27.エリアスとアスター
扉の向こうからはにぎやかな笑い声が聞こえていた。
そのことにエリアスはほっと胸をなで下ろす。
どうやら姉のベルフィーナとディアナはそれなりに仲良くやれているらしい。
忙しい業務の合間、ほんの少しだけ生じた空き時間に様子を覗きにきたエリアスは、それだけを確認するとくるりと身をひるがえす。
「どうやら大丈夫そうだなぁ」
とたん、背後からした声にぴくりと眉を上げた。
「……アスター」
「あの『悪妻ベルフィーナ』を早々に手なずけるとは……。さすが『騎士夫人ディアナ』」
いつの間に背後まで来ていたのか。彼はエリアスの批難の視線も気にとめず、ひょうひょうとそう言ってのけた。
それにエリアスはため息をつく。
「なんですか、その『騎士夫人』とやらは」
長年の『悪友』だ。いまさら無作法を注意したところで無駄だろう。
そう諦めてエリアスはそれだけ言うとさっさと廊下を歩き出した。それに当たり前のようにすぐ側をついて歩きながら、彼は言う。
「魔獣を倒すほど強いんだろ? それにおまえの騎士様ときた。だから『騎士夫人』」
「悪趣味な呼称ですね」
アスターはエリアスにとって腹心の部下のような存在だった。
エリアスは妾腹の子といえど、父親である先代レーヴライン侯爵、ルートヴィヒ・レーヴラインには実子として扱われていた。彼があっけなく馬車の転落で亡くなるまではそれなりの教育も受けていたのだ。
けれど昔はともかく、今のエリアスは父親の思想に寄り添うつもりはこれっぽっちもなかった。親子仲が非常に悪かったわけではないが、良かったわけでもない。父ルートヴィヒはエリアスにとって苛烈な指導者ではあったが、温かみのある肉親ではなかった。
「あれをしなさい」、「これをしてはいけない」。その父親の支配を抜け出すために幼い頃からエリアスは『自分の仲間』を秘密裏に集めてきたのだ。
そのうちの一人がアスターである。彼はその生い立ちにより早いうちからエリアスの思想に賛同してくれていた。
『見ろ、エリアス』
かつての父の声を思い出す。彼は兄のカークスが野ウサギを棒でいじめている姿を指さしていた、あのたくましい指。
『おまえはああはなってはいけない』
その時の父親は一体どんな表情をしていたのだろう。幼かったエリアスには逆光にさえぎられてその顔は見えなかった。
エリアスはその思い出を振り払うように首を横に振る。
「悪趣味はこっちの台詞だぜ」
思考を遮って声が響いた。視線を移すとアスターはニヒルな笑みを浮かべてこちらをにやにやと見ている。
しかしそのブラウンの瞳は笑ってはいない。
「『殺人を誘導した相手』と結婚するだなんて。『奥様』を使って『南の王』の暗殺でもする気か?」
「まさか」
そのあんまりな言葉に思わずエリアスは足を止めた。そして振り返る。
それに合わせるようにアスターも立ち止まると長い話になると思ったのだろう。彼はだらしなく壁に寄りかかると葉巻をくわえた。
「ご存じでしょう? わが南の領地の王、南の王にはうり二つの影武者がいるそうです。そうでなくても王自身は素晴らしい剣術の使い手だそうで、暗殺が成功した試しは一度もないのですよ」
ディアナとカークスに続き、『南の王』もまた時代を生まれる間違えた人物だろう。
現皇帝の三男である彼は武芸の天才であり、部隊の将としては優秀な人物だ。
彼が王になる前、まだ四人の王が帝国内を東西南北の四分割して治めるという制度がない時代に反乱が起きたことがある。
年々重くなる税金に耐えきれず、およそ三百人におよぶ平民が立ち上がったのだ。
そしてそれを鎮めたのが当時十二歳だった南の王だ。
彼は反乱軍よりも多い五百人の兵を引き連れていたにも関わらず、その利点を捨てて反乱軍のリーダーに一騎打ちを呼びかけた。
「この反乱の将は誰だ? 我と一対一で戦おうではないか。その方が兵の損傷が少なくて済む。それとも貴様らの将はこんな子どもとの一騎打ちもできぬほどの腰抜けか!」
そんなにあおられては無視できなかったのだろう。たかが十二歳の子ども相手、という油断もあったかもしれない。
しかし圧倒的な強さで、八百の人数に見守られる中、彼は反乱軍のリーダーに勝利した。
戦いが終わった時、彼はかすり傷ひとつ負っていなかったという。
将を失った反乱軍はそのままなし崩しになり、南の王によって討伐された。その戦果を理由に、彼は幼くしてこの南の領土の王を任されるに至ったのである。
彼が『血まみれ大公』と呼ばれるようになった逸話のうちのひとつだ。
「でも『魔獣殺しの騎士夫人』ならできるかもよ?」
「馬鹿なことを……」
アスターの言葉をエリアスは鼻で笑う。
南の王のバケモノじみた強さはもはや伝説だ。
「ディアナが殺されてしまったらどうするのです」
「……ふーん」
「……なんですか? その顔は」
「いやぁー、なりゆきと言う割には気に入ってるよなぁ、あの女のこと」
「気に入ってなどいません」
今度こそ下卑た笑みを浮かび始めた悪友に、エリアスは眉をひそめた。
「ただ、僕の都合で振り回してしまいましたから、責任を持っているだけですよ」
「そういうことにしておいてやってもいいけどさぁ」
そのままエリアスが振り切るように歩き始めるのに合わせて斜め後方に付きそうように彼も歩き出す。その姿は何を話しているのかが聞こえなければ、周りからは忠実な執事の姿にしか見えなかっただろう。
「何にしろ事を起こすには人手が足りねぇ。正直猫の手も借りたいくらいだぜ。ましてや十分実用に耐えうる騎士夫人にはぜひともしっかり協力者になってほしいもんだね」
「……」
エリアスはぐっと言葉を飲み込んだ。彼の言うことはもっともだったからだ。
ディアナは、ずっとエリアスが待ち望んでいた人材であったと言ってもいい。
エリアスは口と頭は回るものの、武力には欠ける。結局ずっとカークスに押さえつけられて動くことができなかったのも単純な武力で負けてしまうからだ。
理屈の通じない相手には、結局暴力が必要になってくる。
武力が背後に控えている状態で交渉するのと、まったくない状態で交渉するのとでは結果は大きく変わるのだ。
『おまえには覇気が足りない』
亡き父親にかつて言われたうっとうしい言葉が再びエリアスに語りかけてくる。彼は再び首を振ってそれを振り払った。
(その『力』が……)
その『武力』の面を埋められる人材が、ディアナなのだ。
単騎で建物ほどもある魔獣を倒してみせた彼女は十分に脅威的な武力として機能するだろう。





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