第23話 モブメイドVSアリア
人は、学園という場所に「平和で穏やかな青春の授業」という淡い幻想を抱きがちだ。
黒板に向かって座って、先生の話を聞いて、ノートを取って、たまに当てられて答える。
そういう、健全で、穏やかで、心にやさしい学びの時間。
前世の「日本」では、私は確かに平和な学園ライフを謳歌していた。
……うん。
本当にそうなら、どれだけよかっただろう。
だが王立学園は、昨日真昼間から『ワイバーン』が降ってきた血みどろの現場である。
そんな中、私は『ぐるぐる』昨夜のことを考えていた。
(昨日の夜のレオン様、激しかったなぁ……腰がイタイ……太もも、筋肉痛になっちゃって、立ち上がる時につらいんだよなー)
そんな中で迎えた、魔法の授業。
今日の内容は――『模擬戦闘』。
乙女ゲームあるあるの鉄板イベントである。
嫌な予感しかしない。
しないのに、私の限界オタクとしてのこの手の予感はだいたい百発百中で当たるから困るのだ。
◇ ◇ ◇
魔法実技場は、校舎の裏手にある円形の広い闘技スペースだった。
石造りの床に、結界の紋様が薄く刻まれている。
観客席のように段差が作られ、周囲をぐるりと囲む形で生徒たちが並ぶ。
先生は中央に立ち、淡々と説明を始めた。
「本日は模擬戦だ。二人一組で戦い、勝敗は“戦闘継続の意思”で決める。重大な負傷はこの結界が防ぐが、痛みと衝撃はゼロではない。覚悟しろ」
覚悟。
はい、とっくに覚悟は完了しています。できればモブらしく見学していたいですが。
私はそっとレオン様の方を見た。
レオン様はいつも通り、端のほうで腕を組んで立っていた。
表情は氷のように静か。
でも、その鋭い視線は私の周囲の安全をきっちりとスキャンしている。
昨日の中庭事件以来、彼からの私への『過保護モード』がさらに一段階強化されているのがわかる。
……ああ。
この状態で模擬戦とか、本当にやめてほしい。
誰が何を仕掛けるかわからない。
そして私に少しでも危険が及んだ瞬間、推しの理性が吹き飛び、相手が物理で消される可能性が極めて高い。
私は平穏が欲しい。せめて授業中だけでも平穏をください。
先生が名簿を読み上げる。
「――アリア・ベルフォード」
「はい!」
可憐な声。
完璧な令嬢の返事。
だが、私は知っている。
その完璧な天使の皮の内側で、ドロドロとした計算と腹黒さが煮えたぎっていることを。
(この、腹黒天使がっ!)
「――クロエ」
「は、はい……」
(げっ……よりによって『腹黒天使』と?)
呼ばれた瞬間、胃が雑巾のように『きゅっ!』と縮んだ。
うそでしょ。
この組み合わせ、最悪の予感のど真ん中なんですが!?
『腹黒原作ヒロイン』と、『原作をぶち壊しているバグ存在のモブメイド』。
学園という大舞台でぶつけるとは……火花が散りすぎるでしょ!
