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第12話 逆転の親族会議(裁判)

 世の中には、絶対に負けられない戦いがある。


 たとえば、最愛の推しの『バッドエンド直行ルート』の完全回避とか。

 たとえば、推しの尊厳と未来を守るための、国家反逆レベルの証拠管理とか。

 そして何より――長年、何の罪もないレオン様をゴミのように踏みにじってきた性悪な連中へ、満を持して残酷な現実(証拠)を顔面に叩きつける日とか!


 はい。

 今日が、まさにその日である。


 私は朝から、北棟の自室で「ひっ、ふぅーっ」と限界オタクの深呼吸を繰り返していた。


 落ち着け、私。

 大丈夫だ。

 証拠は完全に揃っている。

 整理済み。

 分類済み。

 裏取り済み。

 見やすく綺麗に完全ファイリング済み。

 それはもう、王都の几帳面な辣腕監査官でも感涙して土下座しそうな完璧な完成度である。

 ありがとう、私のチート整理整頓魔法。ありがとう、普段から“あとで確定申告に使うかもしれない領収書は項目別にまとめるべき”という前世の事務感覚。すべてが今日のためにあった気がしてくる。


 けれど、緊張しないわけではない。


 今日は、公爵家を揺るがす特大の親族会議だ。

 表向きは「公爵家の今後と、家中の統制について話し合う厳粛な会」。

 実態は、あの継母が長年張り巡らせてきた陰湿な悪意の集大成であり、本来のゲームルートなら、ここでレオン様を完全に追い落とすための『絶望の断罪舞台』だった。


 だが、残念でしたね。

 舞台装置と観客はそのまま、台本と結末だけ、こちらがすべて差し替え済みである。


 私は机の上の、重々しい封印を施した証拠箱を見下ろした。


 裏の帳簿。

 隣国との密書。

 レオン様を嵌めるための偽造文書。

 あえて偽装配置された証拠の数々。

 どれもこれも、見れば見るほど胸焼けしそうなドス黒い代物だ。


 本当にひどい。

 ここまで丁寧に悪意を積み上げる膨大な労力があるなら、その無駄な情熱を家族愛とかガーデニングとか、趣味の刺繍とかに向けられなかったのか。

 いや無理か。

 あの継母にそんな健全な方向転換を期待してはいけない。


「クロエ」


 低く、落ち着いた心地よい声がして、私ははっ! と振り返った。


 そこには、すでに会議用の黒を基調とした正装へ身を包んだレオン様が立っていた。


 ――無理。


 いや、語彙が一瞬で死滅するの、本当にやめてほしい。

 白銀の髪はいつも以上に美しく整えられ、軍服にも似たカチッとした正装は、極限まで鍛え上げられた体躯と、氷のように冷ややかな美貌をこれでもかと際立たせている。

 18歳になったレオン様は、もう“成長した美少年”などという生易しいカテゴリでは収まらない。

 冷たく、美しく、強く、そして圧倒的だ。

 まさに若き冷酷公爵令息。

 そこにただ存在しているだけで場の空気を支配する、権力者の完成形である。


 しかも、その凍てつく蒼い瞳が私を捉えた瞬間『だけ』、劇的に甘く温度が変わるのだから質が悪い。


「……どうしました」

「いえ、その……」

 私は限界オタクの悲鳴をこらえるように口元を押さえた。

「本日も、たいへんお顔が国宝級によろしいなと」

「……」

「失礼しました。つい本音が」

「いえ、別に失礼ではありません」

 さらりと言って、レオン様は私のそばまで音もなく歩いてくる。


 近い。

 近いんですよね毎回。

 なんでそんな「自分のテリトリーです」みたいな当然の顔で、私の至近距離へ寄ってくるんですか。今から家中の命運を懸けた大事な会議に向かう人の距離感ではないでしょう。


「緊張していますか」

「……少し」

「俺は、まったくしていません」

「でしょうね」

「ですが」

 彼はわずかに、甘く目を細めた。

「あなたの顔がこわばっているのは、少し気に入りません」

「気に入らないで済ませないでください。そういうのは普通“心配”と言うんです」

「では、ひどく心配しています」

 一秒の迷いもない即答だった。


 だめだ。

 そういう甘いセリフを、そういう顔面国宝の顔で、そういう低い声で至近距離から返してくるから心臓に悪いのだ。

 私は今、断罪イベント前の極度の緊張と、推しの色気による破壊力への耐久試験を同時にやらされている。過酷すぎる。労働環境の改善を求めたい。


