9.弟の来訪
「ねぇさん……っ!!」
馬鹿でかい声量でそう叫んで抱きついてきたのは弟だった。
「アルノルト」
その勢いにディアナは驚く。
「一体どうしたの? そんなに慌てて」
「慌てるに決まってるだろうが!!」
きょとんとする彼女にアルノルトは怒鳴るとそのまま無事を確かめるかのように姉の体をべたべたと触った。そして一通り触って満足したのか、両肩をつかんで目をのぞき込む。
「大丈夫かよ! ずっと連絡が返ってこないし! やっと手紙が来たと思ったらなんか早馬で旦那が亡くなったとか!!」
「え?」
(連絡が返ってこない……?)
ディアナはますます首をひねる。
そもそもディアナは手紙など受け取ってはいない。この家に来てからは誰とも文のやりとりなどしていないのだ。
なにかの間違いではないか、と口を開きかけた彼女に、
「実はその件で謝罪があるのです」
しゃしゃり出てきたのはエリアスだった。
彼はとても申し訳なさそうに、しかしディアナには余計なことを言わすまいというような態度でずずい、と前に出るとさりげなくアルノルトの手をディアナの肩から外した。
アルノルトはといえば突然割って入ってきた男をじろじろと不躾に眺める。
「あんた誰だよ」
「カークスの弟、エリアスと申します」
「弟!?」
「実は折り入ってお話したいことがありまして……」
エリアスは手でアルノルトのことを着席するように促した。アルノルトは興奮していてディアナが入室した途端に駆け寄ってきたが、三人がいたのは実は応接間であった。近くにはきちんと来客用の椅子とテーブルが用意されている。
しぶしぶながらもアルノルトが座り、さて話を、という空気になった途端、メイドが入ってきてまたもエリアスの口は閉じた。
入室したメイドは楚々とした仕草でお茶をそそぐ。そしてそのまま当然のように扉のすぐ側へと控えた。
「ありがとう。もう下がってかまいませんよ」
それを見てエリアスが退出を促す。
「え、でも……」
メイドは戸惑ったような顔をしたが「どうぞご退席を」と侯爵家の一員であるエリアスに言われるとしぶしぶ部屋を出て行った。
「あれはおそらくハンナか執事の手の者でしょう。僕があなたの家族と部屋で話していると気づいて偵察にきたのです」
彼はこそりとディアナにだけ聞こえる声でそうささやいた。
「で、なんの用だよ!!」
しかしそんな事情は知らないアルノルトはなかなか用件を切り出さないエリアスにじれて語気を荒くする。
「俺は姉さんの旦那の葬式にかこつけて姉さんに会いに来たんだよ! あんたらの方が立場が上だし! 姉さんが自ら望んで嫁に行ったからしかたねぇと様子見してたのに! こんなに痩せ細って肌も真っ白じゃねぇか!!」
「え」
その言葉に思わずディアナのほうが反応してしまう。
「やせているのはともかく、肌が白いのはいいことじゃない」
なにせ貴族の令嬢などだいたいは色白だし肌の白さを競っておしろいをふんだんにはたくのだから。
しかしアルノルトはその姉ののんきな言葉に首をぶんぶんと横に振った。
「野山を駆けまわりこん棒片手に牛を追いかけ回してた姉さんが! こんななまっちろいなんて絶対に何かあったんだ!!」
「ちょっと!!」
その聞き捨てならない台詞に羞恥に顔を真っ赤に染めてディアナは叫ぶ。
「誤解を招くようなこと言わないでよ! それじゃあわたしが牛をいじめてたみたいでしょ! 追いかけ回してたのは畑を荒らすイノシシよ!!」
「どっちも似たようなもんだろ!」
「全っ然違うわよ! 農家に謝れ!」
その時ごほん、と小さな咳払いが聞こえた。隣を見ると、エリアスが気まずそうに座っている。
「……」
思わず乗り出してしまっていた身体をディアナはすとん、とソファへと落とした。
「えー……、アルノルト様、確か九年前の首都の剣術大会では入賞を果たしておられましたね。騎士の名門の名に恥じないご功績を……」
「能書きはいい。用件を言え」
ディアナにそっくりな黄金の瞳を、しかし気弱な彼女とは異なり強く光らせながらアルノルトは言う。
「他に親戚の姿がない。わざわざ我が家だけ他の家よりも先んじて呼んだ理由はなんだ」
その言葉にエリアスは軽く目を見張った。
「弟さんは聡明なようですね」
その言い方ではまるで姉のほうは聡明ではないみたいだ。
