母を望む子
「最近、夜になると家の中で物が勝手に落ちるんです」
依頼人の男はそう言った。声は落ち着いているのに、目だけが妙に乾いていた。
「心当たりは?」
凍塚が聞くと、男は一瞬だけ黙って、それから小さく頷いた。
「……母です」
紫暮が「…あぁ」と、納得したような声を上げる。
「亡くなってるんですよね」
俺が確認すると、男はまた頷いた。
「はい。でも、いるんです。ずっと。何か言ってるんですけど……聞き取れない。たまに怒ってるみたいで、物が壊されます」
紫暮は家の中を見回した。柱の傷、割れた皿の破片、引きずられた跡。乱暴というより、焦りの痕跡に見えた。
「降ろしますッ……」
短く言って、紫暮はその場に座る。
「姉さん、無理はしないで」
「わかってる」
紫暮は息を整え、目を閉じた。
淀んでいた空気が、拠り所を見付けたかのように、集まってくる。紫暮のもとへ。
「…………あぁ……」
目を開いた時、その色は怒りではなく、狼狽と、畏怖に染まっていた。
紫暮の身体で、壊れた音みたいな呼吸を繰り返す。
「いや、ここはいや」
走り出し、外に出ようとするのを、俺達が止める間もなく、依頼人が抱き留めた。
「母さん!」
「だめ、あなたは、一人で生きないとだめ」
「母さんが居なくなってどうやって生きてけっていうんだよ!」
「苦しいの。私はもう……ここにいないんだから」
「嘘だ!」
紫暮の手がわずかに握られる。
恐る恐る声をかけてみる。
「壊してるのは」
「嫌いなの。嫌ってほしいの。もう、しがみつかないで」
「嫌だ!」
「姉さん、そろそろ霊を帰しましょう」
「ーーーーーーさせない」
唐突に戦闘が始まった。
依頼人はすぐそこにあった刀を抜き、向かってきた。
「うっそだろお前」
なんとか躱す。
横から凍塚が突進し、依頼人を突き飛ばし、刀を握っていた手を踏んだ。
「……お願い、もう、終わらせてください……」
依頼人の母は、離れたがっている。けれど、戻す儀が、依頼人のせいで出来ない。
「母さんがそんなこと言うわけないっ!」
そんなことをしても意味がないのに、紫暮を睨む。
「母さんはそんなこと言わない。俺を置いていくわけない。約束しただろ!」
慟哭。嗚咽。
だから、この霊は、縛られ続ける。
「置いてかないで……」
男の声が変わる。妙に引き攣り、裏返り、瓶を擦ったような気に障る甲高さ。
踏まれてない方の手で、紫暮の足を掴む。皮膚が軋む。
「……ごめんなさい」
小さく言う。二人のやり取りを見守っていた紫暮による、珍しく潔い締め括り。
啜り泣く声を後に、家を出る。
報酬を先に貰ってて良かった。
「……あの家のおっかさんは?」
「…………もう少し様子見るって」
「いつまでになるんだか」
以前紫暮に聞いた話によると。
魂は、生き抜いたと思ったり、満足出来る死に方をしたひ、遺された側がその人の死を受け入れて、前に進もうとしてる場合は転生しやすいそうだ。
逆に、未練が大きかったり、誰かに縛られている場合はこの世に残りやすいらしい。
因みにこの間災害救助で召喚した霊の大半は未練が晴れたらしく成仏していった。
どこかで転生して元気に暮らしてることを祈る。
……俺が死ぬ時は、ちゃっちゃと成仏してえな。