 私は軽く咳払いして、どうにか本題へ意識を戻した。


「大丈夫です。証拠は完璧に揃っていますし、提示する順番も頭に入っています」

「ええ」

「向こうが偽造文書を先に出してきた場合の切り返しも考えました」

「さすがです」

「あと、公爵がその場で父親の権限で話を握り潰そうとした場合への誘導も」

「完璧ですね」

「ありがとうございます」

 私はふんす、と胸を張った。

「今日の私はたぶん、歴史に名を残すレベルのかなり頼れるモブメイドです」

「モブではありません」

 ぴたり、と。

 甘さを一切消した、静かな声だった。

 でもその一言だけで、私の背筋がわずかに熱くなる。


 レオン様は真っ直ぐ、私の瞳の奥を射抜くように見ていた。


「最初から、一度も」

「……」

「あなたは、俺のたった一つの世界の中心です」


 呼吸が止まりそうになった。


 待ってください。

 それは朝一番から摂取していい熱量ではない。

 しかも本人、最近こういう激重なことを平然と日常会話に混ぜてくる。

 以前ならもう少し「頼りにしています」程度の遠回しな表現だった。

 なのに近頃は、静かな顔で、まっすぐ愛の告白みたいな核心だけを投げてくる。怖い。とても怖い。主に私の心臓が爆発しそうな意味で。


 だが、今ここで私が萌えに崩れている場合ではない。

 今日は決戦の日なのだ。


 私はなんとか、頼れるメイドの笑みを作った。


「……その中心が本日、あなたを勝利に導く決定的な証拠を、確実にお届けいたしますので」

「ええ。期待しています」

「お任せください」

「はい」

「なので、レオン様は最後まで、誰よりも堂々と」

「もちろんです」


 その返事は、静かで、王者のように絶対的だった。


 ああ。

 大丈夫だ。

 この人は、もうあの暗い地下室の夜みたいに、一人で怯えて震えるだけの子ではない。

 今日ここへ立つのは、自分を貶めるために悪意で用意された舞台さえ、実力と証拠で完璧にひっくり返せる人だ。

 私はそれを、ちゃんと知っている。


 だったら私の役目はただひとつ。


 この人が最も美しく、最も圧倒的に勝てるよう、裏方の舞台を整えることだ。


 ◇ ◇ ◇


 親族会議の間は、息が詰まるような重苦しい空気に満ちていた。


 磨き込まれた長机。

 壁にかかったエルグラン公爵家の重厚な紋章。

 窓から差し込む冬の光すら、今日はどこか冷たく、よそよそしく見える。


 席には、公爵家の権力層である親族たちがずらりと並んでいた。

 父方の伯父、従兄、分家筋の年長者たち。

 誰もが表向きは厳粛な顔を作っているが、その目の奥にはゲスな好奇心と打算が透けて見える。

 要するに、面白い見世物が見たいのだ。

 誰が失脚して落ちて、誰が残るのか。

 その決定的な瞬間に、自分がどう立ち回れば一番甘い汁を吸えるか見定めたいだけ。


 そして、主役気取りで座っている継母。

 その隣には、傲慢にふんぞり返る異母弟エドガー。

 二人とも今日は、気味が悪いほどひどく上機嫌だった。


 そりゃそうだ。

 彼女たちにとっては、今日が“邪魔なレオン失脚の総仕上げ”になる予定だったのだから。


 公爵が、咳払いをして重々しく口を開く。


「では、集まったな。始める」

 低い声が会議の間へ落ちる。


 私はレオン様の斜め後ろ、壁際で控えながら、静かに呼吸を整えた。

 大丈夫。

 順番通り。

 焦らない。

 相手が先に動くなら、ボロを出すまでそれを見てからでいい。


 継母が、待っていましたとばかりに、扇子を口元に当てて口火を切る。


「親族の皆様、本日は皆様に、誠に心苦しいご報告がございますの」

 うわ、出た。

 その“私は家を思う被害者です”みたいな同情を引くための声音。

 嫌い。

 すごく嫌い。

 長年ゲームや現実で聞かされてきたけれど、何度聞いてもこの人の三文芝居がかった悲痛さには吐き気がする。

 いや、慣れてはいけないのかもしれない。慣れたら人として心が死ぬ。


 継母は絹のハンカチを大げさに目元へ当て、いかにも嘆かわしげに続ける。


「実は近頃、家中の金の流れに不審な点がいくつもあり、さらに……あろうことかレオンが、隣国と通じている可能性のある決定的な書簡まで見つかりましたの」

 ざわり、と場が大きく揺れた。


 私は内心で、満面の笑みで拍手した。


 はい、予定通りです!

 実にわかりやすい前振り!

