28.彼らの事情
(しかし……)
理屈ではそうでも、感情がそれを拒む。
(……ディアナがもっと打算的な人間であればよかった)
彼女がもっとずる賢い人間であれば。そうすれば心おきなく利用して利用される関係として消費できたのだ。
だがそうではなくその誠実さからエリアスの騎士になる、などとのたまう彼女を危険とわかっている化け物の前に放り出す気にはとてもなれない。
彼女を道具として見てしまうことへの抵抗感がエリアスの思考をむしばむ。
(せめて、あともう少し……)
エリアスの協力者の中にあと少しだけでも戦える人間がいれば勝機があがる。生き残れる可能性が増えればディアナに協力を求める気にもなれるのだが……、それがいなかったからこそ、ディアナは待望の存在なのだ。
「『妻』が邪魔なんだよなぁ……」
アスターの言葉にエリアスは体に緊張を走らせた。しかし彼はそんなことには気がつかない様子で続ける。
「南の王は最低なくそ野郎だが、その妻の王妃はすばらしい人だよ。そのおかげで王がむちゃくちゃやってもなんとか国が成り立っちまってる。ただそのせいで王に恨みがあっても王妃に逆らいたくないと考える奴も多い。それが歯止めになってクーデターがうまくいかねぇ、それがさらに奴を上長させてやがる」
その続けられた言葉にエリアスはほっと胸をなで下ろした。
(『妻』なんて言うから……)
てっきりディアナのことを言われているのかと勘違いしてしまった。
「……?」
しかしすぐに首をひねる。ここまでの自身の思考をたぐり、その奇妙さに気持ちが悪くなった。
これではまるでクーデターよりもディアナのほうに重きを置いているようではないか。
(まさか……)
そんなわけがない。
そう、味方が足りない。あまりにも戦力が足りなさすぎる。だから勝算のない賭けに貴重な武力カードであるディアナを消費することが惜しいのだ。
(そうに違いない)
エリアスは自身が情のある人間であることを理解している。しかしそうだとしても、貴重な戦力である彼女を温存しすぎる思考はあまりにも特別扱いがすぎる。
(『暗殺』か……)
勝算の低い愚策だが、追い詰められた時はそれも検討に入れなくてはいけないだろう。
(決めた時は、迷わないようにしないと……)
きっと彼女は受け入れるだろう。説得できる自信もある。
つまり、すべての決断はエリアスの胸先三寸だということだ。
彼女を生かすのも、殺すのも。
なぜだが唐突にディアナの横顔を思い出した。とろとろに煮詰めたはちみつのような濃い黄金の瞳、風になびく艶やかな黒檀の髪、剣を手に天を駆けるその姿。
シュランゲの背を駆け抜け、宙を飛んだあの瞬間ーー、エリアスの息は確かに止まった。
ーーあんなにも圧倒的で美しいものは、いままで見たことがなかった。
「せめて『あの』裁判官を味方にできればな」
アスターの声がする。重い思考に阻まれて膜がかかったように遠く響くそれに、エリアスはピントを戻す。
周囲の音声が戻ってくる。今居るのは教会の森ではない。室内だ。足がしっかりと床を踏みしめる感触がした。
「彼を? 無理でしょう。杓子定規で融通が利かない。彼は法の遵守に命を捧げていて人の感情になど心を動かされない」
大丈夫、いつもの自分だ。
コントロールが戻ってきたことに若干足取りが軽くなりながら、エリアスは言葉を返す。
この領地を担当している裁判官の能面のような無表情が脳裏に浮かぶ。彼にクーデターの協力を申し出たところで、「それは違法です」の一言で切って捨てられるだけだろう。
彼が赴任してきてからこの領地での司法は非常に厳重に守られている。……ただし裁判所に訴え出た場合に限る、のではあるが、裁判自体は非常に法に忠実だ。
裁判官は彼一人ではないが、元々この領地にはびこっていたなぁなぁで賄賂を受け取るような裁判官たちは彼の手によって駆逐されたのだ。
もはや賄賂も感情も入り込む余地はない。
普段はとてもありがたいが、クーデターという犯罪を行うには立派な障壁としてそれは立ち塞がっていた。
その意見にはアスターも同意だったのか、「だよなぁ」と彼は残念そうに肩をすくめた。
「それよりもギルドの方々と手を結ぶ話は進んでいますか?」
「んー……、そっちのほうも反応が渋くてな」
「そうですか。まぁ、急いては事をし損じます。今は足場を固めるのが急務でしょう」
たいして期待していなかったエリアスはそう簡単に流す。アスターも急ぐつもりはないのか、軽くうなずいた。
「まずはこの屋敷内、後はレーヴライン領をしっかりおまえの支配下に置かないとな」
「ええ、まだハンナの勢力が居なくなったわけではありませんし、……重鎮もいます」
『重鎮』の言葉にアスターは顔をしかめる。
「ブレン老か」
そう、父親の代からこの屋敷に仕えている家令ブレン。あのかたくなな苔むした大岩のような男がエリアスを主人として認めない限り、この屋敷の掌握などは夢のまた夢だろう。
「先代からの使用人だろ? 追い出せねぇのか?」
「彼を追い出したらこの地に住む白狼族全員を敵に回すことになるでしょうね」
気まずそうにアスターは頭を掻く。
「まぁなぁ」
それはまずい、とその表情にははっきりと描かれている。
「……できれば、仲良くしたいのですが、」
エリアスはため息をついた。
視線を逃すように窓の外を見る。
「僕は体育会系との相性が悪いのです」
つぶやきは春の風にさらわれて溶けた。





↓こちらで電子書籍版販売中!