10.結婚の許し
「えっと、じゃあ以前の不当な取引に対しての損害賠償とかは今後話し合うとして……、一番の本題に入ってもいいですか?」
「本題……?」
その言葉にまたしても姉弟はそろって首をかしげた。
顔立ちは異なるがそのしぐさはそっくりだ。
それにさらにエリアスは苦虫をかみつぶしたような顔をする。
「アルノルトさんはともかく……、なんであなたが首をひねるんですか、ディアナさん」
そう言われてますます首が横に曲がる。
(なにかあったっけ……?)
そんな彼女の態度にため息をつき、エリアスは言った。
「今後のあなたの処遇の話です」
「あ……」
(そういえばそうだった……)
ディアナはすっかり忘れていた。
彼はディアナの家族のことを、婚姻を認めてもらうために呼び出したのだ。
アルノルトも思い出したのか、すん、と座り直した。そして緩んでしまった表情をきりっと引き締める。
「おう、わかった! 連れ帰るわ!」
「連れ帰らないでください」
エリアスは首を横に振る。
「ディアナさんはもはやレーヴライン侯爵夫人。レーヴライン侯爵であった兄が亡くなった以上、領地の一部は彼女のものになります」
(そうだったんだ……)
ディアナはぼんやりと思う。
田舎育ちの、それも女であるディアナは領地経営のことも制度のこともよく知らない。学がないのだ。
「ディアナさんにはその分配された領地でのんびり過ごす、という選択肢もありますが、それはできれば避けていただきたい。レーヴライン家の財産をできれば分散させたくはないのです」
アルノルトは鼻を鳴らした。
「気にくわねぇなぁ。あんたらの利益のために姉さんを連れ帰るなって?」
「あと単純に彼女に領地の一部とはいえ任せることは不安です」
そう言われてアルノルトはディアナのことを見た。
(なによ……)
ディアナは唇とつんと尖らせる。
その姿を見て、アルノルトは真顔でうなずく。
「確かに不安だ」
「ええ、不安です」
二人はしみじみとつぶやいた。
むっとはするがまたもや言い返せない。ディアナだって不安だ。
「詐欺とかにあいそう……」
ぽつり、と彼女がつぶやくと、男二人はそろって首を縦に振る。
「その選択肢はなしで」
「ええ、ぜひそれ以外でお願いしたいのです。と、いうわけで……」
エリアスはこほん、とひとつ咳払いをした。
いよいよ本題に入るのだろう。
「僕とディアナさんで結婚したいと考えているのです。その許可をいただきたい」
その言葉を聞いた途端に、アルノルトの顔がこわばった。
さきほどまで確かに緩んでいた空気が引き締まる。
「言いたいことはわかります」
エリアスは手を組むと、ぐっとアルノルトの方へと身を乗り出した。
「また同じような酷い目にお姉さんがあわれるのではとご心配でしょう。しかしその元凶である兄は死にました。母のハンナも……、今は僕の責任で離れへと隔離しております」
本当かを確かめるようにアルノルトに視線を向けられて、ディアナはうなずく。
のりと勢いで離れに移動させただけで隔離されているかは微妙だが、彼がその環境を整えてくれたことは事実だ。
「もう二度と彼女に悲しい思いはさせません。お約束いたします」
そう告げる青い瞳は真摯な色をしていた。
それが本当か嘘かはわからないが、この場面だけを切り取って見るとディアナには本当に見えた。
「……姉さん、姉さんはどうなんだ?」
アルノルトは姉を見る。
「領地のこともなにも考えなくていい。姉さん自身はどうしたい?」
「わたしは……」
本当はカークスを殺したディアナに選択権などない。
ディアナはエリアスと取引をしたのだ。
殺人を見逃してもらう代わりに彼と結婚して共犯になる、と。
しかしあらためて問われると考えざるをえなかった。
(エリアスは……)
一体エリアスというのはどういう人物なのだろう?