 ありがとうございます、継母様。こちらがカードを切るための導線を、こんなにきれいに並べてくださって。


 エドガーが、ここぞとばかりに勝ち誇ったように口を開く。


「兄上は最近、急に妙な力を持ち始めたでしょう? ずっとおかしいと思っていたんだ。きっと裏で、よくない連中と手を組んで――」

「エドガー」


 低く、よく通る、氷のような声が割り込んだ。


 レオン様だった。


 静かだった。

 けれど、その一言だけで、ざわついていた場が水を打ったようにぴんっ! と張りつめる。


 白銀の髪を揺らし、彼はゆっくりと顔を上げる。

 その蒼い瞳には、動揺も怯えも一切なかった。

 あるのは、眼下の虫を見下ろすような、冷えきった静けさだけ。


 ああ。

 好きです。

 いや違う、今は違う。

 限界オタクの感想を抱くタイミングではない。

 でも最高に好きです。

 こんな絶体絶命の修羅場でさえ“圧倒的に顔が良くてかっこいい”が先に来るあたり、私のオタク心はかなり末期である。


「その中身のない話を続ける前に」

 レオン様は、淡々と、残酷なほど冷静に告げた。

「ひとつだけ、確認してもよろしいですか」

 公爵が不快そうに眉を寄せる。

「……何だ」

「その書簡は、どこから見つかったことになっているのでしょう」

「お前の私室の近くからだ!」

 継母が、間髪入れずにヒステリックに言い放つ。

「私が偶然、あなたを案じて様子を見に行った際、棚の奥の不自然な場所から見つけましたのよ!」

「なるほど」

 レオン様は、ふっ、と冷たく頷いた。

「では、話が早い」


 その一言で、私は抱えていた箱を強く持ち直した。


 来た。

 反撃の狼煙。

 ここからだ。


 レオン様が、壁際の私へ視線を向ける。

 たった一瞬だったが、それだけで十分だった。

『やれ』という合図だ。


 私は一歩、堂々と前へ出た。


「失礼いたします」

 場の視線が、一斉にモブメイドであるこちらへ集まる。

 うわ、権力者たちの圧で緊張する。

 でもやる。

 ここでやらなきゃ、いつ推しの未来を守るというのだ。


 私は長机の中央に、重々しい証拠箱をドンッ! と置いた。


「先ほど奥様が“偶然発見された”とおっしゃった書簡ですが」

 継母の表情が、わずかに固まる。


「まったく同じ場所から、これだけのものも一緒に見つかっております」

 私は箱を開けた。


 整然と、美しく並んだ裏帳簿。

 書簡。

 封書。

 記録。

 一枚一枚が、いやにきれいで見やすい。

 我ながら惚れ惚れする。

 証拠品というのは、やはり誰の目にも見やすく完璧に整理されてこそ価値があるのだ。


「なっ……!?」

 継母の喉が、ひきつるような音を立てた。


 私は淡々と、事務的に続ける。


「まずはこちら。レオン様が隣国と通じているように見せかけるための、悪質な偽造文書です」

 そう言って、お掃除魔法でゴミ箱行きになりかけた数枚を机へ置く。


「筆跡の不自然さ、封蝋の意図的なずれ、紙質の明らかな差異。いずれも鑑定に出せば一目瞭然です」

「ば、馬鹿な……」

「次に、こちら」

 私は別の分厚い束を取り上げた。

「隣国系商会を経由した不明な裏金の流れ。名義と日付、そして帳簿の数字が、一桁の狂いもなく見事に一致しています」

「……っ!」

「さらにこちらは、公爵家内部の莫大な資金流用に関する記録。公爵夫人付きの側近使用人の名と、第三倉庫の出入り記録が完全に合致しております」

 ざわめきが、先ほどとは比べ物にならないほど大きくなる。


