37.真夜中の訪問者
「やぁ、一緒にワインでもいかがです?」
その声と共に窓から現れたエリアスに、ディアナは構えていた剣の切っ先を慌てて引っ込めた。
時刻は夜。場所は寝室だ。まだ再婚していないエリアスとディアナは別々の寝室で眠っている。
昼間のブレンとの会話のせいで寝付けずにもんもんとしていたディアナは、窓の向こうに現れた気配に身構え、予期せぬ侵入者を撃退しようと剣を構えたところだった。
そしてそれがエリアスだったのである。
危うく主人を突き刺しそうになったディアナは顔面蒼白になって叫んだ。
「あぶないじゃない!」
「……ええ、そうですね。主に僕の命が危なかったですね」
微妙な表情をしてエリアスはそう神妙に告げた。しかしそのまま引き下がることはせず、ワインの瓶とグラスをゆらゆらと揺らして見せる。
「中に入っても?」
「……なんでドアから来ないのよ。窓からの侵入も落ちちゃいそうで危ないわ」
「あなたがそれをいいます?」
主にディアナが背中に隠すようにして持っている長剣のことをじっと見ながら、エリアスは部屋の中へと入ってきた。
意外にもその動作は身軽である。さすがに戦で名を馳せた一族の一員なだけあって、苦手な方とはいえども多少の心得があるのだろう。
「大丈夫ですよ。子どもの頃はよくこうして窓から外に抜け出していました。町にもよく繰り出していましてね」
そう言うと彼は我が物顔でワイングラスをサイドテーブルに置く。そして手慣れた仕草でワインを開けた。
ぽん、と軽い音がして栓が外れる。
濃いガーネット色の液体がグラスへとそそがれた。
「一応まだあなたは僕の妻というわけではありませんから。夜中に入り浸っては妙な噂が流れます。特にハンナの息のかかった者とブレンがうるさいでしょう」
『ブレン』と聞いてぎくり、とディアナは身をすくませた。そんなディアナの体に走った緊張をめざといエリアスは見逃してはくれない。
「なにかありましたか?」
「え、ええーと……」
「ハンナの部下にいじめられましたか? それともブレン?」
やはり『ブレン』の名前にびくっと反応してしまう。そのわかりやすさに呆れたのかエリアスはため息をついた。
「ブレンですか。彼が『カークスの妻』という立場であるあなたになにかを言うとも思えませんが……、なにがありました?」
「……」
ディアナは気まずく黙り込む。
(さすがに、怒られるよね……?)
ブレンとのやりとりを話すということはディアナが昼間何をしていたのかを話すということだ。つまり、メイドのふりをしていたことを。しかしそんな勝手なことをしていたと話せば、さすがにエリアスも怒るのではないだろうか? と今更ながらにディアナは思い良い立ったのだ。
エリアスの瞳がすうと細まる。
「……へぇ、僕には言えないことですか」
声のトーンがいつもよりも低い。
その不穏さにディアナは身をすくませた。
「ち、違うの」
「なにが違うんです? 裏切りは許しませんよ」
「う、裏切りだなんてそんな……」
そんなつもりはない。ただ役に立とうと思ったのだ。
という言い訳も『何をしていたのか』を話さねば信用されないだろう。
「ディアナ、ディーアーナ? こちらを向いてください」
ぐい、と顎を掴まれて無理矢理顔を向けさせられる。ディアナは必死に目線を合わせないようにそらした。
「強情ですね」
「……」
固く唇を引き結ぶ。なんと弁明しようと考えるが、思考はぐるぐると空転するばかりで良い案は思い浮かばない。
やがて小さなため息が落ちてきた。
恐る恐る見上げると、冷たい青い目が間近で見下ろしている。
「わかりました。いいですよ、そんなに黙っているというのなら……」
呆れられた。
見放されてしまった。
黙って勝手なことをしたのもそれを白状しなかったのも自分なのに、ディアナの体は絶望感に包まれた。
彼に見放されたらもう終わりだ。
(どうしよう……)
せっかく助けてもらったのに。恩を返せると思ったのに。
(やっぱり自分はだめな奴なんだ……)
カークスの暴言がよみがえる。
『この役立たず!』、『ごくつぶしめ!』、
『おまえなんか誰にも必要とされない』
「ちゅーしますよ」
「……え?」
その声はカークスの幻聴をさえぎるようにして響いた。
見上げると青い瞳。いかにも真剣そうな表情で、彼は言った。
「黙っているならちゅーします」
「……」
はて、これも幻聴だろうか。
(なんか今、目の前の口から変な言葉が聞こえたような……?)
