53.レーヴラインの狼
ディアナは剣を抜いた。
エリアスやネル、ルリとハリ達は後方へと下がり、今はディアナとブレンの二人しかその庭園の広場にはいなかった。
ちょうど植木がなく開けた場所。そこをまるで試合のリングのようにして二人は対峙する。
「では、失礼いたします」
先に動いたのはブレンだった。その簡素な声と共にその姿はかき消え、次の瞬間には彼はディアナの目の前に現れる。
「……くっ!」
ギィンっ、と鈍い音がして彼の爪と剣が弾き合う。まともに受け止めては刃が痛みそうな力の強さに、ディアナはたまらず攻撃をいなした。
そのまま相手に切りかかろうとする頃にはまた姿が消えている。しかし彼はハリのように遠くに移動したわけではない。
すぐ左頬の方から黒い爪が伸びてきた。
「……っ!」
剣を振り下ろした状態からそれを受け止めることはできない。ディアナはとっさに大きく右へと飛び、その攻撃を回避した。
「さすがに素早いですな、ディアナ殿」
その余裕綽々の言い様は感心しているというよりも子どもを褒めているに等しい。
(遊ばれてる……)
よく言えば様子見だろうか。ディアナはブレンから目はそらさないまま左頬を撫でる。
血が付くような感触はない。乾いた頬だ。しかしあの瞬間、あの黒い爪に引き裂かれたのではないかという錯覚をした。
「……ブレンは、この屋敷を辞めたら何をするの?」
ディアナの問いかけに一体なんの話か、と彼は眉を上げたが、やがて顎を撫でながら思案し始めた。
「さて、特になにも考えてはおりませんな。なにせ仕事以外はなにもしてこなかった男やもめですから……」
「白狼族の村に帰るの?」
「まさか」
彼は笑う。本当にありえないと思っているような顔だった。
「私はルートヴィヒ様に敗れ、一族を守れなかった愚かな長です。いまさらどの面を下げて帰ればいいというのか」
「別に普通の顔で帰ったらいいと思うけど……」
ディアナの言い草に彼はふっ、と笑う。
「エリアス様に仕えさせたいのか、この屋敷から追い出したいのか、よくわからない物言いですな」
「……う」
ディアナはうめく。会話に深い意味はなかった。ただ純粋に疑問に思ったことを尋ねただけだ。
「ごめんなさい。これだけ強い人だから、これからただ村に帰ってのんびりするだけなのはもったいないかと思ったの」
そう、もったいない。だから彼は屋敷を辞めた後、なにかしたいことでもあるのかと思ったのだ。
(あんまり……、応援はしてあげられないけど……)
なにせ彼にはエリアスの味方してもらわないと困る。
(具体的に何が困るのかまではわたしは知らないけど!)
でもエリアスが困ると言っているのだからきっと困るのだ。
(それに……)
彼が味方にいれば心強い、というのはとても分かる。
ハリよりも素早い、とは言わない。しかし同じくらいの素早さにそれ以上の攻撃の威力。さらには彼はディアナよりも大柄である。
体を吹っ飛ばすことは愚か、攻撃をはじき返すことすら難しい。
正直、ハリの攻撃を防ぎ続けることはそう苦ではなかった。けれどブレンの攻撃はほんの少しでも判断を誤ればただちにディアナの首が飛ぶような綱渡りめいた緊張感があった。
「私はこの屋敷に長く居座り過ぎました」
ふと、ブレンがそうこぼした。彼は遠い何かを思い出すように視線を投げかけている。
「こんなに長生きをするとは思っていなかった。私はただ、自分の欲しい物を追い求めて追い求めて、そしていつか死体も残さず死ぬのだと思っていましたが……、結果は主人がいなくなっても地縛霊のようにその場所にとどまり続ける何かになってしまった」
郷愁の念、とでもいうのだろうか。彼が見つめているのはおそらく思い出だ。
ディアナは不思議な気持ちでそれを眺める。
「なにが欲しかったの?」
夢から覚めたように、ブレンがこちらの顔を見た。
「ルートヴィヒ様は、あなたに一体何を与えたの?」
「……。圧倒的な強さと屈辱を」
彼は両手に力を込める。黒光りする鋭い爪がみしり、と音を立ててむき出しになる。
「かつて私は、圧倒的な存在でありたかった」
その言葉と共に再びその姿はかき消えた。





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