夏 12
「転校していった鷹尾と高校が一緒になっていたのは気付いていたけど……引っ越し先は近くだったの?」
小学校区は違っても同じ高校に通える範囲だったのだろうかと思い、そう聞けば鷹尾はゆっくりと頭を振った。
「父の仕事の都合で北海道にいた。母は俺の仕事のこともあるから東京にいたいって主張したんだけど、家族が離れて暮らすなんて信じられないって言ってさ」
「……それっていい父親じゃない?」
「まあ、でも結局そのときの口論がきっかけで夫婦仲が冷えてさ……結局離婚」
「……そ、うなんだ」
あの頃会うたびに挨拶を返してくれていたおじさんの姿が頭に浮かんだ。
「それまでもレッスンや仕事で週末だけ飛行機で東京には通っていたんだけど、離婚して俺たちだけ東京に引っ越してきたんだ。会いたかったけど、由紀に最後に言った言葉が俺の中で引っ掛かってて……庇ってくれたのに、あんな言い方してごめん」
「いいよ、もう。なんて言われたかも忘れてた」
「結構な視聴率だったのに、まさか由紀が観てないと思ってなかったし。あいつらにもドラマと現実と混同させるなんてバカだってそれしか考えてなかった」
俺も若かったからさ、と今も充分若い鷹尾が笑う。
「うん、ドラマの話だったって後から聞いた。うち、その頃現代ドラマとかバラエティー観ない家でさ」
鷹尾は少しいたずらな目をして言った。
「うん、由紀が会話の内容分かってないのも気付いてた。でも嬉しかったんだ。ちょっとは……由紀の家ってテレビないのかなって思ったけど」
「そんなわけないでしょ、この平成の世に」
「だよね」
そのときホームに滑り込んできた新幹線が停車した。私たちは少し戻って指定の席に座る。幸い乗客は少なく私たちは少し声を落として会話を続けた。
「そのあとカオルとコンビを組んで大当たりして、事務所が借りた部屋で暮らすようになって……高校も芸能人がたくさん通ってるところを事務所には勧められたんだけど、俺、どうしても由紀と一緒の高校に行きたかったんだよね」
「どうして? 私がどこの高校に行くかなんか分からなかったはずなのに」
鷹尾は意味深ににこりと笑った。
「まあそれは色々ツテがあったから知れたんだけど。それより由紀と限られた時間を一緒に過ごしたくてって言ったら信じられる?」
限られた時間という言葉にひっかかりながらも、どこか嬉しくて。でも素直にそれを今さらどんな顔で表現すればいいのか。結局いちばん無愛想な顔になってしまったという自覚がある。
「ストーカーじゃないのかって思う」
「プッ、本当だよね。うん……でも、その頃には面は割れてたし、そのままでは入学出来なかった」
「だから地味な鷹尾を演じてたってこと?」
「まあ……そうなるかな。実は本質は結構あちらに近いんだけどね」
鷹尾がペロリと舌を出す。コケティッシュな表情も地味な鷹尾バージョンではなんだか違和感がある。
「近くにいたいけど、話しかけるには緊張しちゃって。おかしいよね、何百人もの前で演じたり歌ったりできるのに、たった一人の女の子の前で平常心でいられなくなるなんて」
窓の外は真っ暗で、窓は鏡のように車内を映している。窓に反射した鷹尾と目が合った。
「そんな時、由紀が僕らの……ことを好きだって知った。嬉しくて、番組を観てどう思ったのかとか、どんな曲が好きなのかとか、全部知りたかった。家まで来てくれたときは、息が止まるかと思った。逃がしちゃダメだって、がんじからめに縛ってそばに置いておきたいって……病んでるよね」
自嘲した歪んだ表情の鷹尾が哀しくて、でもどうしたらいいのか分からなくて、目もそらせずにじっと窓に反射した鷹尾をみつめていた。静かに淡々と語られる感情の吐露に、胸がぎゅーっと苦しくなった。
「結局由紀はK’sのカケルが好きなのであって、俺のことが好きなわけじゃない。そう反省した。だから……本当にごめん。もうつきまとわないようにする」
苦しげな鷹尾の顔に胸がズキズキした。
「なにそれ。結局また自己完結させるの?」
なんだろう。さっきまでフワフワしていた気持ちが、苦しくなったかと思うと、次は棘を持ち出した。
「だけど、好きでもない男と一緒にいるの嫌だろ」
「嫌よもちろん。だけど……鷹尾のことは……嫌いなやつじゃ、ないと……思う」
「え……?」
「だーかーらー、さっきコイビトだからって呼び捨てにしたんでしょ? なのに今度は別れる話? まだ付き合ってもいない仮の関係なのに別れるとか偉そう!!」
「偉そうって……!」
由紀面白い、と鷹尾が笑う。目には涙まで浮かべて。
「だから一度括弧仮を外しなさいよ、別れる話はそれからで良いじゃない」
「いいの? 括弧仮を外したら、俺のタガも外れちゃうかも知れないよ」
鷹尾の前髪の奥で、カケルの妖しい瞳がキラリと光った。
「そんなに簡単に外れるタガは返品して」
「へ、返品って……!」
鷹尾がすっかり砕けてクスクス笑った。変な緊張感が霧散して私も息をついた。
「括弧仮を外すだけだから。変なことしたら別れるからね」
