第13話 容赦なき【ざまぁ】と公爵家追放
人は、長年積もり積もったドス黒い悪意が、ようやく白日の下に晒されて正式に断罪される瞬間を目の当たりにすると、わりと本気で全宇宙の神羅万象に感謝したくなる。
いや、感謝というか。
「やっと……やっとここまで来た……っ!」という、限界オタク特有の情緒の大洪水、あるいはナイアガラ瀑布レベルの涙が発生する。
ずっとずっと、この胸を焦がして見てきたのだ。
私の最愛の推しが、理不尽に傷つけられ、理不尽にすべてを奪われる場面を。
本来ならゲーム本編で、もっともっと残酷に踏みつけられ、絶望のままバッドエンドを迎えるはずだった悲惨すぎる運命を。
だからこそ、思う。
遅い。
本当に遅すぎる。もっと早く奴らは裁かれるべきだった。
でも、来た。
ついに来たのだ。
待ちに待った、公爵家特大【ざまぁ】ターンが!
私はそう確信しながら、公爵邸の大広間へ続く長い廊下を、足取りも軽くスキップしそうな勢いで歩いていた。
今日は、あの悪党どもへの『処分の正式通達の日』である。
先日の親族会議で、継母と異母弟エドガーの特大の不正は決定的なものとなった。
そこから数日、公爵家の中は蜂の巣をつついたような大騒ぎ、いや、完全にひっくり返ったような阿鼻叫喚の嵐だった。
裏帳簿の再確認、関係者の拘束、使用人の徹底的な聞き取り、隠し財産の洗い出し、隣国との繋がりの裏取り。
まあ出るわ出るわ、埃の山。
正直、私の【整理整頓魔法】がオート発掘した初手の時点でも十分すぎるほど真っ黒だったのだが、そこから公の監査で掘れば掘るほど、ドス黒いヘドロのような追加の余罪が無限に出てくるのだから、もはや擁護の余地すらない。
ほんと、よくここまで丁寧に悪事を積み上げましたね?
その並々ならぬ執念と労力を、なぜもっと平和的なものへ使えなかったんですか?
趣味の園芸とか、お菓子作りとか、新作のドレス考案とか、そういう方向で自己実現してくれれば誰も不幸にならなかったのに!
だが現実はそうではない。
だから今日は、そのしっぺ返しを完璧に受ける『報いの日』だ。
「クロエ」
背後から静かな、けれどひどく甘い声がして、私は弾かれたように振り返った。
レオン様がいた。
ああ、無理です。
毎日、毎分、毎秒思うけれど、こういう冷たい緊張感のある局面で見るレオン様、圧倒的に顔が良すぎる。
光を弾く白銀の髪はきっちりと整えられ、軍服のような漆黒の正装は、細身でありながら鍛え抜かれた体をこれ以上なく美しく引き立てている。
氷のように冷たい蒼の瞳はまっすぐ前を見据え、その佇まいはもはや“若き公爵令息”という言葉が比喩ではなくなっている。
18歳にしてこの完成度。いくらなんでも推しのモデリング(顔面偏差値)が強すぎませんか? 神様ありがとうございます。最高です。
だが唯一の大きな問題は、その顔面国宝の彼が、私を見た瞬間『だけ』劇的に甘く温度を変えることだった。
「いかがなさいました?」
私は沸騰しそうなオタク心を強引に抑え込み、平静なメイドを装って微笑む。
レオン様は数歩近づき、私の手元を見た。
そこには、今日使うための分厚い書類束がある。処分に関する決定書類と、家中再編の簡易メモだ。
「それも持つんですか」
「はい。今日の私は書類管理担当の有能モブメイドですので」
「重いでしょう」
「いえ、これくらいなら」
「俺が持ちます」
「えっ」
さらり、と奪われた。
いや待ってください。
それくらい持てる。
紙の束ですよ? 私、これでもSランクの巨大魔物肉とか担いで異空間保管庫にぶち込んでる腕力持ちの女なんですが。普通に持てる。
