52.申し込みの作法
「彼は先の戦争でも『レーヴラインの狼』と呼ばれて他国から恐れられた存在です。そんな相手と決闘など、正直命を捨てているとしか思えません」
「それは……っ」
しかしディアナにはそれしかないのだ。
それ以外の方法など思いつかないし、思いついたところで実行できるとも思えない。
それにエリアスのその言い方ではあまりにも、
「エリアスは、わたしのことを信じてくれないの?」
そうなじろうとした口は、彼の人差し指によって閉じられた。唇に押し当てられた指先にディアナはむぐっとうめいて押し黙る。
「しかし、そう諭してもあなたは納得しないでしょう」
うんうん、と無言でディアナは首を縦に振る。それに苦笑して、彼は「だからこれだけお尋ねします」と言った。
「本当に、あなたは『生きたまま』ブレンに勝てますか?」
ディアナは目を見開く。『生きたまま』。それはつまり言葉通りに生き残るのはもちろん、後遺症が残るような重症を負うな、という意味も含まれているだろう。
考えたのは一瞬で、すぐにディアナは口を塞ぐ彼の手を取ると、その指先に責めるように軽くかみついた。
エリアスの驚く顔に溜飲が下がる。
「勝つわ」
不思議と気持ちは軽かった。ディアナには他の何もできない。頭は悪いし要領も良くない。
けれど剣だけは。
誰にも負けないという自信、ーーいや、これだけしかないからこそ、誰にも譲れないという矜持があった。
エリアスは笑う。ディアナと同じく、非常に晴れやかな笑みだった。
「では頼みます。情けない男で申し訳ない限りですが、僕では彼を『説得』できませんから」
そしてそのまま彼はブレンの方を向く。
「ブレン、あなたはこの決闘にメリットがないと言いましたね。ではこうしましょう。ディアナがあなたに勝ったら、あなたには忠誠を誓ってもらう。しかしもしもあなたがディアナに勝ったらその時は、」
白く細い指。それがすい、とディアナの持つ剣を指さした。
「この剣を差し上げます」
その時、ブレンの瞳に初めて動揺が現れた。しかしそれはすぐに煙に隠すようにかき消える。
「エリアス様、しかしそれはレーヴライン家に代々伝わる……」
「ええ、その通り。いわゆる家宝というやつですね。そして父が生前愛用していた剣でもあります」
(知らなかった……)
ディアナは息を呑んで手にしていた剣を見下ろした。この剣はエリアスが葬式の際に持っていたものであり、シュランゲ討伐以降はなし崩しにディアナが使わせてもらっているものだ。てっきりエリアスの私物だと思っていたが、いや、ルートヴィヒとカークス亡き今はエリアス所有の私物ではあるのだろうが、そんなに由緒正しい物だとは思っていなかった。
エリアスは人差し指を自らの唇へと写し、囁くように密かに笑う。
「あなたには喉から手が出るほど欲しいものではありませんか?」
「……」
その問いかけにブレンは押し黙った。無言は肯定に他ならない。敬愛するルートヴィヒの愛剣。彼にとってのその価値は他の人には計り知れないほどのものだろう。彼はやがて観念したように重いため息を吐き出した。
「そのようなものを賭けてもいいと思うほどに、奥様のことを信頼されているのですね」
「それもありますが、それくらいにあなたの助力が欲しいのです、ブレン」
静かな瞳で、真摯にエリアスは嘆願した。
「どうか、僕の味方になってください」
(ずるいわ……)
それを見てディアナは思う。普段は小ずるい手を使うくせに、彼には時々奇妙な誠実さがあった。そうストレートに嘆願されて、断れる人間は多くないだろう。
ブレンもそのように思ったのかはさだかではないが、彼はしばし考え込むように目を閉じた。そして開く。
その時にはもう、その紅い瞳には覚悟が宿っていた。
「あなたのその愚直さに敬意を表しましょう」
「はい?」
首をかしげるエリアスに、ブレンが顔を上げる。
「カークス様のように、その剣をたたき折ってもいいのかと脅して私に恭順を求めることも可能だったでしょう。しかしあなたはそれをしなかった。決闘の報償にはしても、脅迫の材料にはしなかった。その愚かな誠実さに免じて、この決闘、お引き受けいたします」
「……っ」
ディアナは息を呑む。なぜ彼のような人物がカークスに仕えているのか疑問だったが、どうやらルートヴィヒの剣を人質に取られていたらしい。
エリアスの提案に驚いていたところを見ると、彼はこの剣を手に入れたいとは思っていなかったのかもしれない。しかし、それを無残にも彼の息子にたたき折られるなどという真似だけは回避したいと考えていたのか。
(エリアスなら、剣を折ることはないと思って辞めようと思えたのかしら?)
だとしたら彼の職を辞する宣言は、もしかしたらエリアスへの信頼の現れでもあったのかもしれない。
(でも、エリアスには彼が必要だわ)
彼の心中を思うと申し訳なく思うが、引退はもう少し先延ばしにしてもらわなくてはならない。
ブレンの目が伏せられた。しかしそれは一瞬のことですぐに上げられる。そしてその目が、ディアナのことを捕らえた。
そこにはもう、さきほどまでの家令としての彼はいない。
彼は胸元を弛めた。上着も脱ぎ捨てるとその辺へと放り出す。紳士然とした上品さはなりをひそめ、むき出しにされた牙と戦意に満ちた紅い瞳が、野生の獣のようにこちらを見ていた。
「ではいざ尋常に、勝負」
そこにいるのは、『レーヴラインの狼』だった。





↓こちらで電子書籍版販売中!