第3話「ここはゲームの世界ってことを、たまに忘れる」
「材料は、何があるんだろ」
厨房に置かれている木箱の中身を確認すると、いかにも怪しく見えてしまう真っ白な粉が俺たちを待っていた。
「小麦粉だ」
リアムは白い粉を、ひとつまみ指でこする。
ただそれだけの動作で小麦粉と判断できるのは、ここがゲームの世界だからなのか。
それとも、リアムのお菓子作りの才のおかげなのか。
「あとは牛乳……」
「牛……」
ファンタジー世界の作品のはずなのに、なんの違和感もなく牛が存在している。
そんな牛の存在に疑問を抱いているのは俺だけで、リアムは慣れた手つきお菓子作りに必要なたまご、バター、砂糖を発見していく。
「うん、手を洗って準備しよう」
「……ああ」
自分に、輝かしい未来なんて待っていない。
定められた運命と言わんばかりに、悲観的な表情をしていたリアムの顔つきが変わる。
「で、ニコは何ができるの?」
「……助手」
「はぁ」
リアムが、冷たい溜め息を吐き出す。
「先生の助手を、精いっぱい努めさせていただきます!」
さっきまで心折られていたのは誰だ。
そんなツッコミがあるものの、自分も自分で意識を切り替える。
ベッドで寝たきりだった人間に、天才的なお菓子作りの才能があるわけがないのだから。
開き直るとまでは言わなくても、人生初めてのお菓子作りと真剣に向き合うために心の準備を整える。
「水って……」
「あ、今、魔法を使うから」
今まで、魔法使い様に無礼を働いて申し訳ございませんでした。
そんな謝罪の気持ちは、この場にいるリアムと一匹のサポートキャラにはどうか伝わらないでほしいと願う。
「リアムのばーちゃんの店が再建できたら……」
リアムが魔法で発動させた水が流れていくように、流し台へと両手を伸ばす。
彼は魔法の杖で水を召喚させただけでなく、石鹸の泡が混ざったような水まで自由自在に操っていく。
「魔法学園、戻れよ」
手を擦り合わせていくと、石鹸の香りが程よく漂って心地よくなってくる。
「魔法が使えるケーキ屋とか、かっこいい気がする」
「確かに……魔法学園を出て、飲食店を経営する人はいないかも」
「だろ?」
こんな独房のような場所から早いとこ脱出するためにも、急いで石鹸の滑りのようなものを流水で洗い流していく。
「世界で初めてのことやるって、最高のざまぁ……って、うわぁぁぁぁ」
新しい人生が始まってからというもの、前世の自分が発したことのないような奇声を上げ続けている気がする。
現実に『うわぁぁぁぁ』なんて叫び声を上げる機会が本当にあるなんて、前世を生きた俺に説明しても理解してもらえないだろう。
「リアム! 水、水! 止めろって!」
「え……あ……」
マンガの中でも見ないような、水が噴き出る噴水のような大惨事。
厨房が水浸しになるのはもちろんのこと、この場にいた全員がリアムの水魔法の犠牲になってしまった。
「ごめん、大丈夫……?」
「ああ……ちゃんと卒業……した方がいいよな」
「あ……うん……」
永続する魔法は存在しないという設定のおかげで、リアムの暴走した水魔法は踵が水に浸る前には止まってくれた。
履いていた靴下も靴も、絞り出せば溢れんばかりの水を吐き出すこと間違いないってくらい履き心地が悪い。むしろ気持ちが悪い。
「タオル……」
「ありがと……」
リアムが顔を拭くためのタオルを手渡してくれたが、このタオルもタオルで拭き心地が良くない。
もさもさしていて、あ、安いタオルだって、すぐに判断できてしまった。
「ニコ、デッキブラシだよっ」
「助かった……ファル……」
「今、乾かすから……」
「悪いな、俺、魔法が使えなくて……」
夏の暑さを思い出させるような太陽の力を借りて、リアムは水を蒸発させていく。
排水が間に合っていなかった厨房が乾いていくと同時に、この場にいる二人と一匹が着ている衣服も同時に乾いていく。
「こんなに凄い魔法が使えんのに……」
「卒業……できなかったから」
あんなに気持ち悪かった靴も靴下が乾き始め、元の履き心地を取り戻していく。
「退学された事実は変えらんないけど」
女神様に交渉すれば、時間を戻すっていう展開も用意してもらえるかもしれない。
でも、戻ったところで、俺に残された時間は七日間以上に延長してもらうことはできないだろう。
「自分が凄いって事実は、否定すんな」
俺は、生まれ変わらなきゃいけない存在。
貝沼二湖は、『お菓子の国の魔法使いと恋のレシピ』には存在してはいけない人間。
「ニコ、まるで主人公みたいだねっ」
「俺は、リアムの人生を乗っ取る予定だからな」
「えっ……それは怖い……」
「本気で引くなって!」
嬉しそうに話しかけてくるサポートキャラのファルに、これ以上にないくらいお褒めの言葉を貰う。
鏡がなくたって、自分の表情が弛んで、緩んでしまっているのが分かる。