だがレオン様は、当然のように私の手から書類束を奪い取り、そのまま歩き出そうとする。
「れ、レオン様?」
「何です」
「それは私のメイドとしての仕事では」
「俺の仕事でもあります」
「そういう意味ではなく」
「あなたに、一ミリも余計な負担はかけたくない」
低く、ひどく甘く、静かな声だった。
あっ。
駄目だ。
そういうセリフを、そういう落ち着いた顔面国宝の顔で、至近距離で言うの、本当に駄目だ。
こっちはただでさえ断罪イベント直前で感情の起伏が忙しいのに、さらに保護欲だか独占欲だかよくわからない激重な愛を混ぜ込まれると、脳が完全に処理落ちする。
私は一瞬だけ、真っ赤になりそうな顔を逸らした。
「……それくらい、本当に平気ですよ」
「知っています」
「なら」
「あなたが平気かどうかと、俺があなたに持たせたいかどうかは、まったく別の問題です」
息が詰まった。
重い。
いや、言葉の意味としては別にそんなに重くないのかもしれない。ただの親切な気遣いだ。
でもこの人が言うと全部ちょっと重い。引力が違う。
しかも本人、外の人間には絶対零度で冷淡で隙がないくせに、私に対してだけこういう妙に甘くて逃げ場のない圧をかけてくるのだ。
怖い。たいへん怖い。主に私の心臓が爆発しそうという意味で。
私はどうにか咳払いした。
「……ありがとうございます」
「どういたしまして」
「その、最近ちょっと私に対して過保護すぎでは?」
「最近?」
レオン様は、不思議そうに小首を傾げる。
「あの地下室で出会った夜からずっとですが」
「そうでしたっけ……」
「ええ。かなり」
否定できない。
まったくもって否定できない。
だが今はそこを掘り下げて赤面している場合ではない。
私は気を取り直し、そっと彼の隣へ並んだ。
「今日は、きっとすべてが終わりますね」
「ええ」
「長かったです」
「……そうですね」
その返答だけは、少し低かった。
温度が変わる。
私にも、痛いほどわかる。
ああ。
そうだ。
今日のこれは、ただのエンタメ的な「ざまぁ展開」ではないのだ。
彼が受けてきた、長い長い虐待と理不尽な冷遇の、完全なる決着でもある。
私にとっては“推し救済大勝利イベント”でも、彼にとってはもっと静かで、もっと深い、人生の清算の意味がある。
だから私は、それ以上は軽々しく言わなかった。
ただ、隣を歩く。
それだけでいいと思った。
◇ ◇ ◇
大広間には、すでに主要な親族と家臣たちが重苦しい顔で集まっていた。
公爵は上座に座っていたが、その表情に以前のような絶対的な威圧感は欠片もない。
ここ数日で一気に十年は老け込んだように見える。
当然だろう。
家中の特大の不正が露見し、妻は拘束され、次期当主として見下していた息子が一気に実権を握りつつあるのだ。
因果応報である。
同情の余地は一ミリもない。
そして、部屋の中央の低い位置には――継母とエドガーが立たされていた。
二人とも、かつてのような豪奢で派手な衣装ではなく、質を落とした簡素な服を着せられている。
まだ完全な囚人服ではないが、“もうこの家の支配者側ではない”ことは一目でわかった。
継母の顔はひどくやつれ、髪も乱れていた。
だが、その目だけは異様にぎらついている。
まだ自分は逆転できると、諦めていない見苦しい悪足掻きの目だ。
一方のエドガーは、見るからにガタガタと怯えていた。
数日前までのあのイキり散らした傲慢さは、影も形もない。
真っ青な顔で唇を噛み、母の後ろに半分隠れるように立っている。
うん。
まあ、そうなるよね。
何の努力もせず、ただ理不尽に守られていた側が現実に放り出されると、こんなにもわかりやすく脆い。
