第22話 魔獣の襲来
世の中には、噂というものがある。
放っておけば自然に消えるものもあれば、燃料を注がれた炎のように爆発的に広がるものもある。
そして残念ながら、王立学園という閉鎖的なコミュニティは燃え広がる噂に関してだけは、やたらと風通しが良い。
『クロエ様に手を出すな』
昨日の中庭でのアリア気絶事件以来、この物騒な文言が、なぜか“学園の絶対ルール”みたいに定着してしまった。
私はというと、朝の教室でそれを耳にして、机に深く突っ伏したくなった。
「様……」
いや、私は平民の元メイドで、モブで、推しを救いたいだけの限界オタクで、決して“様”付けされるような器ではない。
学園では、恐れと誤解とレオン様の覇王の威圧の合わせ技で、私は勝手に“絶対に触れてはいけないアンタッチャブルな存在”に格上げされているらしい。
平穏をください。
推し活以外は、せめて授業だけでも平穏をください。
そう切実に神へ願った、その直後だった。
天井が、『ビリッ』と震えた。
「……え?」
最初は地鳴りかと思った。
けれど、床ではなく、空から来る凄まじい揺れだ。
窓ガラスが悲鳴のように鳴り、廊下の遠くで誰かが甲高い叫び声を上げた。
次の瞬間。
空気を引き裂くような鼓膜を破る咆哮が、校舎を丸ごと揺らした。
「グォオオオオオオ――!!」
骨に響く。
内臓がびりびりする。
身体が、生存本能の反射で完全に固まった。
教室中がパニックに陥る。
椅子が倒れる音が響き、令嬢たちが泣き声を上げ、教師が青ざめた顔で立ち上がった。
「全員、席を立つな! 窓から離れろ!」
「先生、今のは一体――」
「魔獣だ!」
魔獣。
その一言で、私の背中に冷たい汗が浮いた。
学園は王都の守りに近く、絶対的な防御結界が張られているはずだ。
それなのに、今の咆哮は明らかに校内の至近距離だった。
その時、教室の扉が勢いよく開いた。
「避難命令だ! 全員、第二中庭へ――」
伝令の学生が叫ぶより先に、窓の外を巨大な黒い影が横切った。
翼。
あまりにも大きすぎる翼。
私は、喉の奥で呼吸が詰まった。
まさか。
「……ワイバーン」
S級魔獣。
空を裂く飛竜。
一撃で騎士の小隊を壊滅させるとも言われる、正真正銘の災害級。
冗談じゃない。
どうして学園に。しかも真昼間に。強固な結界の中に。
頭の中で限界オタクの警鐘が鳴りっぱなしだった。
原作本編には、確かに“学園に魔獣が出る防衛戦イベント”がある。
だが、それは中盤以降の話だ。こんな序盤で?
しかもいきなりワイバーン級?
ゲームの難易度調整バグってない!? 運営何してるの!?
◇ ◇ ◇
避難先の第二中庭は、すでに混乱と恐怖の渦だった。
逃げ惑う生徒たち。
座り込んで泣き叫ぶ令嬢。
教師が結界の展開を指示し、上級生が武器を抜いて防衛ラインを作ろうとしている。
だが、空の上から降ってくる死の圧が、すべてを押し潰していた。
ワイバーンは、噴水広場の上空を悠然と旋回していた。
灰色がかった鋼の鱗。鋭い大剣のような爪。矛みたいな太い尾。
そして、虫けらを見下ろすような黄金の爬虫類の瞳。
その瞳が、獲物を選ぶように細まる。
「グゥ……ッ」
低い唸りと共に、ワイバーンが急降下した。
「きゃあああっ!」
「伏せろ!」
咆哮が再び響き、突風が中庭をなぎ払う。
生徒たちが吹き飛ばされ、美しい花壇が粉砕される。
その瞬間、絶望の前に躍り出る影が二つあった。