周囲の生徒たちがざわめいた。
「え、あのクロエ様と……?」
「昨日の噂の……手を出したら消されるっていう……」
「アリア嬢、大丈夫なの……?」
「いや、あのエルグラン公爵令息が黙っていないんじゃ……」
“様”が混じってる。
全然、“様”をつけて呼ばれることに慣れない。
やめて。なんか心がこそばゆいから、本当にやめて。
私は深呼吸して、中央へ出た。
対面にはアリアが立つ。
蜂蜜色の髪が風に揺れ、絵画のように可憐な笑みを浮かべている。
「ごきげんよう、クロエ様」
その呼び方が、妙に刺さった。
丁寧。上品。
それなのに、明確にどす黒い“針”が混じっている。
レオン様の一件での、中庭で気絶したこと。学園中で笑われたこと。
それらが、あの薄い笑みの奥で、猛毒のように沈殿しているのがはっきりと見える。
私は、ぎこちないモブの営業スマイルを浮かべた。
「ごきげんよう、アリア様」
先生が手を上げる。
「開始!」
◇ ◇ ◇
アリアは、最初から完全に仕留める本気だった。
『火よ――私の意思に従いなさい!業火となって敵を薙ぎ払え!インフェルノランス!』
『ぱっ!』と強烈な赤い光が走り、高温の炎の槍が生まれる。
熱が肌へ刺さる。
観客席から「本気すぎる!」と小さな悲鳴が上がった。
私は反射で身構えた。
だが、炎の槍が私へ届く直前――ふっ、と、その輪郭がほどけた。
まるで、水に放り込まれたみたいに。
炎が、一瞬で霧散した。
熱だけが消える。
煙も残らない。焦げ跡もない。
「……え?」
アリアの目が、ほんの一瞬だけ見開かれた。
私自身も、内心で頭を抱えた。
いや、わかってる。
私の無自覚チートな【生活魔法】、たぶん常時『絶対防御結界』みたいに働いてる。
たぶん、あらゆるものを瞬時に『浄化』するのだろう。
相手の悪意や攻撃魔法が、カビやホコリと同じ『汚れ』の判定としてオートでお掃除されてしまうのだ。
理屈はわかる。
でも、今ここでそれを発動しないでほしい。チートが目立つから!
アリアはすぐに表情を取り繕う。
「風よ――彼女を切り裂きなさい!エアカッター!」
今度は風。
刃のような旋風が走り、私の足元を切り裂く……はずだった。
けれど、風もまた、私へ触れる寸前で“ふわっ”と丸く無害にほどけた。
私の髪が少し揺れただけ。
制服のリボンがかすかに揺れただけ。
終わり。無傷。
観客席が完全に凍りついた。
「……今の、消えた?」
「無詠唱の結界?」
「いや、あんな高位の魔法、学園の教師でも防げないぞ……」
「魔法が一切効かないって……」
アリアの可憐な唇が、屈辱でワナワナと震えた。
「どうして……!」
その声が、令嬢の上品なものではなくなっている。
天使の薄皮がはがれかけている。
「もう一度……! 火よ!」
炎の数が増える。
槍が二本、三本。
熱が渦を巻き、床の紋様が警告のように淡く光る。
先生が眉を寄せた。
「ベルフォード、威力を抑えろ! 訓練の範疇を超えている!」
だがアリアは完全に聞こえないふりをした。
私は、少しだけ困っていた。
いや、私が本当に困るのはここからだ。
このまま全オートお掃除魔法で無効化し続けると、アリアはさらにプライドを折られて苛立つ。
苛立てば苛立つほど攻撃が激しくなる。
攻撃が激しくなれば――見学しているレオン様の殺意が発動する。
……困ったことになった。
避けたい。
できれば避けたい。
平和なモブライフが欲しい。
早く終わらせて甘いお菓子が食べたい。
私は必死で“効いてるふり(やられ役)”をしようとした。
少しよろける。腕で顔を庇う。怯えたモブの表情を作る。
……でも無理だった。
炎が熱くない。風が痛くない。私の体がオートバフのおかげで頑丈で正直すぎる。
アリアの目に、深い焦りと憎悪が浮かぶ。
「あなた……何者なのよ……!」
声が、少しだけヒステリックに裏返る。
その瞬間、ぽろり、と一人称が崩れた。
「アタシの魔法が、なんで効かないのよぉっ――!」
出た。
裏の“アタシ”。
周囲がざわっ……とした。
令嬢たちが顔を見合わせる。男子生徒たちがきょとんとする。先生が眉をひそめる。
