59.謎の婚約者フローラ
それにネルはうさんくさそうに、ディアナはきょとんと目を向ける。
そして微笑んだ。
「誤解だなんて……、いいのよ、エリアス。わたしのことは気にしないで。どうかあなたは大好きな人と一緒になって」
慈悲深い微笑みである。しかしエリアスは声をあげる。
「だから誤解なんです! まったくの!!」
「どこがどう誤解なんですかっ!」
ネルが叫ぶ。
「婚約者がいたのは本当なんでしょうっ!!」
それにエリアスは顔面を蒼白にしたまま、「だ、だから、その婚約者というのは……」とうめく。
「婚約者だけど、婚約者じゃないんです!!」
「はぁ?」とその場にいたすべての人を代弁するようにネルは声をあげた。
その目は如実に告げている。
「何言ってんだ、こいつ」と。
それにエリアスは首を横に振る。いつも冷静な彼らしくなくそれは乱暴でなげやりな振り方だった。
「婚約者というのは、こいつなんです!!」
その指が彼の後方に向けられる。
その指の先にいたのは、
「……アスター?」
ディアナがぽつりとつぶやく。
指名を受けた彼は爆笑していた。笑いすぎて声もでないのか、口を開けて腹をおさえたまま悶絶している。
確かに彼は比較的中性的な顔立ちをした美男である。しかし身長はそこそこあるし、喉仏もある。女性と言い張るには無理がある。
彼はひとしきり笑い終わって満足したのか、「はぁー」と息を吐くと、長いブラウンの髪を束ねていた髪紐をほどいた。そして上品な仕草で手のひらで口元を隠してみせる。
「お初にお目にかかります、みなさん、あたしはフローラ。エリアス様の元婚約者のフローラ・デシネと申します。以後お見知りおきを」
そしてその口から滑り出た声は女性のものであった。
ゆっくりとカーテシーをしてみせる姿は、スカートのない姿では滑稽に見えるはずなのにドレスの幻影が見えるほど様になっていた。
思わずディアナは口をあんぐりと開けてしまう。
「お、お、女の人だったの……っ!?」
その驚愕にアスターは再び爆笑した。
「アスター!!」
地獄のような重低音でエリアスが怒鳴る。
「いやいやいやいや、これは笑うでしょ」
「どういうことっ!!」
ネルが敵意をむき出しにして睨んだ。それに「おお怖い」と不真面目に怯えたふりをしてみせながらアスターは笑う。
「どうもこうも、さっきエリアスが言ったとおりさ。エリアスの婚約者は男の俺でした。ちゃんちゃん」
そう言うと彼は説明を始めた。
彼、アスターことフローラ・デシネは平民と伯爵の間に生まれた長男である。本来なら跡継ぎであるが、彼の平民である母親には当然ながら後ろ盾になってくれるような味方などいなかった。
「家督争いなどでごたごたすることは目に見えていた。そしてそれに巻き込まれたら俺も母親も利用するだけされてぼろぼろにされることもな」
そこで母親は苦し紛れの策に出た。すなわちーー、
「俺を女と偽って育てたわけだ」
アスターはにやりと笑う。その態度も表情も立派な男性のものだ。しかしなるほど、幼い時は少女で通すことが可能だっただろう。
「おかげで俺はのんべんだらりと生きられたわけだ。ただひとつどうしようもない困難があった。婚約だ。しかしそれも偶然が解決した。エリアスだ」
ごほん、とエリアスは気まずげに咳払いをした。
「彼とは偶然知り合ったんです。僕の場合は母が奴隷ですからもっと立場は下でしたが、おなじく母親が正妻ではないという立場上、意気投合したんですよ。それでーー」
「男だってことを打ち明けて、その上で婚約を持ちかけたのさ。恋愛に興味がなく味方を欲していたエリアスに男と結婚させられるのは困る俺。利害は一致してたし爵位も釣り合う。すぐに婚約は成立したってわけ」
そこまで言うと、アスターはにこ、とディアナに微笑みかけた。その視線にディアナの心臓は跳ねる。
(ーーじゃあ)
思わず期待してしまう。そして彼はその期待を裏切らない言葉を続けた。
「だから、エリアスに両思いの相手なんていないってわけだ。俺は元々エリアスの部下。あんたの邪魔をする奴なんていないのさ、ディアナちゃん」
「……っ」
思わず両手を胸の前でぎゅっと握りしめる。
(自分の立場なんてどうでもいいって言ったのに)
それにも関わらず、確かに歓喜している自分がいた。
(こんなに都合がいいことがあってもいいのかしら……?)
よくない気がする。なんというか、良いことが続きすぎるとその後に奈落の底に落とされそうなそんな感覚がディアナにはあった。
ふと視線を移動させると、エリアスと目が合った。彼は気まずそうに頭を掻く。
「……そういうことです。誤解は解けましたか?」
「うん」
彼はネルがディアナのことを抱きしめながら後ずさった分の距離を埋めるように歩み寄ってきた。そしてディアナの手を取るとその指先に唇を寄せる。
「そういえば、ちゃんと伝えていませんでしたね。ディアナ」
彼は照れくさそうに、ややぶっきらぼうに視線を寄こした。
「僕と結婚してください」
「……っ、ええ、するわ!」
プロポーズなんて初めてされた。それが例え純粋な恋愛関係ではなく主従関係の絡んだものであったとしても、
(多少は、好意があると思ってもいいかしら……?)
少なくとも、嫌われてはいない気がする。友人程度には仲が良く、騎士としては信頼を置かれている気がするのだ。
ディアナは手を引く。ディアナの手を掴んでいた彼の手はそのままくっついてきた。その手の甲にお返しのように口づけを落とす。
青い瞳がそれを見て微笑んだ。
それにディアナも幸せな気持ちで微笑み返した。





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