第6話「初めての経験は、誰だって怖い」
「完璧っ」
「まだ完成してない……」
とりあえず大きな声を出して、泣きたくなってるってことを忘れようと思った。
リアムには嫌な顔をされたけど、サポートキャラのファルからはお褒めのブイサインを送られた。
「苦そうなんだけど……」
「いつかは、この世界に馴染む食材になるよ」
適当に言葉を投げているように思えるかもしれないが、ちゃんと抹茶って文化が根づいていくようになるって姉ちゃんが教えてくれた。
(だから、あの日、抹茶のパウンドケーキを買ってきたのか)
食欲のなかった俺は食べることができなかったけど、どこかのルートを攻略中の姉ちゃんが見舞いに抹茶のパウンドケーキを買ってきたことを思い出す。
(展開は違うけど、意外と繋がっていくもんなんだな)
俺の新しい人生を導いてくれるリアムと姉ちゃんに感謝する頃には、作業に集中していたはずのリアムの視線が自分に刺さっていることに気づく。
「あ、悪い。何か用……」
「ここからは、ニコも手伝って」
「え? 俺?」
俺の了承を得ることなく、リアムは生地を台の上に広げていく。
お菓子作りの常連であるリアムは、その深緑の生地を小さく分けて丸め始める。
「形は少し大きめに」
「いや、え、あの……」
「高さだけ均一なら、歪でもなんでもいいよ」
「よ、し……丸めるくらい楽勝……」
とはいえ、お菓子を作れるほど健康ではなかった自分は、これが初めてのお菓子作り体験。
手は思ったよりも硬く強張っていて、どのくらい力を入れればいいのかも分からない。
「不格好」
「いや、言ってること違うから!」
生地を丸めるたびに心臓が跳ねているのは、多分、気のせいじゃない。
恐る恐る持ち上げた生地を、掌の上でころころと丸めていく。
柔らかい生地が少しずつ形を変えるたびに、息を呑み込んでしまう。
「大丈夫?」
「うえっ!?」
「……うえっ?」
「いや、あの、悪い! 考え事してた! 一人で物思いにふけった!」
ああ、どうしよう。
新しく始まった人生を、どう生きればいいのか分からない。
様々な、ありとあらゆる行事を欠席してきた俺に親友と呼べるような存在はいない。
完全に対人スキルも人生経験も不足している俺には、この状況も含め、今後どう生きていけばいいのか分からなすぎて怖くなる。
「……緊張してる?」
「あ、えっと……」
「初めては、誰だって怖いよ」
「うっ……」
いちいち俺の様子を気遣ってくれるのに、どうして手元の作業はすんなりこなしてしまうのか。
でも、俺からしてみれば、この共同作業自体が物凄く幸福すぎる夢を見ているかのような気持ちにさせられる。
「なんていうか……その、青春とは縁遠い生活を送ってきたんだよ」
自分で発した言葉のはずなのに、感情を揺さぶって涙を誘ってしまうのはなぜなのか。
「夢なんて見れなくて、その……毎日が絶望だったって言うか」
自分の声が鼓膜に触れているだけに過ぎないのに、涙腺というものが崩壊しそうになっている。
「だから……この作業、すっげー楽しい」
ずっと入院生活が続いていた俺に、新たな青春を与えようとしてくれるリアム。
凶悪な男たちに誘拐されたあとだっていうのに、これから先の未来に希望が待っているんじゃないかって気持ちで満たされていく。
「生地に愛されるっていうのも、立派な才能の一つ」
「生地に愛されるって、大袈裟……」
「手に馴染むって感覚。これが大事だから」
新しく始まった人生に絶望しか抱いていないかった俺に、希望を与えてくれるリアム。
(やっぱ、さすがは攻略キャラクター)
世の中は優しくないなんて言葉も聞いたことあるけど、素敵な人たちも溢れ返ってるんだろうなってことを知っていく。
(これが、青春なのかも)
単純な思考って言われるかもしれないけど、単純でいいやって思えてくる。
『お菓子の国の魔法使いと恋のレシピ』の世界では、思考そのものがポジティブになっていくような気がする。
「あとは、炎魔法の出番」
小さな生地の塊が台の上に並ぶたび、自分の不器用さにがっかりしていた。
でも、そんな時間すら、あっという間に過ぎ去ってしまうという青春パワーに口元がだらしなく歪んでいく。
「天板から、離れて」
リアムの穏やかな声と指示に従うと、天板がリアムの炎魔法の力で温められていくのが目で見て分かる。
天板に触れていないのに、天板は確かな熱を伝えてくる。
(失敗はしないだろうけど)
ここは乙女ゲームの世界だからこそ、見知った食材たちが手に入るようになっている。
グリーンブラットっていう聞いたこともない葉だって、日本では見慣れた食材になるんじゃないかって発想を信じたい。
(めちゃくちゃ怖いわー……)
あまりにも苦すぎて、食えたもんじゃねーよ。
そんな暴言が強面軍団から飛んできて、結局はリアムを破滅ルートに追い込んでしまうんじゃないか。
そんな不安は、完成するスコーンを食べてみるまで消えることはない。
「ニコ、眉間に皺」
小さな不安が胸をかすめていったのを、隣にいるリアムは見逃さなかったらしい。
抜群のタイミングで話しかけてくるところとか、さすがは攻略キャラクターと褒め称えたいくらいだ。
「この粉末を提案したの、俺だからさー……」
生地はゆっくりと膨らんでいき、次第に表面には細かい割れ目が入っていく。
「多分、苦いよ」
「そこは調整してくれって……」
「グリーンブラットをスコーンの材料とか、本当に信じられない」
「はいはい、申し訳ございませんでした!」
まだ完成もしていないのに、謝罪の言葉が出てきてしまう。
攻略方法を知らない乙女ゲームの世界をハッピーエンドに導くことが、こんなに難しいなんて思ってもみなかった。




