俺が東京まで送っていこうか。ちょっとばかしガタガタするが軽トラックなら荷台で寝かせられる」
宮川さんも心配そうに提案してくれるが、それは止めておいた方がいいでしょう。
本当なら実家を出た今、親を頼らないと決めた。しかし、もしかしたら実家を頼れば、のぞみさんを助けられるかもしれない。目の前の苦しんでいるのぞみさんを助けなくては。そうは思うのにふんぎりがつかない。
「……大江さん、受け入れしてくれる病院ありそうですか」
「それがねぇ、ここから一番近くて、ひとつっきりしかない総合病院の近くの高速道路でさっき大きな事故があったらしくて、その患者さんが運び込まれててんやわんやで受け入れしてもらえないみたい。そもそもその事故の規制で、東京方面マヒしているみたい。カオルくんと庄司ちゃんもカオルくんのスマホ取りに引き返してなかったら、今ごろ、その事故に巻き込まれていたかも……」
庄司さんは目に見えて真っ青になった。ここは陸の孤島になってしまったようだ。のぞみさんの苦悶のうめき声は、本当に痛そうで。しかたがない。人命にはかえられない。俺は覚悟を決めてポケットからスマホを取り出した。
* * *
「たかが虫垂炎の患者をヘリで移送するなんて、さすが御曹司だな」
彼はこの病院の外科部長を任されている人物で、佐藤祐という。腕は確かだが皮肉屋でいけすかない男だ。いそいそ屋上へとやってきたと思えば、のぞみさんを他の医者や看護師に任せて移送したのち、ひとりその場に残ってねちねちといたぶってくる。
撮影に使わせてもらっていた宮川さんの家の裏には広々とした畑があった。
宮川さんは小さな家族用の畑だと言っていたけれど、充分に広い。覚悟を決めて姉に連絡を取った俺は、病院が所有している医師付きのヘリコプターをまわしてもらうように頼んだ。
ヘリコプターは、しばらく使わずカチカチになった畑の上に停まり、のぞみさんを乗せて都内の総合病院のヘリポートへと急いだ。
「すみません。色々と事情がありまして」
言葉を濁すと佐藤は鼻で笑う。
「あなた方医師にはたかが虫垂炎でも、腹膜炎や消化管に穿孔を起こせば死亡率も上がる。優秀な貴方はもちろんご存知でしょうけれど」
「もちろんだ。ふん……意外だな」
少し怯んだ様子の佐藤に背中を見せて、エレベーターのボタンを押す。あがってきたエレベーターに一緒に乗り込む。少しも同じ空気は吸いたくないけれど。さっきひけらかした知識もカケルの医療ドラマのセリフ練習のおかげだなんて、悟られたくはないし。
「事務所の方に説明もしなくちゃいけませんし、これで失礼します」
手術室のフロアに着くなりさっさとエレベーターを降りた。庄司さんが先に付き添って下りてくれたけれど、のぞみさんは無事手術を受けられただろうか。
この田舎暮らし企画はこれで撮影が継続できなくなり、差し替えの別の企画がオンエアされるだろう。
これからの仕事はどうなるだろう。
ふと電源を落とし忘れていたことに気付いてスマホを手にすれば、メールが入っていた。最近よく仕事をしているテレビ局の統括プロデューサーからだった。




