43.エリアスが好きな人
そこから何をどう過ごしたのかディアナは覚えていない。気がつくと日は暮れて夜になっていた。
一応仕事には戻ったのか昼食の時よりも手の爪が汚れていて全身がだるい。しかしこの疲労は肉体的なものよりも精神的なもののほうが大きそうだった。
(エリアスに、婚約者……)
しかもその仲をディアナが引き裂いた。
その事実はディアナの背に重たくのしかかった。
(わたし、脳天気だったんだわ……)
ディアナに以前の生活があったように、エリアスにだって以前の生活があったのだ。そして泥の中でもがいていたようなディアナとは異なり、彼の生活は元々ちゃんと整備された幸せの中にあったに違いない。
(わたし……、一体どうしたらいいの……?)
混乱してしまって思考がうまくまとまらない。
ローザが言った通り、ディアナは財産放棄をしてこの屋敷を出て行くべきなのだろうか?
(でも、エリアスが……)
彼がディアナに『結婚しよう』と言ったのだ。
(でもそれは財産の流出を防ぐためで……)
であれば財産放棄を宣言すればなにも不都合は生じない。
(でも彼の騎士になるってわたしは決めて……)
でもそれはディアナが勝手に決めた望みであって、彼にとってはもしかしたら必要ないのかもしれない。
(いやでも……、受け入れてくれたし)
『共に世界を変えてから地獄に落ちよう』と言ってくれたのはまぎれもなく彼だ。
しかしそれはディアナの意思を尊重する優しさからではないだろうか?
(いや、でも……、うーん……?)
頭がこんがらがってしまってもはやよくわからない。
(いや、でも……)
そこで気づく。ディアナは今「いやでも」と否定ばかりを考えている。
それはローザの意見への反論だ。
すんなりと、彼女の意見を「そうだね、一理あるね」と受け入れられていないのだ。
つまりこれは……、
(わたしは、エリアスと離れたくないと思ってるの……?)
恩義とか、彼のためとか。そういう理由ではなく『ディアナがディアナのために』離れがたく思っている。
ローザの言葉を、感情が否定したがっているのだ。
「わたしって……、すごいわがままだわ……」
ディアナは呆然とした。
翌日、ディアナは寝不足でふらふらとしながら出勤した。
結局結論は出ず、よく眠れなかったのだ。
メイド服で中庭に到着するとまだ誰も来ていなかった。あまり何も考えずに来てしまったが空を見るとまだ暗い。どうやらまだ夜が明けきる前に来てしまったらしい。しかしそれをいいことにディアナは一人黙々と掃除を開始した。
(仕事があってよかった……)
少なくとも体を動かしている間はそこまで悩まなくて済む。
「おーい! 到着したよー!」
「おーい! おはよー!」
「おはよう……」
気がつくと空は明るくなっている。美少女に見える美少年たちの美しさが朝日の後光も相まって目にまぶしい。ディアナは目をしぱしぱと瞬く。
「あれー? どうしたのー? 死んでる?」
「生きてる……、一応……」
「そのわりにはやばいけどー」
(うん……?)
そう言った彼の目線の先を、ディアナは首をひねって追った。
そこにはディアナがさきほどまで抜いていた雑草の山ーー、だと思っていたものがある。
「これ戻すの大変じゃなーい?」
「僕たちは絶対手伝わないよー?」
「……ははは」
笑うしかない。
彼らが見つめるその先。そこには一体なにをどうしたのか、こんもりと成人男性の身長を優に越してしまうほどの土の山ができていた。
ディアナは自分の手のひらを見る。
雑草だと思って手に握っていたのは土だったし、ディアナの目の前には自分自身が開けたと思われる大きな穴があちらこちらに点在していた。
(ーーよし!)
なんとか土の山を切り崩し、ディアナは庭に開いた穴を埋め切った。
用具室にとりに行ったスコップの先端を地面につき、立ったままぐったりと寄りかかる。
(なんとか……、ミスを挽回した……)
まぁ自分で散らかした物を自分で片付けただけで午前中が終わってしまったわけなのだが。
一応土を戻す際に雑草も除去したので、倍の時間はかかりつつも雑草抜き自体は終わっているのでそれでよしとしてもらいたい。
(なんか、疲れたな……)
体力的にはまだゆとりがある。しかし悩む方に疲れて頭がどうにも重い。
そのままぼんやりとしていると、ふと、ゴミ袋を運ぼうとしている姿が目に入った。
(……ルリさんだ)
彼は自分の体の半分ほどはあろうかという大きさの袋をたいした重量も感じさせずにひょいと持ち上げている。
(わたしが集めた雑草……)
そのゴミ袋の中身はほぼほぼディアナが抜いた雑草だった。しかもその袋があともう二つほどある。それを三つとも一度に持ち運ぼうとしている姿を見て、「ルリさん、そのゴミ袋、わたしも運ぶわ」とディアナは声をかけた。
「……え?」
振り返った赤い瞳が驚きに見開かれている。
しかしそれは一瞬のことで、彼はすぐにいつもの人をからかうような小馬鹿にするような笑みを浮かべた。
「もー、そういういい加減なこと言わないでくれるー? まるで僕たちの区別がついてるみたいなー」
そのすぐ側で追従するようなくすくすという笑い声がした。
ハリだ。
「そうだよー。僕たちのことはルリハリって呼んでくれればいいって言ったじゃんー。見分けるのなんて無理なんだからー」
「え、えっと……」
まったく同じ顔、同じ表情で笑う双子に、ディアナはとまどう。
「でも、あなたはルリさんでしょう?」
ぴくり、とルリの頬が引きつるように動いた。
「適当なこと言わないでよー」
声がわずかに低い。表情は笑っているのに、目は笑っていない。
(あれ? 間違えた?)
そう考えて、しかしディアナはすぐに首を横に振った。
「いいえ、あなたはルリさんだわ」
それは確信を持って言える。
昨日丸一日、ディアナは彼らの姿を見ていたのだ。しなやかな筋肉の動き、けれどほんのわずかに重心移動の速度がハリよりもつたない。ほとんど足音を立てない二人だけれど、足を踏み込む最初の一歩だけがハリよりもルリのほうがいつも強い。
「わたし、間違っていないわ」
「……っ!」
彼らは再び驚いたように目を見開いた。
「……本当に、区別がついてるの?」
ルリが疑うようにそう尋ねてくる。それにディアナはうなずいた。
「う、うん……、だって見た目はそっくりだけど、動作が違うもの」
ディアナのその言葉に彼はさらに目を見開き、口を開け、
「そんな……」
か細い声で言った。
「僕たちの区別がつく人がいるなんて……」
その頬がわずかに赤く染まる。瞳が今にも泣き出しそうに潤み、そしてーー、
(ーーあ)
くる。
そう思った瞬間にはもう遅かった。
目の前から一瞬で彼の姿がかき消える。低い重心の体。地を這うような人間にはとても無理な獣の態勢で、ルリの爪はディアナの服の裾を引き裂いた。
「……っ」
とっさに半歩横に避けたためその程度で済んだが、避けるのが間に合っていなければ今頃ディアナの足の肉はえぐり取られていただろう。それほどの威力だ。
「ルリさん、なにを……っ」
「僕たちを、区別するなぁっ!!」
まるで獣の咆哮のような声が鼓膜を打った。





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