アリアは『はっ!』と口元を押さえ、慌てて可憐な微笑みを作り直す。
「失礼……私、少し取り乱しましたわ」
でももう遅い。
一度剥がれた化けの皮は、簡単には戻らない。
私は、ちらりとレオン様を見る。
レオン様は、微動だにしていない。
動かないが――視線が絶対零度に冷えきっている。
私の周囲を見て、アリアの攻撃魔法を見て、そして私の顔を見ている。
「俺のクロエは大丈夫か」という過保護な確認と、俺の『モノ』に害をなすゴミは許さないという『殺意』が、同時存在している。
……まずい。
このまま続けたら、本当にレオン様が物理で乱入してアリアが消し飛ぶ。
私は、心の中でそっと決めた。
(アリアに花を持たせよう。)
正直、悔しい。ムカつく。生理的に嫌い。
でも、ここでアリアのプライドを完膚なきまでにへし折って追い詰めたら、彼女はもっと陰湿に私を攻撃してくるに違いない。
そしてレオン様がもっと『過激なヤンデレ公爵様』になる。
私は学園生活をなるべく壊したくない。
推しのまっとうな学園生活も守りたい。
それに、この前の中庭の件もある。
アリアはすでに一度、レオン様に衝撃波で吹っ飛ばされて社会的に転んでいる。
ここでさらに私が完勝したら、今度は純粋な憎悪だけが残る。
いや、もうすでに十分残ってそうだけど。
だから私は。
深呼吸して、一歩大げさに下がり、両手を上げた。
「降参します!」
一瞬、実技場の世界が止まった。
「……は?」
先生が間抜けな声を出した。
アリアも、きょとんとした顔で固まる。
周囲の生徒たちも、ざわざわどころか水を打ったような無音になった。
私の声だけが、石造りの実技場に響いた。
「えっと、私、戦闘慣れしていないので……!」
嘘である。
私は戦闘慣れしていないが、暗殺者や魔獣との修羅場は経験してる。
「これ以上は怖いので、降参です! アリア様の魔法、ほんっとすごかったです! 恐れ入りました」
先生が数秒沈黙し、やがて気まずそうに咳払いした。
「……勝者、アリア・ベルフォード」
ぱちぱち、とまばらな拍手が起きる。
起きるが、誰も心から納得していない顔だ。誰が見ても『クロエがわざと負けてあげた』のは明らかだったからだ。
アリアは、勝ったはずなのに、顔色が土気色だった。
たぶんわかっている。
私は彼女に同情して花を持たせた。
それが“優しさ”ではなく、圧倒的強者からの“哀れみと余裕”に見えることも。
アリアの目が、私を刺した。
その視線に、可憐さはひとつもなかった。
憎悪。
ドロドロに煮詰まった純度の高い憎悪。
うわ。
やらかした。
平和に花を持たせたつもりが、逆に特大の燃料を注いだ気がする。
◇ ◇ ◇
模擬戦が終わり、私は実技場の端で小さく息を吐いた。
よし。
とりあえず、表向きは平和に終わった。
“勝者アリア”で記録上は場も収まる。これでアリアのプライドも多少は保てる……はず。
そう安堵したのだが。
背後から、氷点下まで冷え切った声が落ちた。
「……クロエ」
レオン様。
振り向いた瞬間、私は悟った。
これは完全に激重ヤンデレ彼氏にあとでこってり叱られるやつだ。
レオン様は、静かに私の前へ立った。
周囲の生徒が一斉に青ざめて距離を取る。
それだけで空気が変わる。本当に困る。
「……なぜ降参したんですか」
低い声だった。
でも、怒りを抑え込んだ音がする。
抑えている。必死でギリギリの理性を保っている。
「ええと」
私は必死に愛想笑いを作ってみせた。
「場を丸く収めようと思いまして」
「丸く」
「はい。アリアさん、さっきちょっと裏の顔が出て取り乱してましたし」
「だから?」
「だから、ここで私が勝って恥をかかせたら、もっとこじれるかなと」
レオン様の蒼い瞳が、すうっ……と細くなった。
「あなたが恥をかかせたんじゃない」
「え?」
「相手が実力不足で、勝手に恥をかいただけです」
「いや、まあ、そうですが」
「それに」
声がさらに低く、重くなる。
「あなたが“降参”と口にして自分を下げた瞬間、俺は」
一瞬、言葉が詰まる。