ひとりは、金髪の青年。
バカ王太子――カスティエル・ド・ヴァロア。
「下がれ! 王族の前で無様を晒すな!」
声は尊大で、命令口調で、相変わらず鼻につく。
だが、その剣を抜く背に迷いはなかった。そこだけは攻略対象らしい。
もうひとりは。
光を弾く白銀の髪。
氷のように冷たい蒼の瞳。
深紺の学園制服さえ、死神の戦装束のように見える圧倒的な美貌の男。
私の最推し、レオン様。
「クロエ、絶対に動くな!」
振り返らずに言われた。
でも、その短い一言の奥にある焦燥が、私には痛いほどわかった。
“命令”ではなく、“頼むから無事でいてくれ”という願いに近い。
「……はい」
返事はした。
したけれど、私の足はすでに半歩前へ出ていた。
だって、目の前で愛する推しがS級魔獣の戦場へ入っていくのだ。
それを『動くな!』の一言で大人しく見守れる限界オタクがいるだろうか。
いない。少なくとも私は無理だ。
ごめんなさい『推し』、私は推しの危機には動くモブなのです。
「来るぞ!」
カスティエルが叫ぶ。
ワイバーンが巨大な爪を振り下ろした。
地面が抉れ、石畳が爆発したように砕け散る。
跳ねた鋭い破片が、逃げ遅れた生徒へ飛びそうになった瞬間――レオン様の剣が一閃した。
風が、裂けた。
岩の破片は、空中で粉々に変わったように四散した。
「……ひっ」
誰かの息が止まる音がした。
恐ろしいほど正確で、恐ろしいほど冷たい一太刀。
“ただの斬撃”なのに、放たれる殺気の余波だけで周囲の空気が凍りつく。
カスティエルは、それを横目で見た。
「やるじゃないか、エルグラン公爵」
「お前が俺の足手まといにならないならな」
レオン様の返しは王太子相手でも容赦がない。
だが、カスティエルもプライドから引かない。
「俺は王太子だ! 最後に立っているのは――俺だ」
完全に張り合っている。
今それどころではないでしょうが!
だが、王族の矜持というものは、こういう時に本当に厄介だ。
ワイバーンが怒り狂い、鋼の尾を振るう。
カスティエルが剣で受け止めようとして、速度に間に合わない。
「殿下!」
上級生が悲鳴を上げるより先に、レオン様が地を蹴って踏み込んだ。
重い衝撃音。
空気が爆発的に鳴り、巨体の尾が軌道を強引に逸らされる。
だが次の瞬間、ワイバーンの爪が、体勢を崩したカスティエルへ斜めに走った。
『ぐっ……!』
カスティエルの肩から脇腹にかけて、鮮血が弾けた。
私は息を呑んだ。
血。
それも、ただの切り傷ではない。裂け方が深く、制服が赤黒く染まる。
しかもワイバーンの爪――猛毒や呪いが混じっていてもおかしくない。
「カスティエル殿下!」
教師が駆け寄ろうとするが、ワイバーンが威嚇の咆哮を上げ、誰も近づけない。
レオン様が、低く、苛立たしげに舌打ちした。
「……目障りだ」
その声には激しい怒りと、そして明確な『焦り』が混じっていた。
戦局が乱れたことではない。
――俺のクロエの視界で、無様な血を流すな。という理不尽極まりない怒りに。
そしてその一瞬、レオン様の視線がこちらへ飛ぶ。
「クロエ、下がって目を塞いでいろ」
さっきより強い声。
私は喉が痛くなるほど唾を呑み込んだ。
下がりたい。本当は下がるべきだ。
でも、今、猛毒を受けて倒れそうな王太子がいる。
ここで彼が死ねば……
私の中で、限界オタクとは別の、もうひとつの声が叫ぶ。
(ここで何もしないなら、あとで絶対後悔する!)