けれど、私の胸に浮かぶのは、彼らへの優しさではなかった。
遅い。
今さら怯えるくらいなら、もっと早く、自分たちが彼に何をしていたのか、少しでも想像するべきだったのだ。
公爵が、重々しく、ひどく疲れた口を開く。
「……これより、最終的な処分を言い渡す」
その一言で、大広間がしんっ、と静まり返る。
私はレオン様の斜め後ろ、壁際で控えながら、静かに息を整えた。
いよいよだ。
公爵は手元の書状へ目を伏せ、淡々と読み上げる。
「公爵夫人イザベルは、公爵家資産の悪質な不正流用、継承権操作を目的とした偽造工作、隣国との不適切な接触、並びに嫡男レオンに対する継続的な害意ある行為により、その身分と権限をすべて剥奪する」
継母の肩が、びくりと大きく震えた。
「また、エドガーについても、これまでの共犯的行為と虚偽への加担を重く見て、公爵家直系としての優遇措置を即時停止する」
「ち、父上……!」
エドガーが悲鳴みたいな、裏返った声を上げる。
だが公爵は見ない。
というか、今さら父親面をされても困るのだが。
「両名は本日をもってエルグラン公爵家より永久追放とし、直ちに北方鉱山の管理区域へ送致する」
ざわり、と空気が大きく揺れた。
来た。
永久追放コース!
しかも北方鉱山。
噂レベルでも十分過酷な土地だ。
とにかく年中寒い。強制労働が厳しい。凶悪な魔物も普通に出る。完全に地獄寄りの流刑地である。
継母が、ついに耐えきれずに叫んだ。
「そんな! そんなはずがないでしょう!」
ヒステリックな甲高い声が大広間へ響く。
「私はこの家のために尽くしてきたのよ! あの子さえいなければ、もっと穏当にうまくやれたのに――」
「あの子?」
その醜い言葉を冷たく叩き斬ったのは、公爵ではなかった。
レオン様だった。
静かだった。
あまりにも静かで、逆に大広間の空気が絶対零度に凍りつく。
彼は一歩前へ出る。
漆黒の正装の裾が、わずかに翻った。
「まだ、そのふざけた呼び方をするんですね」
継母がひっ! と息を呑む。
「……レオン」
公爵が名を呼ぶが、彼は止まらない。
「俺がいたから邪魔だった」
「……っ」
「俺が正当な嫡男だから、目障りだった」
「……」
「だから地下へ閉じ込め、食事に毒を混ぜ、暗殺者を差し向け、濡れ衣を着せ、ついには家ごと隣国へ売ろうとした」
その事実の一つ一つが、ゆっくりと、でも確実な重さを持って大広間へ落ちていく。
継母の顔が醜く歪んだ。
「違うわ……! 私はただ、可愛いエドガーの未来を守りたかっただけで……!」
「なら、自分の息子だけを必死に守ればよかっただろう」
レオン様の声は、氷のように淡々としている。
「なぜ、俺を壊そうとした」
完全なる沈黙。
継母は答えられない。
いや、答えはあるのだろう。
でも、それを言葉にした瞬間、自分の醜悪さのすべてが完全に露呈して終わるから言えないだけだ。
私はその様子を見つめながら、胸の奥がじんわりと熱くなるのを感じていた。
ああ。
そうだ。
この人はもう、ただ耐えるだけの無力な子供じゃない。
こうして、自分が受けてきた理不尽を、自分の言葉で、真正面から相手へ刃として突き返せるようになったのだ。
それが嬉しい。
でも少し苦しい。
だってその一言一言は、彼が実際に血を流して味わってきた痛みの歴史でもあるから。
継母はついに、その場に無様に膝をついた。
「お願い……お願いよ、レオン……! 一度だけ、今回だけ許して……!」
来た。
悪役テンプレの、見苦しい命乞いである。
だが、遅い。
遅すぎる。
私は思わず心の中で毒づいた。
今さら!?