 分家の年長者が、信じられないものを見るように身を乗り出した。


「……それを、どこで?」

 私はにっこりと、最高の営業スマイルで微笑んだ。

「お部屋の整理整頓の過程で、まとめて発掘いたしました」

 場が一瞬、しんっ……となった。


 うん。

 わかる。

 意味わからないよね。

 でも本当なんです。整理整頓魔法のオート発掘機能なんです。


 公爵が、ギリッと歯を食いしばり低く唸るように言う。

「ふざけるな、たかがメイドが。そんな曖昧な話で――」

「曖昧ではありません」

 レオン様が、ぴしゃり! と父親の言葉を冷酷に遮った。


 その声の威力に、私は胸の内で小さくガッツポーズをした。

 よし。

 いい。

 圧倒的に堂々としている。


 レオン様は一枚の決定的書簡を取り上げ、机の上へバンッ! と広げた。


「こちらには、俺を排除した後の公爵位継承について、隣国と結んだ具体的な密約の文言があります」

「……!!」

「さらに、この帳簿では、奥方の私的指示で動いた裏金の流れが克明に示されている」

「で、でたらめよ!!」

 継母が、ついに甲高い悲鳴のような声を上げた。

「そんなもの、あなたたちがあとから用意した捏造に決まって――!」

「では」

 私はやわらかく、トドメを刺すように言った。

「こちらの封蝋印と、奥様専用の文机の奥に隠して保管されていた印章を、今ここで照合なさいますか?」


 継母の顔から、さぁぁっ……とすべての血の気が引いた。


 その瞬間、勝った、と確信した。


 伯父の一人が、険しい顔で継母を睨みつける。

「……文机?」

「ええ。証拠品の一部に付着していた香油も、完全に一致しております」

 私は逃げ道を塞ぐように追い打ちをかける。

「奥様が日頃からご愛用なさっている、特注の香油と同じ系統ですね」

「な、何を根拠に、そんなデタラメを――」

「わかりますよ」

 私はにこやかに答えた。

「匂いや汚れというのは、家事をしていればかなり残るものですので」


 家事魔法なめるな。

 匂い移りも、紙質も、保存状態の違和感も、私はかなり細かく分析できるのだ。

 推しの安全管理を長年やっている『防衛特化型オタク女』の情報精度を、甘く見ないでいただきたい。


 エドガーが、青ざめた顔でガタッ! と立ち上がった。


「ち、違う! 母上はそんなことしない!」

「では」

 レオン様が、静かに、氷の視線で彼を見る。

「この裏帳簿に出てくる、君の教育係の署名はどう説明する」

 エドガーが「ひっ」と息を呑み、言葉に詰まる。


「それとも」

 レオン様の声は、絶対零度だった。

「君は、本当に何も知らなかったのか?」

「……っ」


 その一言が、鋭い刃みたいに刺さる。


 エドガーは口をぱくぱくさせたまま、反論すらできない。

 ああ。

 そうだろうね。

 たぶん全部の計画までは知らなかったのだろう。

 でも、自分への都合のいい甘やかしの裏で、継母が何をしてきたか、薄々気づいていなかったわけでもない。

 そういう怯えた顔だ。


 私は内心で、静かに息を吐いた。


 これが現実だ。

 理不尽な悪意に守られてきただけの側は、真実(刃)を突きつけられるとこんなにも脆い。


 ◇ ◇ ◇


 会議の空気は、もはや完全にひっくり返っていた。


 先ほどまで“無能なレオンを糾弾する空気”だったはずが、今は“継母が国家反逆レベルでどこまで関与していたのか”を血眼で探る修羅場へ変わっている。

 親族たちの視線も、露骨に違った。

 好奇心と打算が、今度は『罪人である継母』へ向かっている。

 薄情?

