12.執事スチュワートのたくらみ
「大奥様……」
執事のスチュワートは小さな返事を受けるとするりと扉の隙間から忍び込むようにしてその部屋へと入った。
そこは離れのうちの一室だった。元々はエリアスの寝室だった、今はハンナが追いやられた部屋だ。
母屋から追い出しておきながらも、その部屋の調度品はハンナの好みに合わせて整えられていた。エリアスらしい細やかな気遣いだ。
「申し訳ございません。どうやら密談の内容を覗くことは失敗したようで」
「そう……」
そう答えるハンナはぼんやりとした顔でベッドの前の一人がけのソファに座っていた。その目の前には小さなテーブルがあり、そこにはワインのグラスと心を落ち着かせるために、と医師から処方された薬があった。
(まずいな……)
その意気消沈した様子を見てスチュワートは思う。
正直、元々カークス派閥の彼の権力は縮小していっていた。
みな次々とエリアス派閥へと取り込まれていっているのだ。
彼も別にこの暴力親子に忠誠心があるわけではない。しかし彼はいままで脳筋のカークスを利用してうまい汁をすすってきたのだ。つまり、
(不正が表に出るとまずい……)
あとついでにあのめざといエリアスが今後もスチュワートの不正を見逃すとは思えなかった。
(やはり主人は愚鈍な者に限る)
そうでないとうまく騙されてくれないのだから。
腹の内でそうつぶやきながらも、表面上はいかにも忠実な執事のように彼は生真面目な表情を作った。
「大奥様、跡継ぎの件ですが……、マルティナ様のご子息の……」
「あの女の話をしないでっ!!」
悲鳴じみた怒声とともに彼女はワイングラスを投げる。それは大きな音を立ててスチュワートのすぐ横の壁にぶつかって割れた。
彼の額に冷や汗が浮かぶ。
「あんな、あんな……っ! 下賤な女の血の流れた子はこの家の人間ではありません!!」
(しまったな……)
スチュワートは自身の失策を悟った。
ハンナは夫に浮気をされたことがある。それも奴隷の女とだ。その間にできた子がエリアスだ、というのはこの屋敷の古株の者ならみんな知っていた。その関係でカークスが平民の女と付き合うことも、さらにはそこに子どもができたことも過剰に嫌っていたのだ。
「失礼いたしました」
うやうやしく頭を下げてみせながらも、彼は内心で舌打ちをする。
(あいつを跡継ぎにしないとエリアスが主人になっちまうだろうが!)
ハンナはまるで今後のことを考えられていない。最愛の息子を亡くして動揺しているのだろうとは思うが、その隙にエリアスに家を乗っ取られるのでは目も当てられない。
「……おかしいと思いませんか」
そこで執事はとっておきの切り札を出すことにした。
「旦那様は、本当に暴漢に殺されたのでしょうか?」
「どういう意味?」
ぴくり、とハンナが反応を示した。それにスチュワートは口の端を上げる。
「わたしは旦那様が亡くなった後、エリアス様が憲兵へ説明するのを聞きました。その際、彼は『旦那様が強盗ともみ合いになり、その隙にディアナ様が部屋の外に逃れた』とおっしゃられました」
「それがなんだというの?」
なにもおかしくないじゃない、とその目は言っている。
しかしスチュワートは自信満々に告げた。
「旦那様のご遺体も失礼ながら拝見させていただきました。しかしおかしいのです」
「だからなにがよ!」
「旦那様は頭部の損傷以外の傷を負っておられませんでした」
「……?」
わかっていない様子の彼女に、わずかに苛立ちながら彼は告げる。
「もみ合いになったのならば、少なからず擦り傷などの手傷を負うはずです。しかしそれは旦那様にはなかったのです」
「それって……」
もっともらしく彼はうなずいてみせる。
「まるで、無抵抗だった相手に暴行をふるっていたら、突然反撃され一撃で死に至ったかのように」
ハンナの目が見開かれる。
「殺したのは、あの女ってこと……?」
その声はかすれていた。スチュワートはほくそ笑む。
「その可能性が高いでしょう」
本当は嘘だ。本当にわずかだが、カークスの手首には引っかかれた痕があった。おそらく首を絞められたディアナがひっかいた痕だろうが、強盗のものである可能性もある。
例えば侵入した強盗にカークスがすぐに気づき、ディアナにしたのと同じように飛びかかって絞め殺そうとしたところを置物で殴られた、という説明は成立する。
「……エリアスは? あれはそれを知っていたの?」
震える声でそう尋ねるハンナに、彼はもっともらしく首を横に振った。
「そこまではわかりません。しかし彼は優秀です。わたしの気づいたことに彼が気づかないということは……」
そこから先は言わなかった。言わなくとも伝わっただろう。
(うまくいった!)
ハンナの反応を見てスチュワートは狂喜乱舞した。本当は誰が殺したかなどどうでもいい。ただあの邪魔なエリアスを排除して、いままで通りハンナからうまい汁をすえればいいのだ。
ついでにディアナもいなくなるかもしれないが、そんなことはさらに輪をかけてどうでもよかった。
「許さない……」
しばらくの間、彼女は両手で顔を覆っていた。しかしやがてその顔をゆっくりと上げて、そうつぶやく。
「許さないわ、ディアナ……っ!!」
震える声が強く打ち付けるようにそう叫んだ。それは呪詛だ。長い爪をした手を強く握りしめ、彼女は呪いを吐く。
「ああ大奥様、お気をたしかに……。あの二人は殺してしまいましょう」
その言葉にぴくり、とハンナの肩が揺れた。
スチュワートは得意になって続ける。
「毒というのはどうしても死に方が不自然になってしまいますから……、こういうのはどうでしょう。魔獣に襲わせるのです」
「……魔獣?」
「ええ」
彼はハンナの前に膝をついてその手を取った。握りしめられたその指をほぐすようにして一本一本広げてやる。彼女の青い瞳がぎょろりとこちらを見るのに微笑んでやった。
「明日には葬儀があるでしょう。教会で旦那様がお休みになられた後、そこを狙います。教会は森の近くです。森から魔獣が出てきて葬儀に参加されていたエリアス様とディアナ様を食い殺してしまう不幸な事件が起きるのです」
ハンナがその話に食いついているのがわかる。ゆらゆらと燃える復讐の炎に、スチュワートは薪をくべてやった。
「ディアナ様は怯えながら亡くなられる。復讐としては良い手段かと」
「いいわ」
彼女の判断は早かった。その瞳はもう悲しみに暮れた老婆のものではない。迷いのない声で明確に告げる。
「すぐに支度なさい」
「はっ」
スチュワートは恭順に頭を下げた。その唇は笑みの形にゆがんでいた。