そして、その詰まりに、抑えきれないほどのドロドロとした激重な感情が乗る。
「……肝が冷えました」
肝が冷えた……
それは――ただ怒っているのではない。彼が『怖かった』ということだ。
私がまた自分を犠牲にして、何かを我慢して、自分を下げて、相手の顔を立てるために自分を削るのが。
私は喉が『きゅっ』と締まった。
「……ごめんなさい」
「謝ってほしいわけじゃない」
レオン様は、静かに、でも切実に言った。
「俺の大切なクロエに、そんな自己犠牲の危険な真似をさせたくない」
「私は危険な真似はしてないです。無傷です」
「していました」
「え?」
「あなたが無傷で立っているのを見て」
レオン様の目が、私の顔をまっすぐ捉える。
「あの女は、次はもっと大きく撃とうとした。あなたの異常な防御力なら平気でも、周囲が巻き込まれる。だから、クロエ、あなたは……」
その言葉が、まるで私の思考をすべて読まれていたみたいで、私は返事ができなかった。
そうだ。
私はたぶん、そうする。
自分が無傷で平気なら、周囲のために我慢する。
推しの学園生活のために、丸く収める。
でも、レオン様はそれが嫌なのだ。
自分が愛するたった一人の女性が、自分を粗末に扱うことが、嫌で仕方がないのだ。
「クロエ」
低い声が、少しだけ甘く柔らかくなる。
でも、海より深い。
「次からは、俺に任せてください」
「任せるって」
「相手の機嫌も、体面も、勝敗も」
「……」
「すべて俺が物理で消し飛ばします。あなたが背負う必要は一ミリもない」
「でも、学園生活が」
「俺にとっては、学園生活より、あなたの尊厳のほうが万倍大事です」
私は額を押さえた。
出た。
この人の優先順位、相変わらずクロエが絶対的で最上位である。
ありがたい。
でも、わたしばかりを優先していたら、レオン様の社会性が皆無になってしまう。
レオン様は今後、公爵として立派なレールが敷かれているのに……
それを台無しにしたくない。
「……お願いですから、ほどほどに」
「無理です」
「社会性も重要ですので……」
「『俺のクロエ』のことなので」
ほんとうに便利な言葉だ、それ。
でも、今はその激重な言葉に救われてしまう自分もいる。
私は小さく息を吐き、少しだけ嬉しそうに笑った。
「……わかりました。次は、自己犠牲をする前に、必ずレオン様に相談します」
レオン様の目が、わずかに安堵でやわらいだ。
「……約束ですよ」
「はい」
その“約束”の一言に、どこか深い独占欲と安堵が混じっていた。
◇ ◇ ◇
一方、実技場の出口付近。
アリアは、勝者として周囲に囲まれていた。
表向きの天使の笑みを浮かべ、上品にお礼を述べている。
「ありがとうございます。これも偏に皆さまの応援のおかげで……」
だが、その目は、私の方を忌々しそうに見ていた。
いや、正確には。
私と、レオン様を。
私が余裕で降参したこと。
勝てたはずなのに、勝った気が一ミリもしないこと。
そして何より、レオン様が私に向ける、あの常軌を逸した感情の濃さ。
それらが全部、アリアの腹の中でドス黒く煮えていくのが、距離があってもわかった。
たぶん彼女は、完全に理解してしまったのだ。
私には正攻法では敵わない。
レオン様を味方に付けようとも『魅了』は効かない
そして……
レオン様の中心には、私という絶対的な存在がいる
それが、彼女にとってプライドをへし折られるほど許せない。
可憐な仮面の奥で、純粋な憎悪が育っていく。
火をつける燃料はもう十分そこにある。
――こうして、模擬戦の勝者はアリアとなった。
表向きには。
形式上は。
公式の記録にはそう残る。
けれど、アリアの心に残ったのは勝利の味ではなかった。
決して届かないハイスペックな相手への苛立ちと、見下していたモブメイドに余裕で同情されたことへの純粋な憎悪だけだった。
そして当の私はというと。
「次はもう少し、平和においしいお菓子でも食べながら、お友達と『推し』について語り合いたい」
限界オタクとして心の底からそう思いながら、今日の疲労困憊の授業を終えたのだった。




