第2話「ひとりじゃない」
「ニコって、どこ出身? 貧しいって言っても、限度があるような……」
列車内に足を踏み入れると、煤や油といった外とは違う匂いに触れた。
規則正しく並んだ座席なんて見たこともなく、どこに座ればいいのかと目をきょろきょろさせてしまったほど。
「いや、あの、本当に貧しかっただけだって」
列車の隅っこの席に腰を下ろし、前世では列車に乗ったことがないことを必死に隠す。
(ゲームの世界に転生した俺の事情なんて、今はどうでもいい)
巨大な鉄の塊が線路の上を走っていく光景に、不思議な敬意すら抱いてしまう。
車輪が轟音を立てて進み、俺たち乗客を未知なる土地に誘っていく光景に胸が高鳴る。
(この研修旅行で何が待ってるかが、大事だよな)
窓に額を寄せながら、これから始まる物語の流れを復習する。
(でも、プレイヤーの人生しか知らないんだよなー……)
乙女ゲーム『お菓子の国の魔法使いと恋のレシピ』では、この研修旅行でプレイヤーはお菓子作りの才能を覚醒させる。
そのためのイベントだってことは記憶に残っていても、肝心の自分はリアムルートで何をすればいいのか分からない。
(っていうか、退学処分は破滅ルートの一環か)
列車の揺れに身を任せながら、姉ちゃんが教えてくれたゲームの内容を思い返す。
(リアムは、破滅ルート確定キャラ……)
研修旅行は、恐らく退学処分を受けたリアムにとっての新しい破滅イベントになるはず。
(一人で全部なんて、ほんと大変すぎる……)
ほどよい揺れが眠気を誘い、目の前の危機の重さを少しだけ和らげそうになる。
ここで眠るわけにはいかないと気合いを入れたとき、ふとリアムが俺に視線を向けていたことに気づく。
「ん? どうした?」
「ニコって、よく考えごとにふけるなって」
リアムは自分と違って、お金持ちのおぼっちゃまという設定を背負っている。
人前で欠伸すらできないらしく、些細な行動でも白い目で見られる毎日を送っているリアムに肩を竦める。
「一人で考えごとしてもいいんだけど」
ご子息にとって欠伸は罪かもしれないけれど、たかが欠伸くらいで日常が窮屈になってほしくない。
そう心の奥で願わずにはいられないのに、肝心の攻略方法が分からないのは頭が痛い。
「一人で考えごとしても、碌なこと考えないよね」
頭を痛くしているのは、自分だけだと思っていた。
自分の人生を諦めたような生き方になってしまうのは、数々の破滅ルートがリアムに襲いかかったからだと気づく。
(リアムも、自分の人生を良くしたいって願ってるのかも)
リアムが人生を諦めているっていうのは、俺が勝手に抱いている思い込みだ。
「誰かに話した方が、楽になれるときもあるよ」
こんな風に、当たり前みたいに優しさを差し出せるところなんて完璧だと思う。
リアムは必要なときに、ちゃんと手を差し伸べられるキャラクター。
文句のつけようがない攻略キャラのはずなのに、プレイヤーである主人公に選ばれなかっただけで救いのない破滅ルートが待っている。
(いくらゲームの中だとしても、納得できるかよ)
リアムが積み重ねてきたすべてが、《《選ばれなかった》》という事実ひとつでなかったことになる。
そんな未来が定められてる人生は、あまりにも理不尽だと思う。
「俺、さ」
前の人生で、体の弱かった自分は、自分の人生のために何もできなかった。
後悔だけが残った前世の記憶が、今の自分の背中を押す。
「もっと、広い世界を見に行きたいんだ」
リアムの世界を広げること。
「自分の人生の、選択肢を広げたいっていうか」
リアムの選べる道を増やすこと。
「自分の人生、好きになりたい」
どうせ生きるなら、リアムが自分の人生を少しでも愛せるように。
そのために、まずは自分から行動したい。
「でも、時間がなくてさー……それで焦ってた」
独りで考え込むのをやめて、素直な気持ちを溢れさせていく。
「時間、足りなすぎるんだよなぁ」
ガタン、ゴトンという擬音が足元から伝わってくる。
女神様の言う通り、ここは乙女ゲーム『お菓子の国の魔法使いと恋のレシピ』の世界であることは間違いない。
でも、窓の外には西洋風ファンタジー定番の果てしなく続く緑の丘や、石造りの街が広がっている。
「……時間、ないの?」
たとえゲームの世界であっても、俺とっても、リアムにとっても、これは紛れもない現実。
「残念ながら」
心が痛むような展開も、その先で選んだ選択も、未来に待っている結末もすべてが本物だってことを言い聞かせていく。
「だったら、行動あるのみ」
何も望んでいないような冷めた表情で、窓の外をぼんやりと眺めていたリアムに変化が起きた。
「外、出てみよっか」
列車が大きく揺れる。
バランスを崩した俺とは対照的に、リアムは微動だにしない。
この揺れすら味方につけているところは攻略キャラっぽくて、俺には到底、真似できないと思った。
「列車探索……? とか」
「外の空気、吸いたい!」
「酔った?」
「ほんの少し」
世界は広いんだってこと。
思っている以上に、選択肢が多いってこと。
そして、生きるってことの面白さをリアムに知ってもらうために座席から立ち上がった。




