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夏 10

「はい、これあげる」

「へ?」


 麻里は私の手のひらに乗車券を置くと、鷹尾の腕に腕を絡ませた。


「男が出来たって言ったじゃん、由紀がぼやぼやしてるから悪いんだよ」

「え……うそ……」


 信じられなかった。麻里に出来たという彼氏が鷹尾だったなんて。いつそういう話になったんだろうか。

 バックステージツアーで楽屋に入ったっていうとき?

 まさか! 私以外にも正体をばらすなんてこと信じられなかった。

 まさか麻里も脅されているんじゃないの?

 でもでも! 麻里の挑戦的な視線は弱みを握られている人間のそれじゃなかった。

 鷹尾の表情は……長い前髪に隠されて窺えない。


 私は……仮とはいえコイビトじゃなかったの?


 自分の意思でホテルを出たにも関わらず、身勝手な私は鷹尾が他の女の子と付き合うと聞いたら嫌みたいだ。


 それとも、私の仮契約はカケルのときだけってことだったのかな。胸がズキンズキンと痛い。こんな気持ちが私の中にあったことに驚いた。

 無くしてから欲しいと叫んでも遅いのに。

 無くしてからしか自分の気持ちに気付けないなんて。


 K’sのことは好きだった。だけど、それは憧れみたいなもので、そこに理想の王子様の姿を重ねていたんだろう。

 自分の周囲に突如現れた理想の具現は酷く人間臭くて……憧れが目の前にいることに浮かれつつも戸惑っていた。


 視界に入ると気に障っていた鷹尾は、いつも私の視界の中にいて。自分のいいところも何もかも消して空気のようにあろうとする鷹尾が気にいらなかった。

 麻里のいう通り、私は鷹尾をずっと目で追っていたのかもしれない。

 それが好きだとか、何だとか気付けてはいなかったけれど、その存在を気にしていたのは事実で。

 正体を知ってからは赤と青の線がぶれたように見える3D映像を、3Dメガネ無しに見ているみたいに気持ち悪かった。


 鷹尾がそっと腕に絡んでる麻里の手に手を重ねて、それを外した。そして仲良さそうに何かを話している。


「下田さん、誤解を生むようなことしないで。友達でしょ?」

「だって。由紀が煮え切らないんだもの」

「即興過ぎるよ。いきなり彼氏役とか畏れ多いっていうか普通に驚いた」

「でも効果あったでしょ。こういうのを吊り橋療法っていうのよ」

「なにそれ聞いたことないから。それを言うならショック療法でしょ。ああ……ほら、由紀が泣いてる」

「……」

「なに?」

「いや……鷹尾ってそんな話し方も出来たんだな、って」

「そりゃね。好きな女の子の前では緊張するけど」

「なにを! んじゃ、私の前では緊張しないってか!」

「しない、しない。じゃ、これ返すから」


 鷹尾は私の手から乗車券を抜き取ると、麻里に返した。


「けどさ、知ってる? この子一文無し同然なんだよ」

「知ってる。新幹線で送るよ。僕もこれから帰るところだから」

「なに? このセレブめ。私も新幹線に乗せろ!」

「そうしたいのはやまやまだけど……気を利かせてくれる? 由紀と話したいんだ」


 見上げると二十センチ上からにこりと微笑みかけられた。その隣でわざとらしく肩を竦めながら麻里がため息をついた。


「……仕方がないな」

「うん、感謝する。下田さんも気を付けて帰ってね」

「大丈夫。行きも一人だったし、私には恋人これがある。んじゃ、頑張って!」


 麻里は小さなショッキングピンクの音楽プレーヤーをトートバッグからちらりと出して見せた。

 なかにはきっとデビューからのK’sの楽曲が入っているはずだ。


 高速バスに乗り込む麻里を見送ると、鷹尾がこちらを向いた。

 オドオドした知っている鷹尾でもないけれど、自信満々な表情を浮かべるK’sのカケルでもなかった。これは誰?

 

 射竦められビクリと身体が緊張する。次はどんな無茶振りを要求されるのか。まず私はそれを考えて警戒した。

 鷹尾は私を安心させるように柔らかく微笑むと、「行こっか」と促した。手は繋がない。昨日までのカケルなら絶対、当然のように繋いでいただろうし、鷹尾ならオドオドと離れて歩いていただろう。半歩先を歩きつつ、常にこちらとの距離感を保っていた。手を繋いでいないだけで、まるで手を繋いでいるかのような距離感。


 それでも麻里に置いていかれた私にとっては、鷹尾についていくしか選択肢はなかった。その力関係が不愉快でたまらない。働いているとはいえ、もう恋人でもないのに、恋人だったとしても同じ歳の男子に色々甘えるしかないこの状況が歯痒かった。

 そして鷹尾バージョンのくせにどさぐさに呼び捨てにしたことを言及したかった。

 そして、不覚にもそれにきゅんときてしまった自分を殴りたかった。


 どんなにスピードを変えても変わらない距離感に、ついうっかり半歩前にいる背中にしがみついて、昨日のことは偶然だったのだと、逃げるつもりはなかったのだと告白してしまいそうになる。


 これは恋ではない。困っている私にとって一本の蜘蛛の糸だからすがりたくなっているだけなのだと自分にきつく言い聞かせた。

 なにより困らせた張本人は目の前のやつなのだから。









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