「変なことってどんなこと? じゃあ、キスは……?」
色気を醸し出しつつ、鷹尾が迫る。
「だ、め……」
抗う手が捕まり座席に押し付けられる。が、すぐに解放された。
「ま、いっか。由紀の嫌がることしないって決めたし。」
自分で拒否しておきながら、物わかりのいい態度に苛立ちを感じる。余裕のある笑みを崩してやりたいと、そう思った。
だから、離れ行く鷹尾の胸ぐらを掴んで引き寄せた。鷹尾が驚いて目を丸くするのをしたりと思いながら、強引に唇に唇を押し当てた。ガチンと前歯が当たって、その痛みに呻く。
「意外と……大胆なんだね」
同じく痛かったであろう鷹尾も、口元を手のひらで覆う。
「鷹尾からはダメ」
「ええ~、それはヒドイ」
異議を唱えてながらも鷹尾はどこか嬉しそうだ。
「括弧仮を外したってことは、今は本当の恋人ってことだよね」
「……そうだね」
だから、はい。と、手を伸ばされる。
「なに?」
「手を繋ぐくらいはいいよね? 俺からは握らないから由紀から握って。ほら早く」
渋々と手を握れば、大きな手のひらから熱が伝わってきた。
嬉しそうな鷹尾に、まあいいか、なんて思っている私はもう随分流されている。
「由紀から迫られるっていうのも楽しいよね」
鷹尾の口から飛び出した不穏な台詞に、手を振りほどこうとしたが、逃がさないとばかりに強く握られてしまった。
東京駅に着いて、タクシーに乗り家まで送ってくれた鷹尾は、タクシーのトランクからピンクのキャリーバッグを下ろしてくれた。
それから、少し残念そうな表情で微笑む。
「せっかく想いが通じて本当は離れたくないんだけど、仕事があるから戻るよ」
「うん……」
「由紀にもみんなにも迷惑掛けちゃったから、今度からは公私混同しない。由紀もスタッフに今は会いにくいだろうから、無理にとは言わないけど……東京で待ってて。最終日、由紀が来てくれるのを待ってる」
「そうだ! 私、臨時のバイト放り出して来ちゃった……!」
「うん、まあ、でもあれは俺の我が儘で無理矢理作ってもらったやつだから、大丈夫。庄司さんには怒られなれてるし」
待たせたままのタクシーの運転手に聞かれても差し障りのない内容で手短に会話を交わし、鷹尾はまた大阪に戻っていった。
私は手渡された紙袋に視線を落とす。中には鷹尾が新大阪駅で買ったお土産物が入っていた。由紀のお母さんのリクエストには応えられていないけれど、一応といって。
「ただいまー」
玄関のドアをそっと開けて入って見れば、もう家の中は静まり返っていた。
「……だよね」
そのまま家族を起こさないように自分の部屋に入り、ベッドの横にキャリーバッグを置いた。
母が勝手に詰めた荷物を、洗濯物と箪笥に戻すものを選り分ける。いつ使うんだと大笑いしつつ茉莉と選んだセクシー下着が入っているのに気付いて、母の大物ぶりにベッドに突っ伏した。
とたん、ピコンとメールの着信音が静かな部屋に響いてびくっと身体をすくめた。
「……忘れてた」
スマホのメーラーを開いてみれば、それは鷹尾からのメールだった。
内容は、補習テストのことだった。
日程は八月十四日、ツアーの最終日の翌日だ。
「『教えてあげられなくなったけど、頑張って予習しときなよ。ヤマを張った問題集をカバンの中に入れといたからね』……」
随分下の方まで余白が取られていて、それをスクロールしていくと。続きがあった。
「『カバンの中に何が入ってるとか、見てないから\(^o^)/』
……絶対見てるよね、これ。わざわざ送るか」
残念過ぎるだろうと呆れていると、ピコンともう一通のメールが届いた。
「『嫉妬する由紀も見たいけど、愛してるのは由紀だけだから。次の休みにはデートしようね。由紀から色々してくれるのを楽しみにしてる』って……」
仕方がないなぁもう。と、にやけそうになる顔を引き締めながら、キャリーバッグの底に入っていた問題集を机の上に載せた。
余談ではあるが、人気もののK’sに休みの日はなかなか訪れなかった。そういうわけで、新学期が始まった今でもその約束は果たされていない。
鷹尾は相変わらず学校では存在感を消して過ごしていたし、早退したり、休んだりという日も少なくなかった。
ただ……鷹尾に対する私のつんけんした態度はすっかり無くなっていたものだから、麻里があのあと鷹尾と私に進展があったのではないかとしつこく食い下がってきた。
だから付き合い始めたということだけ麻里には告白したのだが……。(仮)が取れただけで私たちはまだ何も始まっていない。
始まれていない。
東京ドームのライブには行ったが、あらかじめ自分の取っていた席で入ったから、鷹尾に会うことなど叶わなかったし、補習のテストの日でさえ、挨拶以外交わす暇もなかった。
これでは前歯の痛かったキスさえいい思い出にしてしまいそうだ。
今度鷹尾とゆっくり話す機会が取れたら……問題集のお礼を言おう。そう心に決めて移動教室の準備を調えて廊下で待つ麻里のところへと急いだ。
(夏ツアー篇おわり)