◇ ◇ ◇
次の瞬間、レオン様が動いた。
ワイバーンの懐へ、音もなく影のように踏み込む。
剣を持つ腕が一度、しなる。
蒼い瞳が、絶対零度に凍てつく。
「――終わりだ。塵に還れ」
低い声。
そこに迷いはない。慈悲もない。
一閃。
空が、真っ二つに裂けたように見えた。
ワイバーンの強靭な首が、音もなく落ちた。
一秒遅れて、巨体が地響きを立てて崩れ落ちる。
血と砂埃が舞い、生徒たちが悲鳴を上げる。
だがそれすら、数秒の静寂に飲み込まれた。
あまりにも一方的だった。
S級魔獣。
災害級の飛竜。
なのに、推しが剣を振るうと“ただのゴミ処理”になる。
怖い。顔が良い。そして最高にカッコイイ。
限界オタクの情緒が忙しい。
でも今は、推しのスチル的無双に感動している場合ではなかった。
カスティエルが地面に膝をついている。
顔色が土気色だ。呼吸が浅く荒い。血が止まらない。
「殿下!」
私は気づけば、スカートを翻して走っていた。
「クロエ!」
背後でレオン様の焦った声がしたが、止まれなかった。
止まれるわけがない。
私はカスティエルの前に膝をつく。
傷口を見る。
深い。いや深すぎる。
しかも傷口の周囲に、嫌な赤紫色の変色が広がっている。
毒だ。
医務室へ運ぶまでに全身に回り、最悪死に至る恐れがある。
「触るな……」
カスティエルが、荒い息の合間に傲慢に言った。
「俺に、平民の女が……気安く触るな……」
この期に及んでそれか。
さすがバカ王子。
でも、声がひどく震えている。
痛いのだ。死が怖いのだ。
私は一度だけ、深呼吸した。
「大丈夫です」
「何がだ……」
「私、こういう時のために常に備えているので」
私は指先を小さく動かす。
空間が、ふわりと歪む。
【鮮度保持庫】。
私が“食材の長期保管用”だと思って便利に使っている時空収納。
実際には、時空魔法の極致とも言える異空間倉庫みたいな代物だ。
そこから取り出したのは、小さな可愛らしい包みだった。
クッキー。
――昔、レオン様の栄養補給用に焼いて、魔力が超回復するように生活魔法のバフを限界までかけて、鮮度保持庫にストックしておいた手作りおやつ。
私はその包みを開きながら、頭の中で思考する。
このクッキー、私がバフ魔法をかけて作った。
以前、食べた時には体の傷が癒え、魔力も完全回復した。
なら。
「……エリクサーと同様の効果があるはず」
口にした瞬間、我ながらだいぶ雑でゲーム的な理屈だと思った。
でも、ここで迷っている時間はない。
私はクッキーを一枚割り、血を吐くカスティエルの口元に強引に差し出した。
「食べてください」
「は……? 菓子、だと……?」
「いいから黙って食え!」
焦りのあまり、素の強い口調が出た。
カスティエルは驚愕に目を見開く。
だが、血の気の引いた顔のまま、私の圧に押されてふらつきながら受け取った。
「……俺に命令するな……」
「生きるためです。早く」
その言い方が自分でも必死すぎて笑えなかった。
カスティエルは、半信半疑のままクッキーを口に入れる。
次の瞬間。
彼の傷口が、淡い黄金の光を放った。
「……!?」
血がピタリと止まる。
裂けていた肉が、見えない糸で縫われるように急速に塞がる。
毒の変色が消え、肌の色が戻り、荒かった呼吸が嘘のように整い始める。
周囲の生徒が凍りついた。
教師も、医務係も、あり得ない奇跡の光景に目を見開いて動けない。
カスティエルは、完治した自分の身体を信じられないものを見るように見下ろした。
「……治った。毒が……完全に抜けている」
「よかったです」
私はへたり込みそうになりながら、ほっと息を吐いた。
間に合った。
本当に間に合った。バッドエンド回避だ。
でも、その直後。
カスティエルが私を見た。
まっすぐに。
さっきまでの王族としての傲慢さが、少しだけ揺らいだ熱のある目で。
「お前……」
「はい?」
「名前は」
「……クロエです」
「クロエ……」
その呼び方が、妙に真剣で、重くて、私は強烈な嫌な予感がした。
やめて。
見ないで。
その方向に感情のフラグを立てないで。
私は推し活中のモブメイドであって、王太子ルートに巻き込まれる予定は一ミリもないんです。
だがカスティエルは、まだ呆然としたまま、私の手元を見た。
「その菓子……」
「ただのクッキーです」
「……お前が、俺のために作ったのか」
「(ちがうけど)はい」
「……すごいな」
素直に言われて、逆に全身の毛穴が逆立つほど困った。
褒められ慣れていないわけではない。
でも、相手がバカ王太子だと話が違う。
厄介な面倒が増える予感しかしない。
私は早口で言った。
「立てますか? 念のため医務室へ行きましょう」
「……ああ」
カスティエルが立ち上がろうとした瞬間、私は彼がよろけたのを支えようとして肩へ手を伸ばした。
その拍子に、距離が近くなる。
ほんの一瞬、密着する形になる。
その一瞬を――
世界で最も最悪のタイミングで、うちの推しが、見た。
◇ ◇ ◇
「……クロエ」
低い、地鳴りのような声が落ちた。
氷の底の底で、重いマグマが鳴るみたいな声。
私の名前なのに、ぞくりと背筋が凍りつく声。
振り向くと、レオン様が立っていた。
さっきワイバーンを切り落とした直後のまま、血塗れの剣を下げて。
制服の裾が風に揺れている。
白銀の髪が、微かに乱れている。
そして蒼い瞳が――
完全に、冷え切っていた。
いや、冷えているだけではない。
熱い。
熱いのに冷たい。
殺意と独占欲という矛盾みたいな感情が、瞳の奥で真っ黒な渦を巻いている。
私は息を呑んだ。
まずい。
これは致命的にまずい。
アリアの時には、私が不安そうな顔をするだけで、アリアを吹っ飛ばしたのに……
そして今、レオン様が見たのは――
負傷した王太子を気遣って支える私。
密着しているように見える距離。
しかも王太子が、私の名を熱っぽく繰り返した直後。
(ひぇぇぇぇぇっー!)
