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悪魔侯爵の騎夫人〜気弱な奥様は最強の騎士〜  作者: 陸路りん
第1章 気弱な侯爵夫人ディアナ

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5.夢

「ねぇ、本当にディアナは行かなくていいの?」

 母が困ったように眉を下げて聞いた。

「うん……」

 それに幼いディアナはうなずく。今日は弟のアルノルトが南領の首都で開かれる剣術大会に参加するのだ。

 南の王が主催するそれは権威のある大会で、入賞すればそれなりの箔がつく。

 今は落ち着いているとはいえど、少し前まで戦争をしていたとあって、今でも剣や魔術の強い者は敬意を集める傾向があった。

 跡取りであるアルノルトは箔付けのために参加する予定で、父はそれに付き添いで同行することが決まっていた。そしてついでにディアナも一緒にどうかと誘われたのだ。

 しかしディアナはそれを断った。

 首都はとても人が多いと聞く。ディアナにはそれがおそろしかった。普段は生まれた時から面識のある領地の人としか接しないディアナだ。引っ込み思案のディアナには見知らぬ人間が大量にいる首都は知らない場所への興味よりも恐怖が先行する場所だった。

「じゃあ行ってくる!」

 元気よく手をふるアルノルトにディアナは小さく手を振り返した。


「本当に大丈夫?」

 目の前には花嫁衣装であるドレスが飾られていた。ディアナのドレスだ。なんとか工面して作り上げたそれは、人に頼む金などないから身内だけで仕立てたものだ。

「あなたに侯爵夫人だなんて……、荷が重いんじゃないかしら」

「大丈夫よ、お母さん」

 ディアナと同じ気の弱そうな眉を心配げに寄せる母に、ディアナはなんとか笑ってみせた。

 その笑みはますます母の不安をあおったようだ。母は言いつのる。

「これからは知らない人に囲まれて生活することになるのよ。せめて領民の誰かを側仕えとして一緒につれて……」

「お母さん、それは無理よ」

 ディアナは首を横に振る。

「うちには使用人なんてほとんどいないでしょう? 町の人達だって、ちゃんとした貴族に仕えたことなんてない人たちばかりよ。それが侯爵家の使用人たちにまじって働けると思うの?」

 貧しいゼーテ領は自給自足で成り立っているようなものだ。領民のほとんどは猟師か農民。学がない者がほとんどである。

 ディアナの言葉を否定できなかったのか、母は困ったようにつぶやいた。

「まぁ、お相手は武人の家系だというし……、へんに格式張った家よりもあなたには合うかしら……」

 それはディアナに、というよりも自分自身を安心させるために言い聞かせているような口調だ。彼女はすぐに顔をあげると、ディアナのことを真剣に見つめた。

「何かあったらすぐに言うのよ。あなたは嫌なことがあっても言えずに我慢してしまうことが多いから……」

「お母さん……」

 母の手がディアナのたことささくれだらけで硬い皮膚をした手をぎゅっと握った。

「あなたの幸いを願っているわ……」

 握られた手のひらが温かい。その弱々しい声はディアナの耳にこびりつくように残った。


 気がつくと目の前には青い瞳があった。

 この三年で見慣れた。とても嫌な瞳だ。

「このくそ女が……っ!!」

 聞き慣れた声が罵倒する。目は怒りでつり上がり、筋肉質で剣だこのできた手が伸ばされる。

 ディアナは恐怖で動けない。いままでもずっとそうだったように。今も動けなかった。

「よくも俺を殺したな……っ!!」

 カークスだ。彼は頭から血を流していた。ディアナが殴った跡だ。

(やめて……っ!!)

 ディアナは叫ぶ。しかし不思議なことに声は出なかった。頭の中では確かに叫んでいるのに、喉が詰まったように音は出ない。

(やめて! お願い……っ!)

 頭を抱える。血まみれの彼の手がうずくまるディアナをつかむ。

「おまえもおまえの家族もっ! ぶっ殺してやる……っ!!」

 絹を裂くような甲高い悲鳴があがった。

 ディアナがそれが自分の声だと気づいたのは目が覚めてからだった。


(……夢?)

 気がつくとディアナはベッドの中にいた。はっはっ、とまるで毎朝の稽古の後のように息が大きく乱れている。シルクの寝間着に綺麗なシーツ。それは夜寝る前に、いままでのぼろぼろの布団とシーツではあんまりだ、とエリアスが替えてくれた新しいものだったが、今は汗でびっしょりと濡れていた。

「そうだ……、わたし……」

 あの事件の後、疲れて寝てしまったのだ。

 ベッドサイドには水差しが置かれていた。コップにそれをそそぐと透明な水が流れ込み、それを口に含む。

(おいしい……)

 いままでは濁った水が入れられていた。一見透明で綺麗なのになにを入れたのか非常に苦い時もあった。

 しかし今日はただの綺麗な井戸水だ。

(……そうだ)

 カークスは死んだのだ。

「わたしが……」

 ディアナが、殺した。

 彼女は顔を覆うように両手を当てた。

 手が震えている。

 昨日はまだ混乱していた。しかし一晩明けて現実が押し寄せる。

 人を殺したのだ。ディアナは。

「大丈夫ですか?」

 ふいに近くで響いた男性の声に彼女は肩を震わせた。

 まさか本当に夫がよみがえったのか。

 おそるおそる顔を上げると、

「……。なんであなたがここにいるの」

「悲鳴が聞こえたので」

 エリアスがいた。

しばらくは毎日17:50頃の投稿になります。

よろしくお願いします。

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