45.ルリとハリ
昔からハリは優秀だった。
強さが至上にして唯一の価値。白狼族において『優秀』とは強さのことだ。
「ルリはダメだな」
月も雲に隠れる光の差さない深夜。尿意で目を覚ましたルリとハリは大人達が集まって酒を飲んでいる席を通りかかってしまった。
思わず家の柱の陰に隠れて立ち止まった二人に、その声はなおも続ける。
「あれは使いもんにならん。力もない、走る速度も足りない。同じ双子なのにハリとは大違いだ」
ハリはおそるおそる隣にいる同い年の兄の顔を盗み見た。兄は今まで見たこともないような生気のない顔をして、目を見開き口をうっすらと開けたまま固まってしまっている。
息を吸うその唇が、ほんのわずかに震えているのが白狼族であるハリの目には暗闇でもはっきりと見て取れた。
「ハリは同年代の中でもずば抜けている。身体的な能力もそうだが、戦闘のセンスがある」
「やはり双子というのはよくないな。どちらかに才が偏る」
酒を飲みながら軽い口調で大人たちは囁く。
「ルリのことは奴隷として領主に差し出すのがよかろう」
この酒の場で一番年長のレッカという男が言った。彼は長というわけではないが、この場では一番発言権がある。
ハリはこの場にブレンがいないかを救いを求めるように探した。彼ならばこのようなふざけた発言を許しはしないだろうと思ったからだ。しかし基本的に集落には帰ってこない叔父の姿はこの場にはなかった。
「こちらは無能を追い払えて、あちらは白狼族の人手を得る。双方に利益がある。なに、人族は我々よりもか弱い。あの出来損ないでも重宝されるであろう」
「……ルリっ」
ルリが密かに歩いて再び寝所に戻り始めたのを見て、ハリは慌ててその背を追いかけた。
無言の背中が恐ろしいと思ったのは初めてだ。
「ルリ、ねぇ……っ」
「もう寝ようよー」
布団までたどり着いて、振り返った兄の顔はいつも通りの柔和なものだった。
しかしそれが逆にそら恐ろしい。
ハリの心臓が早鐘のように鳴る。
「もう僕、眠いよー」
そう告げる兄の目は、とても眠たいようには見えなかった。
その日から、ルリは変わった。
朝誰よりも早く起きると、鍛錬に打ち込むようになった。
昼にある訓練の時間も積極的にこなし、試合では自ら進んで強い者に挑むようになった。
周りからの助言をもらおうと話を聞きに周り、戦い方の研究をするようになった。
それでもーー、
「一本! 勝者、レッカ」
ルリは一族で一番弱いままだった。
あの晩、ルリのことを『奴隷として追い出す』とのたまった男が、負けたルリのことを鼻を鳴らして見下ろす。
「ーーっ!」
「ルリっ!」
逃げるように駆け出すルリに、ハリは慌てて後を追いかけた。
兄は集落の外れ、森の中にある小川の前で、膝を抱えて座っていた。
「ルリ……」
「なんだよ……っ」
なぐさめようと伸ばした手を弾かれる。その痛みに立ち尽くすハリを、ルリは涙に濡れた目を棘のようにつり上げて睨んだ。
「ハリはいいよねぇ! 努力すればするほど強くなってさ! 僕はなにをやっても無駄だ! 全部ダメだ! だから……っ!」
そこまで言って、続きは嗚咽に変わった。吐き出した言葉を恥じるようにルリは両手で口を押さえてうずくまる。
「だから……っ、僕は追い出されるんだ……っ!」
その悲壮な嘆きは小さかったが確かにハリの耳に届いた。
(なんで……)
ハリは拳を握りしめる。
(なんでルリがこんなに苦しまなきゃいけないの?)
物心がついた頃から一緒だった。恥ずかしい話だが、小さい時ハリはルリのことをまったく同じ自分自身だと思っていた。自分の手足の延長線上。同じ思考に同じ顔。ハリが笑えばルリも笑い、ルリが泣けばハリも泣く。
それがばらばらになってしまったのは、一体いつからだっただろうか?
ハリだって薄々気づいていた。ルリとハリは違う。ハリの走る速さにルリが追いつけなくなったのはいつからだっただろう。ハリの持てる物をルリが持ちあげられなくなったのは? それでもルリはハリの体と心の一部だった。同じ存在だと思っていた。ずっと、ずっとーー、
周りの大人たちが、二人を違うものだと言い出すまでは。
「ルリ……」
ハリは顔をあげた。その紅い瞳に宿るのは諦観ではない。気づいてしまったのだ。
周りがルリとハリを別の存在だと思う方が悪い、と。
「二人で戦おう」
「……は?」
ルリは一体何を言い出すのか、という顔でハリのことを見上げた。しかしルリは止まらない。だって、どう考えてもおかしいのだ。
ルリとハリを区別するのはおかしい。
その思考を正しくルリは受け取ったようだった。小さく息を呑む音が聞こえる。
それに満足してハリは微笑んだ。
「僕たちは二人でひとつだ。一人でダメでも、二人ならきっと誰にも負けない」
さきほどのルリを負かせた男。そしてあの夜、ルリを追い出すと言った男。
「僕も、一人じゃあの男に勝てない。……ちょうど殺してやりたいと思ってたんだ」
「二人で戦うなんて、卑怯だよ……」
ルリは弱々しい声で言った。それもわかっている。ルリならばそう言うと、ハリは理解していた。
「卑怯でいい」
しかしそれを否定する。
白狼族は正々堂々を好む。お互いに一族を上げた闘争ならば良いが、それ以外で一人に対して多人数で挑むのは卑怯とそしられることはハリだって知っている。
でも、それでもいい。
「僕は卑怯でいい。ルリと居られるならそれでいい。正々堂々と戦って、それで大切な人を失うなんてそんなのは馬鹿がやることだ」
ハリだって、ルリを失う危険がないのならば正々堂々としていたかった。
けれどそれで大切な者が守れないのならば、そんな誠実さはもういらないのだ。
ハリはルリを見た。ルリもハリのことを見ていた。言わなくてもその考えが伝わったことを、ハリは確かに確信した。
「僕たちは卑怯者だ。それでいいじゃん」
「……うん」
ルリはやはりうなずいてくれた。その紅い瞳にハリと同じ光が宿る。
「うん、僕も卑怯でいい。ハリといたいよ……」
「うん」
二人は抱きしめ合った。小川のせせらぎだけが聞こえていた。
「ずっと二人でいよう」
紅い瞳が集落の方を見る。最初に打ち倒すべき敵はもう決まっていた。
レッカだ。





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