フラグが強すぎる。
爆発物を積んだ荷馬車が、自ら火の粉の中へ突っ込んでいるようなものだ。
「レ、レオン様!」
私は弾かれたように離れ、慌てて声を上げた。
「違うんです、これは、その、ただの治療で……!」
「治療」
レオン様の声は静かだった。
静かすぎて、逆に暴発寸前で怖い。
彼はゆっくり、剣を握り直しながらカスティエルへ視線を移す。
「……殿下」
「……あ?」
カスティエルも、王族の反射で強がる。
「助かったんだ。俺を救った女に礼くらい――」
「近い」
レオン様が、ただそれだけ言った。
中庭の空気が物理的に重くなる。
周囲の生徒が恐怖で息を止める音がする。教師が青ざめて震え上がる。
私は必死に二人の間に割って入った。
「レオン様、殿下は怪我をしていたので! 支えないと倒れます!」
「もう治っているだろう」
「え?」
「完全に治っている」
冷たい声が繰り返す。
私は一瞬詰まる。
確かに治った。
治ったけれど、余韻とか貧血とか、そういうのはあるかもしれない。
だから支えて――
「俺のクロエから離れろ」
レオン様の絶対零度の言葉が、カスティエルに向けられた。
命令ではない。
祈りでもない。
これ以上触れるなら、“王族だろうと容赦しない”という絶対の宣言だった。
私の指が、反射でカスティエルの袖から離れる。
その瞬間。
レオン様の周囲の魔力が、『どろり』と濃く、重く、黒く立ち込めた。
怒っている。
怒りの質が、いつもと違う。
敵に向ける冷酷な殺意ではなく、もっと個人的で、もっと剥き出しで、もっと危うい。
嫉妬だ。
私の推しが、限界突破で激しく嫉妬している。
いや、待って。
待って待って。
今の状況で推しが嫉妬するのは、乙女ゲーム的にはたぶん普通にあり得る。
あり得るが、うちの推しが嫉妬すると、だいたい相手を消す方向(物理)へ話が行きがちなのが本当に困る。
私は震える息で言った。
「レオン様、どうか落ち着いてください」
「完全に落ち着いている」
即答。
一ミリも落ち着いてない。剣の柄がミシミシ鳴ってる。
「本当に?」
「俺のクロエが、他の男に触れているのを見て」
レオン様の声が、少しだけ苦しげに掠れた。
その掠れに、限界まで抑え込んだ激重な感情が乗る。
「俺が、落ち着けるわけがないでしょう」
『ひゅっ』と、私の喉が鳴った。
その切実な声に、胸が痛いほど締めつけられる。
嬉しいとか、怖いとか、その両方が一気に押し寄せてくる。
カスティエルが一歩踏み出した。
「おい、公爵。俺は王太子だぞ――」
『関係ない』
レオン様の切り捨てが、あまりにも冷たく容赦がない。
「クロエに触れる権利は」
一拍置いて、絶対者のように低く言い放つ。
『この世に、俺以外に存在しない』
うわあ。
言った。
言ってしまった。
完全に言い切ってしまった。
学園の中庭で。
教師も大勢の生徒もいる前で。
一国の王太子相手に。
私は頭の中が真っ白になった。
だめだ。
これ、完全に収拾がつかないやつだ。
ヤンデレの独占欲が全開だ。
なのに。
レオン様が私の方を見た瞬間、瞳の殺気と冷たさが少しだけ溶けた。
代わりに、傷ついたみたいな、縋るような熱がにじむ。
「……怖かった」
小さく、私にしか聞こえないくらいの甘い声で。
「俺が魔獣を斬っている間に」
「……」
「俺のすべてであるあなたが、他の男の腕の中へ行くのが」
私の胸が『どくん!』と大きく鳴った。
違う。
そんな意味じゃない。
私はただ、バッドエンドを回避するために彼を助けただけだ。