あの暗く冷たい地下室で、たった一人で泣いていた八歳児に、その一欠片でも優しさ向けましたか!?
向けてないですよね!?
なのに自分が追い込まれた瞬間だけ“母親の顔”をして許しを乞うとは、実に都合が良すぎるな!
エドガーも泣きそうな顔で、すがるように口を開いた。
「兄上、僕は……僕は本当に、母上がここまでやるなんて知らなくて……」
あ、それ今さら言う?
そこへ来て自分だけ『無実の被害者』ポジションに逃げる?
正直だいぶ見苦しい。
でも、レオン様は笑わなかった。
彼はただ、静かに彼を見下ろした。
「知らなかったなら、なおさら無能の罪は重い」
「……え」
「お前は、何も知らないまま、人が傷つくのを見て笑っていた」
エドガーの顔が真っ白になる。
「それは“何もしていない”とは言わない」
「ち、違っ……」
「違わない」
低く、きっぱりと断じる。
ああ。
強い。
本当に強い。
昔だったら、この子はこういう場で“自分が悪いのかもしれない”と揺らいでいただろう。
でも今は違う。
悪意の責任を、きちんと相手へ返せる。
その変化が、どうしようもなく誇らしい。
◇ ◇ ◇
そして、あの一言は、私がたぶん一生忘れない、ゲームの枠を超えた最高の名シーンだった。
継母が、床に這いつくばって縋るみたいに声を震わせた。
「せめて、せめてこの家へ置いて……! 私は公爵夫人なのよ……!」
それに対して、レオン様は一歩も引かなかった。
むしろ、ほんのわずかに首を傾げた。
冷ややかに。
恐ろしいほど美しく。
そして、どうしようもなく容赦なく。
「クロエの淹れた紅茶が冷める」
しんっ、と。
場が完全に凍りついた。
えっ。
私は一瞬、思考が止まった。
いま何と?
いや、聞き取れた。
バッチリ聞き取れたけど。
そのタイミングで、その台詞を、そんな静かな絶対零度の顔で言います!?
継母もエドガーも、ぽかんとしていた。
親族たちも、衛兵たちも、一瞬だけ理解が追いついていない顔をしている。
だが、レオン様は至って本気だった。
「お前たちにこれ以上、一秒たりとも時間を割く価値はない」
静かに、氷の刃のように続ける。
「連れて行け」
その一言で、空気が完全に決した。
衛兵が動く。
継母が悲鳴を上げる。
エドガーが泣きながら母へしがみつく。
でも、もう誰も止めない。
止める理由がない。
終わったのだ。
私は立ち尽くしながら、胸の奥で何かがぐわっ! と込み上げるのを感じていた。
だめだ。
いろんな意味でだめだ。
まず、ざまぁとして完璧すぎる。
長年の悪意に対して、泣き叫ぶ相手へ一瞥もくれず「紅茶が冷めるから」で切り捨てるの、冷酷美形公爵令息としての解像度が高すぎる。
100点満点中200万点。
いやむしろ芸術点で特大の加点をしたい。
でも同時に、大問題もある。
その“紅茶”が『私由来』であることだ。
いや、もちろんうれしい。
うれしいんですよ?
