2.悪魔の契約
(終わった……)
ディアナは絶望した。
一つにくくられた長い白銀の髪に二重の青い瞳、カークスと同じ色をしてはいるが、筋肉質な兄とは異なり、彼は線の細い優美な男だ。
夫の七つ年下、ディアナの二つ年下の弟は、夫とは異なり優しい男だった。
この屋敷で唯一、ディアナのことを人間として見てくれる人。
いつも暴力をふるわれているディアナのことを慰め、心配してくれていた。
しかしそれは夫の妻であるという立場あってのことだろう。
妻が夫を殴り殺すなど、
「あ、あの、わたし……」
震える声をディアナはなんとか絞り出した。
ぶるぶる震える両手を、縄が結びやすいようにそろえて差し出す。
「じ、自首を……」
言い逃れはできなかった。手は固まってしまって凶器の置物をつかんだまま離せなかった。それでも抵抗の意思はないということを彼女はせいいっぱい主張するために両足をそろえ、手をまっすぐ前にそろえてに伸ばす。
彼はそんなディアナの様子に目を見張ると、すぐにつかつかと歩み寄り冷静に息を確認するようにカークスの口元に手をかざした。そして……、
「素晴らしい!」
賞賛した。
「へ?」
「ついにやってくれましたね! いやぁ、あなたならやってくれると思っていました!」
満面の笑顔である。
ディアナはたっぷり十秒ほど考え込んだ。
「……どういうこと?」
「兄は『ろくでなし』だったでしょう」
さっぱり状況が掴めないディアナに彼はにこやかに語る。
「だから死んでほしかったんです」
「『だから死んで欲しかったんです』!?」
「いやぁ、すごいいろんな人に恨まれてたんで、誰かがいつか殺してくれないかと思ってたんですが、みんななかなか殺してくれなくて困ってたんですよ!」
「……いや、いやいやいやいや!」
彼女は首を激しく横に振る。
『いつか殺してくれないか』? 『みんななかなか殺してくれなくて困ってた』?
ディアナの中で、この三年間で築き上げてきたエリアス像が粉々に砕け散って霧散した。
(誰だこの男)
しかしそう思って見上げても、彼の顔はやはりエリアスのままだ。
彼は人好きのするような華やかな笑顔でにこにこと続ける。
「何かの弾みで殺しやすいようにあちこちに毒草とかちょっと角張った重そうな置物とか設置してたんですけど、意外にみんな我慢強くって。あともう少ししたらしょうがないんで事故に見せかけて僕が殺そうかと」
ディアナは手に持った凶器をみた。
「あ、それ僕の贈り物です。重かったでしょ? よく片手で持てますね」
にこにことエリアス。
彼女は凶器を思いっきり床にたたきつけた。
そのまま意味もなく両手を二、三度上下にゆらす。
「嘘でしょ? なんか反省してた自分が馬鹿みたいに思えてきた!」
「いやいや、反省なんかしなくていいですよ。こんなくそ野郎死んで当然なんで」
「ここにわたしよりもやばい奴がいる! 憲兵さーん!!」
叫ぶディアナの肩ががしりと掴まれる。
ぎぎぎ、と恐る恐る振り返ると、その手の先には笑顔のエリアスがいた。
「『憲兵さん』がきたら捕まるのはあなたですよ」
笑顔が怖い。
「ど、どうしよう……」
その言葉は再び戸惑いが口をついて出た。
エリアスは怖いが、それよりも犯行が露見するのが怖くなってきた。
というか自分が捕まるのはいいが、その後の実家の境遇が怖い。
(ああ……)
ディアナは思う。
こんなことなら、金に目をくらませてこんな結婚などしなければよかった。
そうしたら、
(いや、だめだな)
ディアナは思い直す。
一家そろって貧困にあえいでいる未来が見えた。領民たちもそれに付随して貧しい生活をしいている。
一体どうしたら家族と領民だけでも助かるか、そう頭を悩ませるディアナの肩が再び叩かれた。
間近の顔を見上げると親指をぐっ、と立ててサムズアップしているエリアス。
「誤魔化しましょう!」
「え」
