8.悪魔にふさわしい顔
「ねぇあなた。おつかいを頼まれてくれる?」
ネルと名乗ったメイドに、ディアナはそう声をかけた。
資金はエリアスから渡されていた。「これから忙しくなるから入り用のものがあればこれで」と。本当にいろいろと気のつく男だ。
ネルはびょんっと跳ね上がってびしり、と気をつけをする。
「もっちろんです! 奥様!!」
声が大きくてぴょんぴょんよく跳ねるが、元気があるのはいいことだ。
「これで着る物と化粧道具を買ってきてほしいのよ。ほら、これから葬儀があるでしょう?」
ディアナはこれまでほぼ軟禁されていたため、ろくな外出着も化粧品も持っていなかったのだ。
なにしろ喪服も持っていない始末である。
「かしこまりました!!」
彼女は風を巻き起こしながら走り去った。
ひび割れた鏡台の前に座る。嫁入り道具として唯一持ってきた物だったが、早々に夫に殴られて鏡は割れてしまっていた。
しかしまったく映らないというわけではない。
ディアナは買ってきてもらった化粧品を広げると、ゆっくりと化粧を始めた。
「お、奥様! あの! あたしが!!」
「いいわ。実家では元々自分でしていたのよ。貧乏だったから身の回りのことは全部ね」
だから正直使用人たちに無視されることはそんなに堪えていなかった。辛かったのは恐ろしい夫とその義母の存在だけだ。
ドレスはネルに手伝ってもらって着た。真っ黒なドレス。外出用の帽子と黒いヴェールはベッドの上に箱に入ったまま置いてある。
「お、奥様ぁ……」
化粧でできあがっていく顔に、ネルはちょっと困ったような顔をした。
「それ、あってます?」
失礼な。
ディアナは思わず笑いそうになりながらも、なんとか表情を保った。
そしていかにも真剣に告げる。
「ええ、『あっている』わ」
割れた鏡に映る自分の姿を見る。
満足だ。
「これがわたしにはふさわしいの」
ネルはやはり困ったように首をひねった。
「ええと、そのー、それあってます?」
ディアナの姿を見て、しばし絶句した後にエリアスはそう尋ねた。
「ええ、『あっている』わ」
それにもディアナはすまして答える。
ネルと彼のとまどいももっともだ。黒いドレスを身にまとい、化粧をした彼女の姿は、まるで物語に出てくる意地悪な悪役のようだった。
真っ黒なドレスは喪服というよりはパーティ用のドレスだ。シックなラインではあるものの、胸元は大きく開かれ、派手なフリルがふんだんに使われている。腰のあたりには黒い布でできたバラが咲いていた。
そしてなによりもその顔。
元々が地味な顔立ちだ。だからこそ化粧でいくらでも印象が変えられることをディアナは自覚していた。
きりりと目が大きくつり上がっているように見えるよう引かれた黒いアイラインに紫色のアイシャドウ。まつげもコテでも当てたかのようにくるんとカールしている。頬の腫れもまぶたの上の青たんも、腫れが少し引いたこともあり、真っ白な下地とおしろいをまぶされて見る影もない。
そしてまるで人でも食べたかのような真っ赤な口紅。
ただ口を閉じているだけなのに、唇の端が笑むようにつり上がっている。
まるで悪い魔女だ。
彼はしげしげとディアナの顔を見る。
「なんか鼻が高くなってません?」
「陰影をつけて高く見えるようにしているのよ」
「頬もシャープになってますね」
「それも同じよ。影をつけることで細く見せているの」
「……だまし絵?」
「同じようなものね」
ふ、とディアナは笑う。
釈然としないような顔をエリアスはしていた。それはそうだろう。
しかしこれはディアナなりの覚悟なのだ。
「わたしは殺人者よ」
その言葉を発すると同時に彼の周囲の空気がぴりっと緊張をはらんだ。
今この場にはエリアスとディアナの二人しかいない。だからか彼もディアナの発言を咎めなかった。
ディアナは続ける。
「だから同情できる要素をなくしたの」
昨日のエリアスとそして朝のネルの姿を見て思ったのだ。
自分が労られるなんて間違っている、と。
夫を殺してしまった時、その場でエリアスに言われた言葉にディアナは彼を『悪魔』だと思った。
優しく甘い言葉で人を惑わす『悪魔』だ。
(けれど……)
彼にその提案をされるまで、ディアナは自主するつもりだった。
犯した罪を受け入れて、処分を受けるつもりだった。
しかし彼の言葉を聞いてその決心は揺らいでしまった。
(『悪魔』なのはわたしも一緒だわ)
その手を取ってしまった。
その手を取ると決めてしまった。
実際に殺したのはディアナだ。そして隠蔽に同意したのもディアナ。
これが悪魔でなくてなんだと言うのだろう。
「わたしが哀れまれていい理由なんてないの」
できる限り胸をはってディアナは言う。
虚勢だ。
しかし目をそらさずに真っ直ぐエリアスのことを見据えた。
「加害者は加害者らしくあるべきよ」
他人からも、ましてや自分で自分のことを哀れむべきでもない。
かわいそうがられて、優しくされる権利などディアナにはない。
だから、まずは外見から変えたのだ。
ディアナはもう夫に暴力をふるわれていた被害者じゃない。
夫を殺した加害者だ。
「……あなたは生真面目、いや」
エリアスは言葉を選ぶように視線をさまよわせ、良い言葉が思いつかなかったのかあきらめたように笑った。
「馬鹿真面目ですね」
「馬鹿真面目ってなによ」
じろりと睨むと肩をすくめられる。
「真面目すぎてお馬鹿さんって意味です。まぁでもそういう人は嫌いじゃないですよ」
エリアスが腕を差し出す。その意味がわからずディアナは首をかしげた。
「あれ? まいったな……。まぁ兄さんはこんなことしなかったからしかたないか。エスコートですよ」
そう言われて顔が真っ赤に染まる。
「いや、その……、田舎の家で舞踏会に出ることもあんまりなかったから……」
「ええ、ええ、その上この家に来てからは軟禁生活でしたからね。でももう違います」
青い瞳が優しく微笑む。
「哀れまないでったら!」
その態度に彼女は目をつり上げた。しかしエリアスは笑って取り合わない。
「お忘れですか? ディアナさん。僕はあなたの共犯ですよ。つまりあなたと同じ立場なのです」
ディアナの手が取られる。そして腕に誘導された。
ここをつかめという意味だろう。
「だから僕だけは唯一、あなたに優しくする権利がある」
「……」
ディアナは少し首をかしげてたっぷり三十秒考え込んだ。
「なんか騙されている気がする」
彼は吹き出す。そのまま愉快そうに笑い続ける姿を見て、ディアナはむっとした。
「あなたって悪魔みたいね!」
いやみのつもりで言った言葉はしかし、
「いいですね」
肯定された。
「僕が悪魔なら共犯のあなたは悪魔の妻だ。僕たち、きっと仲良くやれますよ」
彼はディアナの髪に口づけをひとつ落とすと、鼻歌でも歌い出しそうなほど上機嫌に歩き出した。
「あなたに来客です。さぁ行きましょう」
扉が開く。
「悪魔の夫婦の初陣です」
高い位置にある太陽の光がまぶしかった。