この大広間いっぱいの人間と、継母と、家の処分と、将来を左右する一世一代の断罪の場面で、レオン様の基準に“クロエの淹れた紅茶”があるのは、モブメイドとしてたいへん光栄の極みです。
でも重い。
やっぱり重い。
だいぶ激重だ。
しかもその重さを、本人が隠す気を一ミリも持っていない。
私はこっそり額を押さえた。
ああもう。
「大型犬の懐き」とか言ってた昨日の私、ちょっと出てきなさい。
これ、犬ではない。
もっとこう……飼い主認定した相手へ異常に執着する『大型肉食獣』寄りである。
しかも顔が良い。
最悪だ。好きです。
継母とエドガーは、そのまま大広間から無様に引きずり出された。
泣き叫ぶ声が遠ざかっていく。
誰も追わない。
それが、すべてだった。
◇ ◇ ◇
騒ぎが収まり、人払いがされた後。
私は北棟の小さな応接間で、本当に紅茶を淹れていた。
……いや、だってさっき本人が全親族の前で堂々とそう言ったので。
あの場で“クロエの淹れた紅茶が冷める”と言い切ってしまった以上、出さないわけにもいかないでしょう。
むしろ今ここで淹れなければ、あの名台詞だけが独り歩きして、私がただの虚言のダシに使われたことになってしまう。
私はティーポットへ湯を注ぎながら、ひとりぶつぶつ言った。
「まったくもう……あんな歴史的な場で、そんなことを……」
いや、でも、かっこよかった。
ものすごくかっこよかった。
認める。
悔しいけど認める。
冷たくて、美しくて、完璧にざまぁを決めていた。
推しとしては満点最高である。
私の心が忙しすぎるだけで。
紅茶の香りがふわりと立つ。
その時、背後で扉が開いた。
「入っても?」
低い声。
「……どうぞ」
私は振り返った。
レオン様が入ってくる。
ついさっきまで断罪の中心にいたとは思えないほど、静かな顔だった。
だが、その瞳の奥に沈んだ熱だけは、私にははっきりと見える。
彼はソファへ腰を下ろし、私の手元を見た。
「本当に淹れてくれたんですね」
「ええ。あれだけ見事に大衆の面前で“冷める”と宣言なさいましたので」
「気を悪くしましたか」
「いえ?」
私はカップへ紅茶を注ぎながら首を傾げる。
「ただ、あまりにも名台詞すぎて、ちょっと私の心の整理が追いついていないだけです」
「……名台詞」
レオン様が、ほんの少しだけ口元をゆるめた。
あ、ずるい。
そういう、私の前だけで見せるやわらかい顔、本当にずるい。
私はカップを差し出した。
「どうぞ」
「ありがとうございます」
彼は受け取り、一口飲む。
それから静かに、心底幸せそうに目を細めた。
「……うまい」
「でしたら、何よりです」
「冷める前に飲めてよかった」
「やめてください、今それ言われると余計にじわじわ来るんです」
くすっ、と。
今度ははっきり声を出して笑った。
外ではあれだけ冷たく切り捨てたのに、私の前だとこうして少し笑う。
その温度差が、どうにも心臓によくない。
私は自分のカップを持ちながら、そっと息を吐いた。
「……お疲れさまでした」
「ええ」
「長かったですね」
「長かったです」
短い返事。
けれど、そこに乗っているものは決して軽くない。
私は少しだけ視線を落とした。
「……苦しかったですか」
その問いに、レオン様はすぐには答えなかった。
静かな沈黙が落ちる。
やがて、彼はカップを見つめたまま言う。
「苦しくないと言えば、嘘になります」
「……」
「でも」
そこで顔を上げる。
まっすぐ、私を見る。
「終わった今は、思ったより静かです」
「静か」
「ええ。もっと、何かあると思っていました」
怒りとか、憎しみとか、虚しさとか。
そういうものが、もっと激しく渦巻くと思っていたのだろう。
でも彼は、少しだけ息を吐いた。
「たぶん、あなたがいたからでしょうね」
また、そう言う。
私はカップを持つ手に少しだけ力を込めた。
だめだ。
それは、簡単に受け流せない。
この人にとって私は、どれだけ大きな位置にいるのだろう。
それを考えるたびに、嬉しくて、でも少し怖い。
「私は……」
言いかけて、少しだけ迷う。
それから、素直に言った。
「ただ、レオン様に幸せになってほしかっただけなんです」
「知っています」
「だから、今日こうなって、本当にうれしいです」
「……」
「すごく、うれしい」
言っているうちに、自分でも少し泣きそうになった。
だって、本当にそうなのだ。
うれしい。
何よりも。
あの夜からここまで来たことが。
この人が、ようやく奪われる側ではなく、自分の足で立って勝ち取る側へ来たことが。
レオン様は、しばらく私を見ていた。
その視線は静かで、深くて、ひどく甘い。
そして、ぽつりと呟く。
「あなたが泣きそうになるのは、反則ですね」
「えっ」
「抱きしめたくなるので」
「ぶっ!!」
危うく紅茶を盛大に吹きそうになった。
待ってください。
今なんと?
