第10話「甘い」
「俺は、甘いお菓子、好きだけどなー」
ファルと一緒に砂糖を頬張ると、隣にいるファル顔がぱっと綻んでいく。
その幸せそうな表情を見た瞬間、きっと自分の顔も同じように緩んでいるのだろうなってことが分かる。
こんな風に、甘いものには人を笑顔にする力があるってことを俺は知っている。
「だから、ある日突然、甘いものは卒業……とか言われたら、人生変わるよな」
もうひとつまみ、砂糖を口へ運ぶ。
ファルも嬉しそうに俺の真似をして、小さな口いっぱいに甘さを頬張っていく。
「俺、甘いものじゃないけど、食べられるものに制限があった時期があって……」
厳しい食事制限をされていたわけじゃない。
でも、前世の俺は、食べる気力も体力も失っていた時期が確かにあった。
何を口にしても味気なくて、すぐに腹が満たされて、食事そのものが苦痛だった。
食べられるってことが、本当は当たり前じゃないんだって初めて知った。
「だから今、すっげー幸せ」
好きなときに、好きなものを食べられる。
そんな幸せが体に沁みわたっていくような気がして、嬉しさも喜びも何倍にも膨れ上がっていく。
甘さが口の中に広がるたびに、生きている実感みたいなものまで込み上げてくる。
「でも、自由がないって……選ぶ余裕がないってことだよな」
ぽつりと呟きながら、俺もリアムに倣ってシュガーツリーを見上げた。
夜空から降りそそぐ月明かりと星の光を受けて、大樹を覆う砂糖がさらなる煌きをまとって幻想的な輝きを放つ。
「サクラとのお菓子対決で思ったんだけどさ。学園の生徒たちって、まだ甘いものを自由に食べてるんじゃないか?」
シュガーツリーから視線を外し、隣に立つリアムを見る。
「学生は、まだ子ども扱いなんだよ」
月明かりに照らされたリアムの横顔は相変わらず無愛想で、感情を読み取るのが難しい。
けれど、その瞳だけは逸れることなく、シュガーツリーを見つめ続けていた。
「ここに、リアムの選択を邪魔するやつはいないだろ」
俺は、枝の間を飛び回っていたファルを手招きする。
「ファル! リアムの分、集めてきてくれ」
「はーいっ!」
元気よく返事をしたファルは、また楽しそうにシュガーツリーの周りを飛び始めた。
枝が揺れるたび、ぱらぱらと砂糖が零れ落ちる。
月明かりを受けた砂糖の粒が、星屑みたいに瞬いて見える。
「食べたくないなら、食べなくていい」
リアムは、食べないことを選んでいるのか。
それとも、食べないようにしているのか。
「でも、食べたいって気持ちがあるなら、食べてもいいんじゃないか?」
戻ってきたファルが、俺の手のひらに砂糖を落としてくれる。
さらさらと零れた真白の粒が、こんなにも綺麗に見えるのは、この世界がゲームの中だからなのか。
「俺は、甘いものが嫌いな人間が、菓子店を経営するとは思えないけど」
自分でも、それが正しいのかは分からない。
ただの理想論かもしれないし、外から好き勝手に言っているだけなのかもしれない。
「甘いもの、好きなんだろ?」
それでも口にした言葉の数々は、引き返せないものになっていく。
「……簡単に言ってくれるね」
呆れたようにも、聞こえる声だった。
けれど、本気で拒絶している響きではない。
大きく息を吸い込んだタイミングで、ファルは集めた砂糖をリアムの手のひらへ落としていった。
「ずっと、必要ないものって言われてたのに……」
リアムは手のひらの砂糖を捨てることもなく、指先でそれらを掴んだ。
「いきなり……好きなだったものが手に入っても……」
言いかけた言葉が、そこで途切れる。
続けることを躊躇っただろうなって察するけど、それならそれでいいと思った。
敷かれたレールの上を歩くだけだったリアムが、自分の人生を選び始めてるんだから。
「どう喜んでいいか、わかんないんだけど……」
砂糖が、口の中に運ばれていく。
「甘っ……」
初めて砂糖を食べたわけではないのに、リアムは驚いたような声を漏らす。
でも、砂糖を口にした直後のリアムは、とてもいい表情をしている気がした。
「おいしーでしょ?」
「っ、そう簡単に口にしていい言葉じゃ……」
悪気のないファルの声に、リアムは思いっきり顔を背けた。
だが、リアムの手の中には、まだ砂糖が残っている。捨てるわけでもなく、握り潰すわけでもない。
ただ、なくなってしまうのが怖いような。
大切に砂糖を扱っている様子が伝わってくる。
そんな宝物のように大切にしてしまったら、リアムの熱で砂糖が溶けてしまうんじゃないかと妙な心配まで湧いてくる。
「食べろ、食べろ。ここの砂糖、取り放題なんだろ?」
「砂糖で商売する人なんて、ほとんどいないからね……」
ファルがまた一粒、砂糖を落とす。
追加注文は簡単に叶うくせに、求めている量の砂糖は手に入らない。そんなゲームならではのちぐはぐさにがっかりしてしまう。
「ばーちゃんは……」
姉ちゃんがリアムルートの攻略をしている最中に、俺は亡くなった。
だから、リアムの祖母が今も生きているのか、それとも亡くなっているのかは分からないまま。
「甘いものは、人を取り戻すためのものだって言ってた」
聞けば、答えを返してくれる。
(でも、どこまで踏み込んでいいのかわからない)
そういう距離感の曖昧さが、現実の人間関係らしい。
あと三日でゲームの世界から去るっていう事情を考えると、人間関係ってものは最も厄介なものだと思う。
「泣いてる人とか、余裕が人とか……そういうのを一旦、普通に戻すために甘いものがあるって」
栄養学の本か何かに書いてありそうなほど、いい言葉だと思った。
リアムの祖母が、その言葉を残したと思うだけで、胸に込み上げてくるものがある。
「……普通に戻れそうか?」
ファルから砂糖を受け取ったリアムが、また口へ運んでいく。
「……戻れる、かな」
リアムが、シュガーツリーを見上げる。
「戻ってる途中、でもいいんじゃないか」
「…………かな」
リアムが、言葉を返すことはなくなった。
だが、手のひらに残った砂糖を見つめたリアムは、ほんの少しだけ口角を上げたようにも見えた。