 いや、名門貴族の親族会議なんてこういうものだろう。

 勝ち馬に乗りたい連中は、空気が変わった瞬間に平気で態度を180度変える。


 だが、今日はそれでいい。

 こちらに都合がいいなら何でもいい。

 私は、推しが理不尽に潰されず、最高の結果を得られれば、それでよいのだ。


 公爵が、顔色を青白く変えたまま書類をめくっていた。

 そして一枚一枚見るたびに、その表情は険しく、醜く歪んでいく。


「……これは、本物か」

 誰にともなく漏れた、震える声。


 分家の年長者が重々しく答える。

「少なくとも、帳簿の数字と倉庫記録は一致しているな。誤魔化しはきかん」

「この筆跡も、夫人付きの筆記係のものに見えるぞ」

「隣国への機密情報の横流しまであるのか……!」


 継母がガタッ! と立ち上がる。

 椅子がぎいっ! と嫌な音を立てて倒れた。


「違うわ! 全部、罠よ! レオンが、あの忌々しい子が、私を陥れるために――」

「奥様」

 私は静かに口を挟んだ。

「その“罠”を仕掛けるために、なぜご自身の裏帳簿と密書を、ご自身の管理下にある『厳重な隠し棚』へ保管なさっていたのです?」

「……っ!」

「しかも、粗悪な偽造文書だけは、レオン様の私室近くへわざわざ移動させた形跡があります」

 私は一枚を持ち上げた。

「不自然ですよね」

「……」

「本物だけは隠し、偽物だけを見つけやすい場所に置くなんて」

「……」

「まるで最初から、“レオン様を嵌めるため”に周到に用意していたみたいです」


 完全なる沈黙が落ちる。


 継母の真っ赤な唇が、わなわなと痙攣するように震えていた。


 その横で、レオン様は一歩も動かない。

 感情に任せて怒鳴ることもなく、ただ静かに、確実に、冷酷に逃げ道を塞いでいく。


 ああ。

 強い。

 本当に強い。


 昔だったら、きっとこの場自体が彼の心に深い傷を作っていた。

 皆の前で理不尽に疑われ、冷たい視線を浴び、言葉を奪われるだけだったかもしれない。


 でも今は違う。

 今の彼は、自分の言葉と、圧倒的な証拠と、積み上げてきた実力への信頼で立っている。


 胸が熱くなる。

 感無量だ。

 推しの完璧な逆転劇、あまりにもオタクの精神への栄養価が高い。

 できることなら今すぐ「さっすが私の推し! 完全勝利!」と手作りのうちわを激しく振りたい。

 でもさすがにこの場では無理である。自重しろ、私の理性。


 その時、伯父のひとりが低く言った。


「……加えて、あの霊薬畑の件もある」

 場の視線が、一斉にそちらへ向く。


 私はぴくりと眉を上げた。

 来たな。


「北西の呪われた沼地を整えた結果、あれほどの価値ある土地に変えたのは、事実レオンだ」

「……」

「しかも近頃の北側領地の整備、収穫の増加、財務の見直しにも彼の案が入っていると聞く。現に利益が出ている」

「……」

「それほどの多大な功績を挙げている有能な者へ、ここまであからさまな濡れ衣を着せようとは。正気の沙汰ではない」


 継母が、ぎょっと目を見開いた。


 そうだ。

 それもある。

 この数年で、レオン様はもう“いなくなってもいい無能な子”ではなくなった。

 公爵家にとって、莫大な利益を生む『手放せない絶対的な実力者』になってしまっているのだ。


 しかも、その利益の大きな一角に、あの霊薬畑がある。


 私はそこで、そっと口を開いた。


「少々、補足してもよろしいでしょうか」

「……何だ」

 公爵が険しい顔で言う。


「北西の霊薬畑は、先月の段階で試算しただけでも、通常の領地収入を大きく上回る莫大な利益を見込めます」

 ざわめきが、また走る。

「何だと?」

「しかも今後、安定供給と保全管理が整えば、国家予算規模の価値へ育つ可能性がございます」

「こ、国家予算、だと……!?」


 継母の顔が、目に見えて醜く歪んだ。