さらっと言うな。
ほんとうにさらっと直球を投げるな。
私はむせながら激しく咳き込む。
レオン様は立ち上がり、当然のように私の背中へ手を添えた。
「大丈夫ですか」
「だ、大丈夫ではありません!」
「そうでしょうね」
「自覚あるならなおさらです!」
「ですが、本音です」
本音で押してくるのをやめてほしい。
しかも今日は、ざまぁ回の余韻に浸っていたいのだ私は。
なのにそこへ、推しからの重めの本音(口説き)が差し込まれると、感情が処理しきれない。
私はどうにか咳を落ち着かせ、そっと距離を取った。
「……今日は、そういうのは反則です」
「今日でなくても反則だと言われますよ」
「そうかもしれませんけど!」
「では、何も変わりませんね」
ひどい。
正論で殴られた。
しかも顔が良い。
最悪だ。好きです。
◇ ◇ ◇
その夜、自室へ戻ってからも、私はしばらく眠れなかった。
継母とエドガーの永久追放。
泣き叫ぶ二人。
一瞥もくれず扉を閉めたレオン様。
そして、あの「クロエの淹れた紅茶が冷める」の一言。
あまりにも、あまりにも強い。
ざまぁとして完璧だった。
でもそれだけではない。
今日の彼は、本当に“終わらせる側”の人間だった。
過去に傷つけられたぶん、同じ土俵で喚き返すのではなく、完全に格の違いを見せつけて切り捨てる。
その強さに、私は胸を打たれた。
同時に思う。
ああ、この人はもう。
きっと私の思っている以上に、遠くまで行ける。
強くなって。
立派になって。
この家を、領地を、そしてきっともっと大きな国というものまで背負える人になる。
だったら私はどうするのだろう。
ずっとそばにいられるのか。
それとも、どこかで身を引くべきなのか。
そんなことを考えて、私は枕へ顔を埋めた。
……いや、でも待って?
今日の感じだと、身を引くとか言い出した瞬間に普通に捕まりそうでは?
だってあの人、最近ちょっと本気で愛が重いんですよね。
いや最近どころではないのかもしれないけど。
でも私はまだ“推しが大人になって懐き方がちょっと重くなった”くらいで処理したい。
したいんです。
させてください。
だが現実逃避をしても、事実は変わらない。
今日、公爵家から継母と異母弟は完全に消えた。
長年の膿は大きく取り除かれた。
そしてその結果、レオン様はますます“若き当主”としての絶対的な立場を固めていく。
同時に、彼の中では。
“クロエがいたからここまで来られた”
という思いが、きっとさらに強くなっている。
救われた夜から始まり。
支えられ、守られ、勝たされてきた。
その全部を、彼は決して軽く扱わない。
だからこそ、たぶん――
これから先、私を手放す気も、ますますなくしていくのだろう。
……うん。
やっぱりちょっと重いな、うちの推し。
でも、そんなところまで含めて、愛おしくて仕方がないのだから、私もだいぶ末期である。
そうして私は、まだ熱の残る胸を押さえながら、静かな夜の中でそっと目を閉じた。
推しのざまぁ完全勝利。
その余韻は、しばらく私の心をあたため続けるのだと思う。




