44.戦闘開始!
さきほどまで丸みを帯びたただの人間の爪だったそれが、彼の怒りに応えるように盛り上がり、大型の魔獣の物のように鋭く尖った刃物へと変貌する。その全身には力が入り、髪の毛は獣のように逆立ち、赤い目の瞳孔は開いている。
どこからどう見ても臨戦態勢だ。
「……えっ、えっ!?」
ディアナはその変貌ぶりに戸惑いの声をあげた。
先ほどまではまるで砂糖菓子のようだった美少年が、今はまるで大型の魔獣のようだ。
戸惑うなというほうが無理である。
そんな彼女の右頬を、再び閃光が駆け抜けた。
かろうじて左に上体を傾けて避けたが、チッと小さな音を立てて頬に血の筋が走る。
「おまえ無礼だよー。僕たちを区別するなんて」
「おまえ気に食わないなー。僕たちを区別するなんて」
気がつくと獣はルリだけではなかった。ハリまでもが同じように爪をむき出しにし、獣のように毛を逆立てて立っている。
ちょうどディアナの正面にハリ、そして後方にルリが挟み撃ちするようにして爪と牙をむき出しにしていた。
「え、ええー……」
(『区別』……?)
なにが一体二人の琴線に触れたのかがわからない。ただそれがきっかけであることだけは理解できた。
(見分けちゃだめだったってこと……?)
ディアナは手元のスコップをぎゅっと握る。
最悪なことに、メイド姿である今、ディアナは剣を持っていない。
今手元にあるのはスコップとちりとりだけだ。
(いや、無理でしょ……)
絶対絶命だ。
スコップは先端のスプーン状のへらの部分だけが金属製だが、それ以外は木製だ。見る限りにおいては双子の爪は非常に鋭利であり、かすっただけでスカートの布を引き裂く威力がある。そんなものを受け止めたら木製の部分はすぐに折れてしまうだろう。
加えてこの二対一だ。しかもすでに挟み撃ちにされてしまっている。
「……」
ディアナは足下に落ちたままになっていたちりとりを足で踏んづけた。金属製のそれは甲高い音を立てて地面にぶつかると跳ね上がりーー、そしてその音がまるで開始の合図だったかのようにルリとハリの姿がかき消える。
ディアナは宙に跳ね上がったちりとりを左手で素早く捕まえると、それを前に突き出した。
「……くっ!」
瞬間、再び耳障りな金属音が響き渡る。ハリの爪による攻撃をちりとりで防いだせいだ。たった一撃受けただけにも関わらず、ちりとりは簡単にひしゃげてくの字に曲がってしまった。
その重さにたまらずディアナはちりとりを手放すと、すぐさまスコップを右から左上へと薙ぐ。
ハリは後方へと飛び退き、その攻撃をあっさりと避けた。しかしディアナの狙いは最初からハリではない。振った勢いそのままにくるりと体を反転し、ディアナはそのまま背後から攻撃をしかけてきていたルリに向かってスコップを振り下ろした。
「はぁ……っ!」
「そんなもの効くかぁっ!!」
ルリが叫びながらスコップを受け止めた。獣人なだけあって、さすがに力が強く、そして手の皮膚が厚い。剣ならばともかくスコップでは傷つくことがないのか。ルリはそのままスコップを掴んで握りつぶそうと力を込めたようだった。
ーーしかしそれはディアナの思うつぼだ。
獣人である彼らは確かに怪力なのだろう。しかし彼らの身長はディアナよりも遥かに低く、まるで少女のように小柄である。
例え彼らがとても筋肉質だったとしても、ディアナだってそれなりに体を鍛えているのだ。
「ふんっ!」
「……っ! おまえぇ……っ!!」
自分よりも遥かに小柄な彼らならば、持ち上げるくらいはディアナにでもできる。
ディアナはルリが掴んだままのスコップをそのままルリごと振り回した。
そして勢いよく左上方へと振り切る。
「……っ!!」
悲鳴もあげずにルリは吹っ飛んでいった。派手な音を立てて生け垣へと突っ込んでいく。
「ルリ……っ!!」
そこにハリがすべり込んだ。彼は地面すれすれでルリへと手を伸ばしたが、生け垣が邪魔してルリを受け止めることはできなかった。
「ルリっ! ルリ……っ!!」
悲鳴じみた声があがる。
「大丈夫よ」
ディアナは告げる。
黄金の瞳でハリのことを見下ろし、先端をがん、とたたきつけるようにスコップを地面へと差した。
「死んでないから」
事実、生け垣がクッションになったのだろう。衝撃で気絶はしているようだが、ルリは小さくうめき声をあげていた。
ディアナは首をかしげる。
ハリのその動揺が不思議だったのだ。
「人のことを傷つけようというのだから、自身が傷つけられることも当然あるでしょう。……一体なにをそんなに慌てているの?」
「……っ!」
ハリの赤い瞳がきつくディアナのことを睨む。しかしディアナの目を見てそれは一瞬ひるんだ。
その、純粋に理解できないと告げている無情な黄金の瞳を見て。
しかし彼は再び怒りの感情を拾い集めてなんとか奮い立ったようだった。ルリのことを生け垣から抱き上げるように救い出すと柔らかい芝生の上へと丁寧に寝かしてやる。
「……おまえだけは、許さないっ!」
赤い瞳。そのふちに涙がたまっているが、その表情に宿るのは悲しみではなく純粋な怒りだ。
「よくもルリのことを傷つけたな……っ!!」
「……わからないわ」
ディアナはスコップを持ち上げた。そしてそれを隙なく構えながらも、心底理解できずに眉をひそめた。
「ハリさん……、いいえ、ハリ。あなたのほうがルリよりも素早いのね」
先ほどのルリを受け止めるために駆けた速度。あれはディアナに襲いかかってきたルリよりも速かった。そして直前にハリがディアナに攻撃をしかけた時の速度よりも。
「……なぜわざわざルリと速度を合わせているの?」
重心の安定、足音のしない静かな歩き方。そのどれをとってもルリよりもハリのほうが筋力があることを示している。
つまり、ハリはわざわざルリの動きを模倣するように合わせているのだ。
「おまえに……っ」
小さな桃色の唇がぎりりと噛まれた。小さいとはいえ牙は確かにその柔肌を突き破り、わずかな血を流す。
そしてその血よりも遥かに紅い目が、怨嗟を込めてディアナを貫いた。
「おまえになにがわかる……っ!!」
ハリはディアナに向かって飛びかかった。





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