18.エリアスの騎士
彼女の駆ける姿はまるで黒い疾風だった。破れているとはいえドレスは邪魔で途中で剣でさらに切り裂いた。裸足の足はぐんぐん地面を踏みしめる。
久しぶりだ。こんなに駆けるのは。
久しぶりの外の空気に、彼女の感覚は研ぎ澄まされる。
ーー最初に父から剣の稽古をつけられたのは、ディアナがあまりにも消極的で引っ込み思案な子どもだったからだった。
(首が……)
とても高い位置にある。ディアナは剣を大きく振りかぶると、体を回転させるようにして横に大きく薙いだ。
「ぎゃあああああっ!」
低い悲鳴がシュランゲから上がる。切り裂いた腹からは血が噴き出した。
その剣をすばやく振り抜いて、ディアナは悲鳴をあげて前屈みになったその体へと飛び乗った。そのまま裸足の足で鱗を踏みしめて駆け上がる。
ーー厳しい稽古にすぐにディアナの手は剣だこだらけになった。痛くて泣いてばかりいた。しかし才能があったのか、ディアナはすぐに父親すらも凌駕するほどの剣の腕前になった。
(大丈夫、動く!)
ずっと部屋に閉じこもっていた。けれどディアナはただ寝ていたわけではない。
実家にいた時からの毎日の稽古だけはかかしたことがなかった。その習慣を繰り返すことで心の支えにしていた。
そう、筋トレと素振りだけは。
剣はなかったので素振りに使ったのは暖炉の火かき棒だったけれど。
ーー父親に王都である剣術大会に弟と一緒に出てはどうかと誘われた。しかしディアナはそれを拒んだ。とても大勢の前で剣を振るうなどできるとは思えなかったからだ。そう、剣の腕前はあがっても、ディアナの『厄介な性格』は直らなかったのだ。
彼女はあっという間にのたうつシュランゲの首元まで到達した。
シュランゲは彼女のことを振り落とそうと頭を大きく揺らす。
ーーそれでも剣術は役に立った。ゼーテ領ではイノシシの魔獣エーバがよく出没した。それをこん棒で退治するのが幼いディアナの仕事だったのだ。みんなの役に立てるのは嬉しかったし、剣術に集中している間は余計なことを考えなくていいのでディアナは好きだった。
「……っ!!」
その瞬間、シュランゲが一度頭を下げてから大きく上に振った。その勢いにディアナの体は空中に跳ね上げられる。
足の下に、ディアナのことを飲み込もうとぱっくりと開いた真っ赤な口が見えた。
ーーしかしエーバ退治など領地の騎士たちにもできる。ディアナは社交下手で本来の領主の娘としてはあまり役に立たなかった。そんな時だ。レーヴラインとの縁談の話がきたのは。ディアナはそれに飛びついた。これで役に立てると、そう思った。だから耐えてきた。暴力も、暴言も、きっとそのうち嵐のように過ぎ去る。ご先祖様の昔話のように、ディアナにもきっと騎士が現れて助けてくれる。
(だけどそれじゃあだめだ)
ディアナの体は落下する。シュランゲの口の中へと吸い込まれるように。恐怖はなかった。
必要なのは、きっとずっと、覚悟だけだった。
ディアナに必要なのは『助けてくれる騎士』じゃない。
『助けたい人のために、剣を振るう覚悟』だ。
(お父さんの言うとおりだ)
重力の落下に従って、ディアナの目からこぼれた涙だけを残して体は落ちていく。
『その性格さえなければ』とよく言われた。
父の声を思い出す。
『その性格さえなければ、ディアナ。おまえは天下がとれたのに』。
「おまえを殺す! わたしが……っ!!」
ディアナは剣を掲げた。そしてその落下する速度と共に振り下ろす。
こんな言葉を口にするのは初めてだ。しかし覚悟をもって、自分の意思で告げた。
「わたしはっ! エリアスの騎士だ!!」
それは宣言だ。
ディアナは、騎士に守られるお嬢様じゃない。主人を守る騎士だ。
たった今、そう決めた。
(わたしが、わたしの意思で、おまえを殺す)
主人の敵となる者だからだ。
剣がシュランゲの口内に食い込んだ。固い肉の筋がちぎれる感触がする。骨に当たったのか刃が失速した。でもここでは止めさせない。ディアナは体重と共に力を押し込む。
「はぁっ!!」
ぶづっ、と鈍い音を立ててシュランゲの頭がその喉元から切断された。血が勢いよく噴き出す。派手な音と土煙を立ててその巨体と頭部が地面に落ちる。
そのすぐそばにディアナも静かに着地した。
その光景を少し離れてた位置から見ていた騎士達は、何も言わない。周囲は沈黙に静まりかえっていた。
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