メイドのネルは言った。カークスとハンナの暴走をエリアスがうまく裏で取りなしていた、と。
「カークス様、あたしたちメイドに夜の要求をしてきたこととかあって、セクハラも酷かったんです」
メイドたちはカークスの訃報をどう思っているのか、と尋ねたディアナにネルはとても気まずそうにそう言った。
「でもそういう時はさりげなくエリアス様が家令のブレン様を伴われて割って入ってくださったり、未遂ぎりぎりのところで助けていただいたメイドも多いんですよ。だから……、正直、みんなほっとしてると思います」
その言葉を聞いたディアナはそうだろうな、と納得した。それだけの説得力がカークスの普段の振る舞いにはあった。
思えば確かに、エリアスが母屋を訪れた時はカークスは忌々しそうな顔をして席を外すことが多かった。おかげでその時間は暴力をふるわれずに済んでいたのだ。
エリアスがこの屋敷の主人になってから、まだ一日しか経たないというのにこの屋敷は一変した。
いつもいつ怒声が飛んでくるかと緊張していた使用人たちの表情がやわらかくなった。あちらこちらで聞こえる必死な謝罪の声は消えた。逆に雑談のような、まだひそやかではあるが明るい話し声が時々風にのって届くようになった。
同じ屋敷、同じ調度品。そのはずなのに、なぜかいままでよりも風通しがよく呼吸がしやすい。部屋の中さえも、灯りの数は変わらないというのに視界が開けたように明るく映った。
その時にやっとディアナは気づいたのだ。いままでどんなに異常な環境に自分がいたのかということに。
それはきっと、使用人たちも同じだっただろう。
春に木の葉が芽吹くように、この屋敷は変わろうとしている。
「わたしは……、エリアス様と結婚するわ」
脅迫でも契約でもなく、ディアナは自分の意思でそう口にした。
その黄金色の瞳でしっかりと、弟の目を見つめる。
「どうかお願い……、許して」
この決断がどう転ぶかはわからない。
ディアナはやはり悪魔に騙されているのかも知れない。
(でも、それはしかたない)
ディアナも人を殺した悪魔なのだ。ならばせいぜい悪魔らしく、この先の道が地獄に続いていたとしても自分で決めて進むべきだ。
決して、人のせいにしてはいけない。
しばらく息を詰めたようにして姉を見つめていたアルノルトは、やがて諦めたようにため息をついた。
「姉さんは本当にその性格さえなければ……。父さんと母さんが言ってたぜ。姉さんは手記に残るご先祖様にそっくりだってな。優しくて気弱で、でもこうと決めたら譲らない。ふだんぼやぼやしてんのになんでこういう時ばっか頑固なんだろうな……。カークスの野郎との結婚の時もそうだったし……」
反対されるだろうか、ディアナは不安になる。
しかしすぐにそれは払拭された。顔をあげたアルノルトの顔は微笑んでいたのだ。
「でもいいよ。しろよ、結婚。したいならさ」
「アルノル……」
「ただし!」
胸をなで下ろした彼女が弟の名を呼び終わる前に、その当人の弟は続ける。
「今度はちゃんと手紙のやりとりはさせろ。てか会いに行くし会いに来させろ」
「もちろんです」
それにエリアスは胸に手をあてて頭をさげた。
「身命にかけて、誓います」
本来なら、親類であるとはいえど高位の貴族が下位の者に頭をさげるなどありえないことだ。
「……信じるからな」
その態度に思うところがあったのだろう。アルノルトはそう言うといさぎよく立ち上がった。もう話は終わりだと判断したのだろう。そのまま退室しようとして、
「あ、そういえば」
くるり、と彼は振り返った。
「姉さんなんでそんな顔してんの? なんか魔女みたい」
「……。似合ってるからいいでしょ」
さきほどまでの真剣な雰囲気は霧散した。




