54.ブレンの望み
攻防は一進一退で進んだ。ブレンが攻撃を仕掛ける、それをディアナがひたすら剣で受け流す。同じ位置にお互いの手。間髪入れずにほぼ同時に手を合わせる二人のそれははたからみるとまるでダンスを踊っているようにすら見える。しかし薄氷を踏むようなバランスで成立しているその攻防は、どちらか片方がほんの少しでも気を弛めれば即座に瓦解して死に至ることをその場に居る誰もが理解していた。
「若い頃の私は傲慢でした。他に追随することを許さない。比べることすらおごかましい。そんな超越した存在になりたいと思い、そしてそのようにふるまってきた。しかし、」
ブレンは目を伏せる。
思い出すのは輝かしい銀色の髪に青い瞳。
血と土煙の匂いにまみれた場所にあって、どこまでも燦然と輝くその存在感。
「……逆にそんな『超越した存在』に出会って、私の理想はぐちゃぐちゃに踏み潰されました」
自らの弱さを知った時、それまでの価値観、己の存在、世界、そのすべてがちっぽけなものだとブレンは気づいた。
そしてその自分の絶対として掲げていた『強さの理想像』という指標すらもブレンの想像という狭い範囲で生み出されたものでしかなく、ただの自らを縛る足かせでしかなかったことを知った。
「私は強い者が好きだ。それは今でも変わらない。しかしそれは私でなくてもいい。もちろん、私自身も強くありたい。しかしもはやそれだけでは足りないのですよ、ディアナ殿」
ブレンの爪が風を切る。うなり声のような音を立ててディアナの首筋を狙った。それをディアナは頭を後方にそらすことで難なく避けるとすぐに背筋で姿勢をバネのように戻し、その勢いのまま斬りかかってくる。
それをブレンは片手で受け止め、もう片方の手で彼女の腹を裂こうと腕を振るった。
その瞬間、彼女の足が地面を蹴る。
ブレンの赤い目が喜びに輝く。
「強い存在! その相手に挑み、戦うこの時間が! 私はたまらなく好きなのです! そしてその上で相手に『私の本気』がぐちゃぐちゃに踏み潰されたのなら! それに勝る喜びがありましょうか!!」
ディアナは宙を飛んでいた。ブレンの爪に剣を打ち込んだまま、そこに全体重をかけて飛び上がったのだ。そのまま彼女はくるりと宙でバク転を決めると彼の背後へと降り立った。
一つに結い上げられた流れるような黒髪が尾を引く。星のような黄金の瞳が、ブレンのことを一部の隙もみせずに見つめていた。
その瞳にわずかな怯えもひるみもないのを見て取って、ぞくぞくと彼の背筋に震えが走る。
彼女は強い。少なくともカークスや、エリアス、ルリやハリなど相手にもならないほどに。
こんなのは久しぶりだった。ルートヴィヒが生きていた頃はまだ手合わせもしていたが、亡くなってからはずっと苔むした岩のようにこの屋敷に鎮座するにとどまっていた彼にとって、ディアナとの手合わせは非常に刺激的だ。
よだれが垂れそうになっていることにかろうじて気がつくと、彼はそっと手の甲で拭う。
ディアナとの試合。それは実はブレンにとっては非常に魅力的な誘いだった。
しかしすぐに乗らなかったのは、それを悟られては都合が悪いからだ。
ーーつまり、
「ブレンって……」
案の定、ディアナはその告白を聞いてぽかん、とした表情をした。
「もしかして、いじめられるのが好きなの?」
その言葉にブレンはふっ、と不敵に笑う。
そして堂々と胸を張った。
「だとしたら一体なんだというのです!」
「……」
「否定しないんだぁ」
ディアナの代わりにそうつぶやいたのは後方で観戦していたハリだった。
「確かに私はマゾなのかもしれません!」
「はっきり言っちゃった……」
その隣でルリも居心地悪そうにつぶやく。
しかしそんな甥っ子たちの嘆きを大人げない叔父は一切配慮しない。
彼はカッと目を見開いた。
「しかしそれがなんです? 一体誰に迷惑をかけたというのですか?」
そこにあるのは、立派な開き直りだ。
「ちなみに私にも好みはあります! 誰でもいいわけではございません!!」
「……はぁ」
ディアナは呆然とため息のような相づちを漏らす。
ブレンはぐっ、と胸元を苦渋の表情で押さえる。
「簡単に言うとカークス様と関わるのは別に楽しくありませんでした、ということは誤解なきようお伝えさせていただきます」
そう、ブレンにもこだわりがあるのだ。
自身の趣向がやや変態気味であることに自覚はある。しかしみさかいがないわけではない。
ブレンはグルメなのである。
「あくまで私は私よりも優れた存在に良い感じに罵られて軽く扱われたいのです! そういう意味ではなるほど、カークス様よりもエリアス様のほうに可能性を感じておりました!」
その場にいる全員の視線がエリアスへと向いた。
「確かに言葉責めとか上手そう……」とぽつりとつぶやいたのは一体誰だったのか。
「やめてください!!」
真っ青な顔をしてエリアスは首をぶんぶん横に振った。
ブレンはしかしため息をついた。
「けれど残念ながら……、エリアス様は剣術が苦手でいらっしゃる。私にとってとても重要な、私よりも『強い』という条件がカークス様同様、満たされていないのです」
「えーと……、つまり……」
ネルが考えながらおそるおそる口にした。
「好みのいじめ役がいないからお屋敷から去ろうとしてたってこと?」
ブレンは深く深く息をついた。
「そうともいえますな」
「そうとしか言えないじゃん!」
彼女のつっこみに全員がうなずく。
「ってゆーか! つまり、つまり! 奥様にその役割を求めるつもりじゃないでしょうね!!」
そのネルの指摘に今度は全員の視線がディアナを向いた。
「え? わたし……?」
呆然と自らを指さす彼女に、ブレンは不敵に微笑む。
「さて、ディアナ様は私のお眼鏡に適う方でしょうか? そうであればいいとは思っているのですが……」
つまり今回のこの賭け。これはブレンにとってもとても良い話であった。ディアナがブレンに勝てば、ブレンは自分よりも強い相手を部下として持つエリアスに仕えることになる。ブレンがディアナに勝てば、やはりルートヴィヒ以上にブレンのことを良い感じに虐げてくれる人物はいなかったのだと諦めて屋敷を去ればいいだけだ。
この際強さはディアナ、言葉責めはエリアスの分業制でもいい。自分よりも強いディアナを従えているのだからエリアスも自分よりも強い存在なのだという理屈も通るだろう。
それくらいにブレンは餓えていたのだ。
(エリアス様ならば……、私の上に置くことができる!)
なんにも尊敬できないカークスよりも、武力はなくとも『統治者』としてはブレンよりも格上のエリアスのほうが虐げてくる対象としては興奮する。
ーーというのもこの妥協の理由であることも付け加えておく。
「さぁディアナ様! 私に示してくだされ! あなたの強さを!!」
ブレンは牙と爪をむき出しにして叫んだ。
「う、ううっ」
それに彼女は涙目になりながら心細そうに剣をぎゅっと握りしめる。
「わたし、わたし……っ! こんなに剣を振るうのが怖いと思ったのはっ、生まれて初めてだわ……っ!」
ブレンが決闘の誘いにすぐに乗らなかった理由。それは相手に怯えられて決闘そのものを破棄される可能性をなくすためであった。
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