そう思ったが、それは確かにただの事実なためディアナは口を慎んだ。
一つ年下の長男は我が家の中では一番知性のある男だ。
(多少血の気は多いけど……)
しかしそれは他の家族にも言えることだった。
「このたび兄が亡くなりました」
にらみつけるアルノルトに、正面から向かい合うようにエリアスは告げる。
「知ってる」
「そして兄は長い期間、ディアナさんに虐待を行っておりました」
「……っ!!」
アルノルトが表情を険しくしてディアナのことを見た。ディアナは小さくうなずく。
「でももう解放されたわ」
「当たり前だ! ……死んだんだろ」
アルノルトは苦悩するように額を押さえるとため息をついた。
「だから手紙の返事がなかったのか……」
「申し訳ありません。まさか兄がご家族からの手紙まで握りつぶしていたとは……、こちらの不手際です」
「あの野郎……、生きてりゃ一発殴ってやったのに……」
「申し訳ありません」
エリアスはどこまでも殊勝に頭を下げる。
(あなたが悪いんじゃないのに……)
それを見てディアナは居心地が悪くなる。座り直すように足をもぞもぞと動かしていると彼は静かに、
「それともう一つ謝罪しなくてはならないことが……」
と切り出した。
「なんだ?」
「そちらのゼーテ家は我が家からの融資により領地内で魔石の鉱山を発掘なされた、それはお間違いありませんか?」
その言葉にアルノルトは柳眉をつり上げた。
「ああ、そうだよ! それに関しては礼を言うがな! それとこれとは……!」
言いつのるその言葉をエリアスはどこまでも冷静に手の仕草だけで抑えた。話の続きがある、という意味だ。
「そして我がレーヴラインと取引を行い、魔石を下ろしてくださっている」
「……ああ」
渋々と言った様子であるが、アルノルトはトーンダウンしてうなずいた。それにエリアスもうなずき返す。
「その金額についてなのですが……」
そう言って彼は帳簿を取り出して見せた。
「桁が一桁間違っております」
その続いた台詞に再びアルノルトの眉間に皺が寄る。
「はぁ!? なんだよそれ、足りない分払えってか!?」
「いいえ、違います」
ヒートアップしかけたアルノルトに、彼はどこまでも冷静に告げた。
「こちらの払う金額が不足しているということです」
「……は?」
「……え?」
その言葉にディアナも驚く。そろって口をぽかん、と開ける姉弟に彼はどこまでも真剣に、しかしできの悪い生徒に言い含めるように続けた。
「かなり安い金額で、買いたたかれています」
「……。ええー……」
思わず唖然とする。
「お金持ちなのに……」
「お金を持っていることと品性や倫理観は比例しないんですよ」
口を突いて出たまぬけな感想は、エリアスにあっさりと否定された。
「つきましては、今後はこのくらいの金額で取引をさせていただきたく……」
そうしてさらさらと紙に書いて見せられた金額を見て、ディアナもアルノルトも目を見開く。
「こ、ここここっ! こんな額をいただいてもいいんですか!」
驚きすぎてアルノルトが敬語だ。
しかしその気持ちはディアナにもわかった。
(この額が毎月入ってくるとなったら救護院の方にお金が回せる……。それにもしかしてちょっとした橋なんかもかけられるんじゃないの!?)
そうすれば領民の行き来がしやすくなるし行商が来て品物を買ってくれる機会も増えるかもしれない。その上工事費用で領民を雇えば領民の懐も潤う。
思わず目を見合わせると、ひしっと姉弟は両手を合わせた。
「すごいわアルノルト、これで生活が楽になるわね!」
「すごいぞ姉さん、これだけあればみんな助かる!!」
「いやあの……、元々はもっと早くにこれだけの金額が手に入ってたってことで……、ここは感動するんじゃなくて責めたり恨んだり……。姉よりさといかと思ったけど弟も同類か、これ……」
ほくほく顔の二人にエリアスが困ったように手をさまよわせる。それにディアナは胸を張った。
「そうよ! 当たり前でしょ! 本当に頭の良い人間が家族にいたらここまでゼーテ家は落ちぶれてないわ!」
「いばることじゃありませんけど……」
言いたいことはもっとあるが口に出すには表現が難しすぎる。
そのような表情をして何事かを飲み込むと、エリアスはため息をついた。