でも、この人の世界では、“私が誰かに触れる”こと自体が、永遠に自分から離れていく喪失の予兆に見えるのだ。
重度の分離不安。その傷は深い。
私は強く唇を噛んだ。
このままだと、レオン様が完全に壊れる。
そしてカスティエルも、たぶん無事では済まない。
王太子を相手に、推しの嫉妬が暴走したら、政治的にも物理的にも完全に終わる。
私は一歩、レオン様へ近づいた。
自分から。
私の意志で。
そして、そっと彼の袖を掴む。
今度は反射じゃない。
自分で、彼を安心させるために、掴む。
「……私は、ここです」
小さく、はっきりと言う。
『私の帰る場所は、レオン様のところです』
「……」
「殿下の治療は、ただの応急処置です。それだけです」
その言葉が落ちた瞬間、レオン様の荒い呼吸が、わずかに整った。
蒼い瞳が、私の手元を見る。
私が自分から掴んだ袖を。
そこに刻まれたしわを。
それから、低い、執着に満ちた声で言った。
「……約束ですね」
「はい」
「二度と」
「……はい」
「俺以外に」
言葉が詰まる。
それでも、魂から絞り出すように続ける。
「そんなふうに、他の男に近づかないで。触れないでください!」
私は胸がひどく痛んだ。
でも、頷くしかない。
「……できるだけ」
すると、レオン様の目がスッと細まった。
「できるだけ?」
「だって、目の前の人命救助は最優先です!」
「次からは俺が救う」
「いや今さら過ぎます、もう私が救いました!」
「次からは必ず俺がやる」
「私のほうが適任です! レオン様だとみんなが怖がっちゃいますよ」
私の叫びに、周囲がびくりとした。
だがレオン様は、ようやくほんの少しだけ、いつもの『冷静な冷酷公爵』へ戻った。
戻ったのに、私への嫉妬の熱だけがまだ燻るように残っている。
その危うさが、私には見える。
一方のバカ王太子・カスティエルは。
少し離れた場所で、私とレオン様のやり取りを、じっと熱のある目で見ていた。
その視線に、強烈な嫌な予感がした。
――あ、これ。
王太子、私に興味持ったな?
最悪である。
そして、その最悪を視界の端で察知したレオン様が、さらに魔力を伴って冷えた顔をしたのを、私は見逃さなかった。
波乱の予感しかしない。
いや、予感じゃない。
もう確定だ。
学園に、序盤からS級魔獣が来る。
バカ王太子が負傷する。
私のチートクッキーで治る。
王太子が私を気にし始めるし、フラグが立つ。
結果、推しが嫉妬で暴走寸前のクーデター一歩手前。
これ、どう考えても次の特大地獄が待っているやつだ。
私は小さく限界の息を吐いた。
でも、逃げない。
逃げたら空から回収されることは、もう身をもって知っている。
だから私は、この激重な推しと、この学園と、この面倒な乙女ゲームの運命ごと、正面から受け止めるしかないのだ。
……胃が穴が開くほど痛いけど。
そして、その痛みを置き去りにするように。
レオン様が、私の耳元で低く甘く囁いた。
「クロエ」
「はい」
「今夜は、俺の部屋に来てください」
「……え?」
「たっぷりとお話しましょう。今夜は寝かせません」
その目が、絶対に逃がす気のない、肉食獣の色をしていた。
私は悟った。
あ、これ。
『激重ヤンデレ嫉妬のお説教』だ。
終わった。
終わったけど――
正直、少しだけ。
「俺以外に触れないで」と嫉妬してくれたことが、ほんの少しだけ、胸が熱くなって嬉しかった自分がいたのも。
たぶん、紛れもない事実だった。




