25.悪妻ベルティーナ
会話はうまいこと進んだ、ーーとアロイスは思った。
というのもこのディアナという女、非常に押しに弱い。
アロイスが何を問いかけても、「はい」とか「ええ」とかうなずくことが多く、拒否したそうな素振りをみせてもこちらがたたみかけると言葉を飲み込んで無言でうなずく。
「そうだ、今度馬の遠乗りにでも一緒にどうですか? いくら喪中といえど、その程度の息抜きは良いでしょう」
「……」
そう提案すると彼女は戸惑ったように視線をさまよわせた。そこにすかさず彼は言葉をかぶせる。
「よろしいでしょう。いつがいいですかねぇ……。そうだ、明日にでも」
「いえ……」
「明日何か別のご用事が?」
「その、他にもお客さんがいらっしゃいますから……」
その言葉に内心で舌打ちをする。どうやらアロイスのライバルが訪れる予定があるらしい。
「でも全部の時間が埋まっているわけではないでしょう? 一時間ぐらい空いている時間はあるのでは?」
「え、ええと……」
「午前中の涼しい時間帯はいかがです? 迎えに来ますよ。そのままランチを共にしましょう!」
まるで決定事項のように告げると彼女は押し黙った。そのうつむくその仕草から困惑と迷いが伝わってくる。
(ようし、あと一押し)
にやり、と彼は口の端を上げた。開いている時間を聞き出しさえすれば、その時間に押しかければいいだけだ。この気弱な女はそれを断ることはできないだろう。
「十時頃はいかがです? 予定がある? では十一時は? 十二時は?」
八つ裂き早に質問を繰り出しているアロイスは気がつかなかった。話している間に二人の横にある扉のノブが回ったことに。
しかしディアナは気がついた。彼女はふいに顔をあげて視線を扉へと向ける。
(なんだ……?)
それにつられて扉を見た瞬間、、
ぱぁんっ!
派手な音を立てて扉が開く。一瞬、戸がその勢いに吹き飛んだのかと錯覚した。
「……ああっ! ディアナ!!」
開いた人物はそう大げさに名前を呼ぶとずかずかと部屋に入り込み、ディアナの隣へと腰掛けた。
「可哀想に! 大変だったわね!! もう大丈夫よ! あたくしがいますからね!!」
その人物が一体誰であるか。それに気づいたアロイスは青ざめた。
(ベルティーナ・トイフェル!!)
針金のように真っ直ぐな白銀の髪に美しいアーモンド型のサファイアの瞳、まるで気位の高い猫のようにしなやかな体にその美しい体に沿うようにぴったりとしたシンプルなドレス。派手に飾り付けているわけではないが品があり、そしてその顔の美しさが周囲を照らす太陽のように存在感を主張する美女。
「あたくしの可愛い義妹!」
そう言ってひしっとディアナに抱きついたのは、悪名高きレーヴライン家の長女、つまりカークスとエリアスの姉であった。
ベルティーナ・トイフェル。彼女はとある理由で非常に有名である。
若い頃は『社交界の花』として。
そしてここ最近は『夫を追い出した悪妻』としてである。
『強欲のベルティーナ』。人は彼女をそう噂する。
アロイスはここ最近聞いた噂を思い出していた。
「みろよ、アレが噂の『悪妻』だ」
そう彼に社交場で囁いたのは親友だった。
「旦那を追い出したんだってよ」
「追い出すって……、どうやって?」
確かベルティーナはレーヴライン家から嫁いできたはずだ。つまりトイフェル伯爵家にとっては嫁いできたとはいえよそ者である。
首をかしげるアロイスに、親友はにやりと笑う。
「不在訴えを出したんだと」
「それって行方不明の時に出す奴だろ。それで追い出したって言えるのか?」
『不在訴え』とは当主が行方不明になった際に届け出るものであり、遺体が見つからず生死不明の状態であっても家督を後継者に継承することができる制度である。その制度がないと遺体が見つかるまでその家の当主が不在となってしまい、あらゆることの判断がおぼつかなくなってしまうからだ。
もしも夫が行方不明になって届け出をしたのだとしたら、それは追い出すのではなく当然の措置だろう。
「行方不明じゃなかったんだよ」
しかし親友はその考えを否定した。
「ずっと愛人宅に入り浸り。確か夫が家を不在にした期間は一年くらいだって話だったかな。それで不在訴えを出して最近受理されたんだよ」
「まじかよ」
「まじまじ」
「でも生きてたんだろ?」
通常ならば、よっぽどその行方不明者が重傷を負っているとかでない限り、生存して帰ってきたなら当主の座は元の持ち主に戻るはずだ。
しかし親友は首を横に振った。
「まるまる一年家を開けてたのがまずかったらしくてさ。理由もようはサボりだろ? 家を守るべき当主が一年間一度も家に帰らないなんて当主としての資格が欠けるつって、受理されちまったんだよ。で、いまやあの女が女伯ってわけ」
「やばいだろ。それってさ……」
アロイスはごくり、と唾を飲み込んだ。
「計画的だったのかな」
「じゃねぇの? もしかしたらわざと家に帰りづらい状況を作って追い出したのかもな」
「やべー……」
社交の場に現れたベルティーナのことを遠巻きにしてつぶやく。周りも似たようなものだ。彼女のことを見てひそひそと囁いている。
親友の声がいやに耳に残った。
「美人だけどさ、誰も手を出さないわけよ。そりゃそうだろ? 地位と金のために旦那を追い出した女なんて」
そのベルティーナ・トイフェルが今目の前にいる。
アロイスはだらだらと冷や汗を流した。ハンカチを取り出して慌てて鼻の下をぬぐうが、次から次へと汗は噴き出してくる。
「え、ええーと……、トイフェル女伯、ディアナ様はいま俺とお話中なのですが……」
一応言ってみた。
矢のように鋭い視線がアロイスのことを射貫く。
「まぁ、あたくしは遠路はるばるトイフェル領からここまで馬を駆けてきましたのよ。そんな家族の感動の再会を引き裂こうだなんて……」
口調は穏やかだ。言っている内容も言葉だけなら嘆いているように聞こえる。
しかしそのサファイアの瞳はそれらのすべてを裏切って鬼のように鋭かった。
その目は雄弁につげている。
『空気を呼んでいなくなれよ、このすかぽんたん』
「しっ、失礼いたしました……っ!!」
この悪妻を相手にする度胸はアロイスにはなかった。
彼は退散した。
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