「強盗が押し入ってきて殺したことにします。あなたも強盗に暴力をふるわれて倒れていた。……あ、いや、そうするとあなたの名誉が傷つく可能性が出てきてまずいな。そうだ、ここは嘘をつかずに兄に暴力をふるわれていたところに強盗がきたことにしましょう! あなたは二人の男が暴れているのに恐れをなして部屋からなんとか逃げ出したところを僕が保護した。うん、これなら部屋には兄がいて、出てすぐに弟の僕がいるわけですからあなたは見知らぬ強盗と二人きりになることはない。名誉は守られますね!」
「いやいやいやいや!」
名誉は大事だがそういう問題ではない。問題がありすぎてもはやなにが問題なのかがわからない。
いや、一番の問題はエリアスの倫理観だ。
(一体どうなってんだ)
兄も兄でやばかったが、弟も弟でやばい。
「で、あなたは僕と結婚する」
「……は?」
「僕と結婚する」
さらに言われた言葉もやばい。
同じことを二回言われても意味がまったくわからない。
彼はできの悪い生徒に言い聞かせるように説明した。
「あのですね、当主である兄が死んだのでこの家を誰かが継ぐ必要があるんですよ」
「はぁ……」
「で、僕」
彼は自分の胸を指さす。
「家の体裁を保つために繰り上がりで弟の僕が女主人であるあなたと結婚する。これで我が家とあなたの家とのバランスはなにも変わらずノーダメージです。オーケー?」
「……」
オーケーではない。なにもオーケーではないが、しかし、
「そのほうがあなたにも都合がいいでしょう?」
心を見透かされてびくり、と肩が震える。
ゆっくりゆっくりと顔を近づけて、その肩の震えを止めるように悪魔がもう片方の肩もつかんだ。
両肩に手を置かれ、しっかりと向き合わされる。
サファイアの瞳がにんまりと微笑んだ。
「こうすればあなたの家への資金援助も続けられますよ」
「うっ」
「あなたが兄を殺した事実も隠蔽するのが容易になります。なにせこの屋敷を僕が取り仕切ることになるんですから。ご存じですか? 家族、特に家の当主を殺すことは大罪です。あなたの場合は正当防衛ですが、それでも罪の軽減は難しいでしょう。なぜならば当主殺しを許容するようなことをすれば、それを言い訳にその地位欲しさの殺し合いの増長を誘うからです。つまり跡目争いの元になり、国中に内乱の種をばらまいてしまうことになる。どう弁明をしてもあなたの死刑は免れないでしょう。あなたのご家族も場合によっては連座かもしれません。ついでに言えば母は兄を溺愛していましたからね。きっとうるさいでしょう。それら全部から守ってあげられますよ」
「……あ、あなたのメリットはなに?」
ディアナにはそう問いかけるのがせいいっぱいだった。
ここで否定の言葉が出ないなんて、その提案に魅力を感じていると肯定しているようなものだ。
そう後から気づいたが、もう修正は効かない。
白銀の悪魔は唇をつり上げる。
そしてディアナの肩から手を離すと、その手でぐっと何かをつかむように握ってみせた。
「『兄を殺した』という弱みで逆らわない都合の良い妻をゲット!」
「さ、最低だ……」
「元々この家も欲しかったので当主の座もスムーズにゲット!」
「ほんとに最低だぁ!」
頭を抱える。そんな彼女の肩を彼はなぐさめるように抱いた。
「そう難しく考えないで。ぼくは兄のように暴力をふるったりしませんよ。あなたとあなたのご実家の待遇は保証します。ただちょーっと兄を殺した責任としてぼくの画策を黙っていて家でおとなしくしてくれていればいいんです」
その口調は優しい。優しいがしかし、
「簡単でしょ?」
目だけが笑っていない。そして雄弁に語っている。
言うことを聞かないと社会的に殺す、と。
目の前に手が差し出される。それはただの握手ではない。合意のサインだ。
目の前には笑顔の悪魔。
「……」
ディアナはその手をつかむしかなかった。
「交渉成立です」
獲物を丸呑みにして満足した蛇のように彼は笑った。
その日ディアナは二つの罪を犯した。
ひとつは夫殺し。
そしてもう一つは『悪魔との契約』である。
次は本日16:40頃投稿予定です。
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