 そうだろう。

 悔しいだろう。

 自分が嫌がらせで押しつけた死の土地が、結果的にレオン様の絶対的な評価と財産価値を跳ね上げる材料になっているのだから。


 私は淡々と、宣告するように続けた。


「その土地を立て直し、領地の運営を改善し、さらに公爵家を揺るがす不正の証拠まで突き止めた方を」

 わざと、少し間を置く。


「本当に、今日ここで断罪なさるおつもりだったのでしょうか?」


 その一言が、冷たく場へ落ちた。


 沈黙。

 重く、痛いほどの沈黙。


 そして次の瞬間、空気は完全に決した。


 ◇ ◇ ◇


「……夫人」


 伯父のひとりが、吐き捨てるように低く言った。

「もはや言い逃れはできまい」

「私は……!」

「黙れ!!」

 今度は、公爵の激怒の声だった。


 継母がビクッ! と凍りつく。


 公爵の顔は、怒りと羞恥でひどく醜く歪んでいた。

 まあそうだろう。

 家中の特大の不正を見抜けず、あまつさえ親族会議の場でここまで無様に恥を晒したのだから。


 でも、私の同情はゼロである。

 もっと早く息子を見ろ。

 もっと早く家中を正せ。

 今さら顔色を変えて怒鳴ったところで、これまでの加害の不作為は消えないのだ。


 エドガーは完全に青ざめていた。

 椅子に座ったまま、小刻みに震えている。

 さっきまでの傲慢に勝ち誇った顔はどこにもない。


 そしてレオン様は――ただ、静かだった。


 勝ち誇るでもなく、怒鳴るでもなく。

 ただ淡々と、すべてが終わるのを見届けている。


 その横顔が、どうしようもなく美しくて、ほんの少しだけ痛々しかった。


 ああ。

 本当に。

 この子はずっと、こういう場所で戦わされてきたのだ。

 生まれた家の中で。

 家族という顔をした敵に囲まれて。


 それでも今、自分の足で立っている。

 堂々と。

 誰よりも美しく。


 私は胸の奥が熱く、でも少しだけ苦しくなるのを感じた。


 公爵が命じる。

「夫人と、その関係者をすべて地下牢へ拘束しろ!」

 継母が悲鳴じみた声を上げた。

「あなた、待って! 私は家のために――」

「家を食い物にしたのはお前だ!」

「違う、違うわ! 全部あの子が、レオンがいるから!」

「母上!」

 エドガーが裏返った声を上げる。


 ……ああ。

 終わりだ。


 完全に終わりである。

 最後の最後で、言ってはいけない本音が出た。

 “レオンがいるから”。

 つまり、自分の息子を当主にしたいがために、レオン様を邪魔者として排除してきたことを、全員の前で半ば自白したも同然だ。


 私は心の中で静かに合掌した。


 さようなら。

 あなた方の無残なざまぁフェーズ、ここからですよ。


 衛兵が入ってくる。

 継母が取り乱し、エドガーが泣きそうな顔で母へすがろうとする。


 その時だった。


「エドガー」


 レオン様が、静かに呼んだ。


 場がまた静まる。


 エドガーがびくりと肩を震わせて振り向く。

 顔面蒼白。

 恐怖で涙まで浮いている。


 レオン様は、ほんのわずかに目を細めた。

 笑ってはいない。

 だが、その静かな眼差しには、底冷えするような圧倒的な冷たさがあった。


「俺は、何度もすべてを奪われてきた」

「……っ」

「お前はそれを見て、いつも笑っていたな」

「ち、違……」

「今さら違うと言うのか」

「ぼ、僕は……っ」


 言えない。

 何も言えない。


 だろうね。

 だって、全部見てきたのに止めなかったのだから。

 直接手を汚す側でなくても、笑って見ていた時点で無関係ではいられない。


 レオン様は、それ以上何も責めなかった。

 ただ一言、淡々と、最後通告のように告げる。


「今日は、それを身をもって知れ」


 その静けさが、逆に痛かった。


