11.エリアスのたくらみ
弟が今度こそ無事に退席したのを見届けてディアナは口を開いた。
「……エリアス様」
「ああ、どうかエリアスと呼び捨ててお呼びください」
「あなたの目的はなに?」
紳士然として笑っていた彼の顔が停止した。
ディアナはその顔をじっくりと見つめる。
(お人形さんみたいだわ)
固まっているからなおさらだ。
彼の顔は美しい。氷のような白銀の髪に雪に落ちる影のような静かな青い瞳。長いまつげが影を落とすほほも、まるで血管など存在しないかのように透き通って白い。
そしてそこに貼り付けられた完璧な作り笑い。あまりにも整いすぎて、嘘くさく見える笑み。
「……それは、当主になりたいからだと、」
「当主になって、何をしたいの?」
先ほど『エリアスがどんな人間なのか』を考えた時に思ったのだ。
ーー最初はただ、富と権力が欲しい人なのかと思っていた。
しかしいろいろと状況を含めて考えてみると、彼はそんなに短絡的な人間ではない気がするのだ。
少なくともこの数日でわかるくらいには彼は根回しがうまく、人好きのする器用な人間だ。
優秀だ、とはっきり言ってもいい。
そんな人間ならば、他に生き方はいくらでもあるような気がするのだ。
それなのになぜ、冷たい義母と兄の存在に耐えてまでこの家に居続けたのか。
黙ってまじまじと見つめ続けると、彼は根負けしたようにため息をついた。
その顔にはもう『完璧な笑み』はなく、人形のようでもない。
そこにいるのは血の通った一人の人間だ。
「僕が妾腹なのは伝えましたね……」
「ええ」
確かに聞いた。彼は奴隷の母と侯爵の父から生まれたのだと。
「僕は物心ついた時にはこの家にいましたから、正直飢えたことはないのです。でも僕の母は貧しく、そして地位がなかった。母はいつもこの屋敷の離れで縮こまるようにして生活していました。僕はハンナとカークスからはいない者のように扱われていました。そのために遊び相手は使用人たちでした。だから彼らの生活はよく知っている。侯爵家の人間と使用人、その食事にどのくらいの差があるのか、ディアナさんならば想像がつくのではありませんか? そして彼らのほとんどは奴隷です。奴隷の一生は主人によって左右される。この家の奴隷は、……正直、幸福とはほど遠い場所にいます」
「……」
確かに想像はつく。ディアナの実家での食事は質素なものだった。しかしカークスやハンナの食事はとても品数が多く、どれも高級な食材が使用されていた。
同じ貴族ですらも、これほどの差があるのだ。
奴隷と侯爵ではその差はもっと大きなものだろう。
「僕は、貧富の差をなくしたい」
彼は瞳を伏せた。まるでその思想を語るのを恥じるように。
「帝国は貧富の差が激しすぎる。最近は内乱も多いでしょう。抱えきれない内側からの不満を押さえ込むために皇帝は自らの子四人を東西南北の地を治める『王』として派遣しましたが……、もう限界なのです。今のうちに手をうたなくては帝国は内側から分裂していくでしょう」
「ええっと、それってつまり……」
ディアナはせいいっぱいの頭を振り絞ってその言葉の意味をまとめる。「国を征服したいってこと?」
一瞬の沈黙の後、エリアスは弾けるように笑い出した。彼はひとしきり笑った後、「そうですね」とうなずく。
「まぁ、目的のためにそれが必要ならばそうなります。しかし別に他の人が立ってもかまわないのですよ。皇帝が変わらないままでもいい。ただ帝国が沈まないために、現行のやり方を変えたいと言っているのです」
彼の青い瞳が優しげに微笑む。しかしそれはすぐに決意の色に固くなった。
「そしてそのためには、侯爵家の当主の肩書きは是が非でも欲しい」
その右手が、何かをつかむようにぐっと握られる。
しばらくその拳を見つめた後、彼は手を下ろした。そして肩をすくめてみせる。
「大丈夫。いざという時にはあなたは『何も知らなかった』と言えばいいんです。そしてご実家にかくまってもらえばいい」
「…………」
ディアナはたっぷり十秒ほど考えた。そして言う。
「それ、無理じゃない?」
「え?」
「たぶん、一族全員罪に問われると思うの。妻は逃げられないわ」
彼は少しの間フリーズした後、眉間に皺を寄せて難しい顔で目を閉じた。
「……わかりました。ではあなたが生き延びられるようになんらかの手段を講じます。なので……」
「いらないわ」
ディアナの断言に彼は弾かれたように顔を上げた。その表情は悪魔らしくなく戸惑っている。
「だって、地獄まで一緒に行ってくれるんでしょう?」
ディアナにとって、それは彼の言葉の反復だった。だって彼が最初に言ったのだ。
「わたしも一緒に地獄に落ちるわ」
「……っ!」
彼が息を呑む。その顔をまじまじと見つめてディアナは彼の頭にぽん、と手をおいた。
彼の肩がびくりと震える。
(なんだこの人、わりと『人間』なのね)
ディアナはそのまま頭をよしよしと撫でる。
あんなに恐ろしく頼もしく思えていたのに、今は年下の青年に見えた。
「ディ、ディアナさ……」
「あっ」
びくり、とディアナが唐突に出した声に彼の肩が震える。
「……なんですか?」
「昼食の時間だわ」
そんな彼の様子は気にもとめず、ディアナは立ち上がる。
「いそぎましょう。お腹がすいたわ」
「……」
「あ、それとわたしのこともディアナと呼び捨てで呼んで」
「えっ」
驚く彼に、彼女はあっけらかんと言った。
「わたしたち、夫婦になるんでしょう?」
「……あ、はい」
エリアスは戸惑ったようにかくん、とうなずく。ディアナはその様子にちょっと首をかしげると、そのまま食事のために部屋を出ることにした。
エリアスはちょっと出遅れて、少ししてからディアナの後へと続いた。