ディアナが首をひねっている間に、エリアスは再び口を開いた。
「十秒以内に白状するなら許しましょう。しかし話さないならちゅーします。はい、いーち、にー、さーん」
「え、まって」
「しー、ごー、ろーく」
「は、早い早い早い!」
「なーな、はーち」
「言うから待って!!」
思わずエリアスの顔面をわし掴んで押しのける。そんなに力を入れたつもりはなかったが、彼は思いっきり後方にぶっ倒れて大の字に床に伸びた。
「きゃーっ!」
ぶっ倒れたエリアスにディアナは駆け寄る。
「大丈夫!? ああどうしよう! 一体誰がこんな酷いことをっ!」
「犯人はあなたなんですけどね」
むくりとエリアスが起き上がる。さきほどまでのやりとりを思い出してディアナは思わず赤面して両手を頬にあてた。
頬から火が吹き出そうなほどに熱い。思わず涙目になるディアナに、エリアスはふーんと冷たい声を出した。
「そんなに嫌なんですか、僕とのキスは」
「……」
一体どうしろというのか。
ここで白状しなければそれはそれで切れそうだし、白状したらしたで不機嫌になるなどどちらにしてもダメではないか。
(わからない! わたし、わからないわっ)
これはディアナの頭が悪いからなのか。それとも他の人にも解けない難問なのだろうか。
それすらもわからずに頭を抱えるが、その間にエリアスは態勢を整えると、すとん、とディアナの隣へと腰を下ろした。
「まったく……、キスくらいカークスともしたことがあるでしょうに」
「え、いや、ないわよ」
そのまま不満そうに続けられた言葉にディアナは思わず真顔になる。
「……はい?」
「ないわよ。あの人はそういう意味でわたしに触れたことは一度もないわ。なのに『子どもを産めないなんて役立たず』だなんていうのよっ! なんなの! 赤ちゃんはキャベツ畑から生まれるとでも思っていたのかしらっ!!」
当時はただの恐怖だったが、今思い返すと腹が立ってきた。
(なんて理不尽なのかしらっ)
それともディアナが実は雌雄同体で一人で繁殖する生き物だとでも勘違いしていたのか。
「ねぇどう思うっ! わたし悪くないわよねぇっ!」
思わずエリアスにそう同意を求めると、彼はなぜか口元に手を当ててうつむいていた。
「エリアス……?」
「ん? あ、ええ……、そうですね。いやぁ、理不尽な話だ。あなたはなにも悪くないですよ、ディアナ」
適当な口調である。たぶんただディアナの言葉に合わせているだけだ。
(なんなの……?)
しかもその手で隠している口元。その口元がディアナの目には笑みを隠しているように見えた。
「なんだか急に機嫌が良くない……?」
「えっ、ああ、いえ、まぁいいじゃないですか」
ごほんごほんと慌てて咳払いをしてみせる。しかしその頬は若干赤らみ、やはり少しにやけている。
そしてつぶやいた。
「ってことは『初めて』か……」
「なんか言った?」
本気で聞き取れなくてディアナは尋ねたが、エリアスは再び激しく咳き込んだ。
「えーと、で、なにがあったんです?」
そう問いかけてくる声音と表情はすでにいつもの落ち着き払ったものである。
どうやらさきほどのやりとりは彼の中でなかったことにしたいらしい。
「……」
ますますわからない。そう思いながらもディアナはしぶしぶ口をひらいた。





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