 ああ。

 これはたぶん、大声の罵倒よりずっと効く。

 自分がどれほど浅ましくて、どれほど何も持っていなかったか。

 生ぬるい優位に甘えていただけの無能だったのだと、骨の髄まで思い知らされる一言だ。


 エドガーがしゃくり上げるような息を漏らした。

 継母も、もう何も言えなかった。


 衛兵に連れられ、無様に二人が去っていく。


 扉が閉まる。

 ようやく、会議の間へ完全な静寂が戻った。


 ◇ ◇ ◇


 その後のことは、ある意味あっけなかった。


 親族たちは手のひらを返したように、レオン様の功績を絶賛し評価し始めた。

 不正の再調査。

 継母派使用人の一斉洗い出しと追放。

 北側領地と霊薬畑の管理権の完全移行。

 公爵家内部の権限再編。


 つまり、家の実権が一気にレオン様側へ傾いた。


 当然である。

 ここまで明確に勝敗がついたら、もう誰も逆らえない。

 むしろ逆らう理由がない。

 この家で最も実力があり、もっとも利益をもたらし、そして今日もっとも見事に敵を排除したのは、どう見ても彼なのだから。


 会議が終わり、人が引いていく中。

 私は証拠箱を抱えたまま、ようやく小さく息を吐いた。


 終わった。

 本当に、終わったのだ。


 もちろん、これで全部が片づいたわけではない。

 まだ後処理もある。

 公爵本人の処遇や、継母派の残党の処理、王都への報告など、考えるべきことは山ほどある。


 でも。

 少なくとも今日。

 この場で。

 この人は、理不尽に断罪される側ではなかった。


 ついに、運命をひっくり返した。


 そう思った瞬間、胸の奥が感動でいっぱいになる。


 よかった。

 本当によかった。

 あの暗く冷たい地下室で震えていた夜から、ここまで来た。

 何度も何度も、悪意を片づけて、守って、支えて、バフをかけて積み上げてきた。

 その先に、ちゃんとこの勝利の日があった。


「クロエ」


 甘く呼ばれて顔を上げる。

 人払いされた会議の間に、レオン様だけが残っていた。


 私は思わず、心底嬉しそうに笑った。


「お疲れさまでした。完全勝利ですね」

「あなたも」

「いえ、私は少し証拠を整理しただけですので」

「少し?」

 彼はわずかに眉を上げた。

「公爵家の長年の膿を一気に暴いておいて?」

「整理整頓の範疇です」

「あなたの家事魔法は、やはり概念が広すぎる」

「最近私もそう思います」


 ふっ、と。

 レオン様がやさしく笑う。

 それはさっき会議中に見せた冷たい顔ではなく、私だけに向けるやわらかな、熱を帯びた笑みだった。


 だめだ。

 そういうの。

 勝利後の推しのご褒美笑顔、破壊力が高すぎる。

 こっちは感動で泣きそうなのに、さらに追撃でときめかせに来るのは反則です。


「クロエ」

「はい」

「今日は、あなたがいなければ絶対に勝てなかった」

「そんなことは」

「あります」

 静かに、でもきっぱり言い切る。

「証拠を見つけたのも、整えたのも、流れを作ったのもあなたです」

「……」

「俺は、あなたに何度救われれば気が済むんでしょうね」


 その一言に、私は一瞬言葉を失った。


 違う。

 私はただ、助けたかっただけだ。

 幸せになってほしかっただけ。

 推しが笑って生きていける世界を作りたかっただけ。


 でも、レオン様にとってそれは、やっぱり“絶対的な救い”なのだ。


 私は胸の奥がじわりと熱くなるのを感じながら、そっと笑った。


「でしたら、その分たくさん幸せになってください」

「……」

「それで帳消しです」

「ずいぶん安いですね」

「安くありませんよ。推しの幸福は、私にとって何より最上級の報酬ですので」

「……また、よくわからないことを」

「でも本心です」


 レオン様はしばらく私を見つめていた。

 その視線の熱に、私は少しだけ落ち着かなくなる。


 ああ、まただ。

 最近この人、こうしてじっと見る時の温度が明らかに重い。

 大型犬の懐きとか、そういう一言で済ませるには、ちょっと視線が深すぎるのだ。

 でも認めない。

 私はまだ認めませんよ。


 その時、彼が一歩近づいた。


「クロエ」

「は、はい」

「今日は褒めてくれないんですか」

「……え?」

「いつもみたいに」


 私はしばし固まった。


 えっ、そこ?

 そこなんですか?

 いや、でも確かに今日は、あまりにも大事な局面すぎて、いつもの“さすが私の推し!”を言うタイミングがなかった気がする。

 ないけど。

 ないけれども。

 こんな真面目な空気で“褒めてほしい”って顔をされると、情緒が混線するんですが。


 私はごほんと咳払いした。


「……その」

「はい」

「本日も、とてもお見事でした」

「ええ」

「堂々としていらして、冷静で、言葉も正確で。敵を追い詰める姿は完璧でした」

「……」

「誰よりも、かっこよかったです」


 言ってしまった。


 でも本音だ。

 どうしようもなく本音だ。

 今日の彼は、本当に美しくて、強くて、気高かった。


 レオン様は、ゆっくりと目を細める。

 嬉しそうに。

 最高に満ち足りたみたいに。


「……それで十分です」

 低く落ちる声が、妙に甘い。


 私は思わず視線を逸らした。

 だめだ。

 勝った直後の推し、機嫌が良すぎると私の耐久力がもたない。


 ◇ ◇ ◇


 その夜、自室へ戻ってからも、私はしばらく落ち着かなかった。


 会議の流れを何度も思い返す。

 継母の崩れた顔。

 エドガーの青ざめた表情。

 親族たちの手のひら返し。

 そして、静かにすべてを制したレオン様の姿。


「はあ……」


 ため息が漏れる。

 深いため息だった。

 でも、重苦しいものではなく、ようやく張りつめていたものがほどけたような吐息だ。


 やった。

 本当にやったのだ。


 この先さらに処分が確定し、もっと大きく情勢は動くだろう。

 でも今日だけは、素直に喜んでいい。


 だって、推しが勝った。

 真正面から。

 誰の理不尽にも折れずに。


 私はベッドへ腰を下ろし、そっと胸元を押さえた。


 嬉しい。

 あまりにも嬉しい。

 泣きたいくらいに。


 前世では、画面の向こうの彼を見て、何度も何度も歯噛みした。

 どうして救えないのか。

 どうしてこの子だけこんな目に遭うのかと、理不尽さに泣いた。


 でも今は違う。

 私はこの世界にいて、手を伸ばせて、片づけて、守って、そして一緒に勝てた。


 それだけで、もう。

 この人生をやり直した意味があったと思える。


 ――そして今日の親族会議を境に。

 継母と異母弟は、もはや公爵家の中で“守られる側”ではいられなくなる。

 彼らの失墜は決定的となり、レオン様はついに、若き当主候補として真正面から家中へ認識されることになる。


 同時に、彼の中では。

 “クロエがいれば、どんな理不尽も覆せる”

 という確信が、さらに深く根を下ろしていく。


 救い。

 勝利。

 信頼。

 そして、そのどれとも少し違う、もっと重くて甘い『執着』。


 その熱がどれほどのものになっているのか――

 この時の私は、まだそこまで正確には理解していなかった。


 いや、なんとなくは感じていたんですよ?

 感じてはいたんですが。


 でも正直、今日の私はそれどころではなかったのだ。


 だって仕方ないでしょう。


「推しが裁判(断罪)イベントで完全勝利した」


 そんなもの、限界オタクにとっては一生モノの神回なのだから!



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