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第11話 【整理整頓魔法】が暴く国家反逆の証拠

 世の中には、どうやら『整理してはいけないもの』というタブーが存在するらしい。


 いや、そんなことはない。

 断じてないのだが。

 少なくとも私の前世の一般市民的な価値観では、“散らかったものを綺麗に片づける”という行為は、全宇宙において絶対的な『善』である。

 机は広いほうが作業効率が上がるし、書類はジャンル別に分類されていたほうが探しやすいし、いらない悪意のゴミはゴミ箱へ直行すべきだ。

 当たり前である。

 文明の利器である。

 人類の歴史は、整理整頓によってだいぶ救われてきたはずだ。


 なのに。


「……どうしてこう、毎回毎回、私の無自覚な家事魔法は『世の権力者に都合の悪い致命的な真実』ばかりピンポイントで引っこ抜いてくるんでしょうね?」


 私は乾いた声でそう呟きながら、目の前の机にうずたかく積み上がった“それ”を見下ろした。


 膨大な紙束。

 厳重な封蝋付きの怪しい書簡。

 裏の数字が書かれた二重帳簿。

 出所不明の領収書。

 妙に生々しい裏金の流れが克明に記された記録。

 そしてどう見ても、まっとうな公爵夫人が持っていていい代物ではない、隣国との国家的な密通を匂わせる通信文まで。


 はい。

 大変よくできました。

 見事に、特大のSSRスーパースペシャルレア大当たりです。


 いや待って。

 ほんとに待って。

 私はただ、愛する推しであるレオン様のお部屋を、ちょっと快適に『お掃除(物理)』したかっただけなんですが!?


 ◇ ◇ ◇


 事の発端は、実にささやかで平和な日常の一コマだった。


「クロエ」

「はい、レオン様」

「このあたりの書類、少し増えすぎました。整理を頼めますか」


 レオン様は、窓辺に近い執務机へ視線を落としながら、そう静かに言った。


 十年前、あの冷たい地下室で怯えて震えていた八歳の男の子は、今や18歳。

 白銀の髪は夜の灯りを受けてなお冷ややかに輝き、無駄を削ぎ落とした彫刻のように整いすぎた横顔は、相変わらず人の情緒へすこぶる悪い。

 本当に悪い。

 毎日間近で見ているのに、たまにふとした角度の破壊力で「えっ、顔が良すぎる……死ぬ」となるから困る。

 慣れない。

 こんな顔面国宝、一生慣れるわけがない。


 しかも最近は、領地運営や家中の実務にも深く関わるようになったせいで、彼自身の能力に比例して部屋の机まわりに書類が増えた。

 彼自身はかなり几帳面で優秀だ。

 だが、外部から持ち込まれる資料や報告書、古い台帳、確認待ちの文書が物理的に積み上がると、さすがに一人では整理しきれない時もある。


 そこで当然のように出動するのが、専属有能メイドである私である。


「お任せください」

 私はふんす、と胸を張った。

「整理整頓は、家事の中でもかなり上位に入る『精神の安定をもたらす文明の利器』です」

「……たまにクロエの言うことは、意味がわかりませんね」

「意味はわからなくても、お部屋は完璧に片づくので大丈夫です」

「それは、たしかに」


 レオン様はわずかに、目元をやわらげた。


 あっ。

 今、ちょっと笑った。

 危ない。

 そういう、外の人間には滅多に見せない氷が溶けるようなごく薄い微笑みを、私の前で『だけ』無防備に見せるの、本当に心臓に悪いんですが?

 しかも本人、たぶん無意識の部分と「こうすればクロエが喜ぶ」とわかってやってる部分が半々くらいある。ずるい。成長した推し、あまりにも手に負えない。


 私は内心で胸を押さえて爆発しそうな萌えをこらえつつ、机まわりへ視線を走らせた。


 広い執務机。

 整然と並ぶ高価な筆記具。

 分類途中の未決書類の束。

 棚に差し込まれたファイル。

 その中に紛れて、いくつか“妙に収まりの悪いもの”があった。


 違和感、と言えばいいのだろうか。


 たとえば本棚の奥の隙間。

 たとえば引き出しの裏側の不自然な厚み。

 たとえば、一見きちんと収まっているのに、そこだけ空気の質がわずかに濁って見える箇所。


 私は目を細めた。


 ああ。

 これは、あるな。

『ある』やつだ。


 最近の私は、だいぶ自分の魔法のこのチート感覚に慣れてきてしまった。

 汚れ。

 悪意。

 意図的に隠されているもの。

 しまうべき場所ではないところへ、無理やり押し込まれた都合の悪い“何か”。


 私の【整理整頓魔法】は、たぶんそういう不自然なエラーを見逃さない。


 ……怖い。

 本当に怖い。

 ただの平和な家事のはずなのに、いつの間にか“この世の不自然な悪意を正しい場所へ強制的に戻す”みたいな、神の領域の哲学を獲得している。

 なにそれ。

 家事の概念が広すぎて宇宙規模に達している。


 だが、やるしかない。


 私は深く息を吸い込んだ。


 散らかったものを整える。

 必要なものを正しく分類する。

 不要なものを捨てる。

 あるべき場所へ、あるべき形で綺麗に収める。


 ただ、それだけ。

 うん。

 ただの平和な整理整頓。

 たぶん。

 今回こそは穏便に、ただ部屋が片づくだけで済むかもしれない。


「では、始めますね」

「ええ。お願いします」


 レオン様が静かに頷く。


 私は両手をそっと机へかざし、意識を集中した。


「【整理整頓】!!」


 次の瞬間。


 ふわり、と。

 淡い銀色の光が、室内へやわらかく広がった。


 紙が、さらさらと音を立てる。

 本棚の本がわずかに震える。

 引き出しの中身が、見えない緻密な手に触れられたみたいに一瞬で整い始める。


 おお。

 今回の出だしはかなり平和だ。

 いいぞ。

 実に家事っぽい。

 書類は案件ごとに美しくまとまり、筆記具はミリ単位で整列し、散っていたメモはきれいに重なっていく。

 うんうん、素晴らしい。

 整理整頓のある暮らし、最高。

 人類はもっと収納技術の魔法的発展を称えるべきである。


 ……などと、私が一瞬だけ平和な日常に感動したのがいけなかった。


 かたん、と。

 本棚の一番奥で、何かが動く嫌な音がした。


 私はぴたりと固まる。


 次いで、机の左側の一番下の引き出しが、勝手にバンッ! と開いた。

 いや、正確には“強制的に開かされた”。

 見えない魔力に押し出されるようにして、引き出しの奥に隠されていた紙束が、ずるりと蛇のように這い出てくる。


「……あっ」


 特大の嫌な予感がした。


 同時に、壁際の飾り棚に据えられた高価な花瓶が、すっ、と横へずれた。

 その背後に巧妙に隠されていた薄い偽装板が、ぱたん、と落ちる。


 さらに、本棚の一角から偽装の底板が外れ、その内側にテープで隠されていた封筒の束が、ふわふわと空中へ浮かび上がった。


「……えっ」

「クロエ?」

「ちょ、ちょっと待ってください」


 遅い。

 私のチート魔法は待ってくれない。


【整理整頓魔法】は、完全に仕事モードの本気だった。


 隠し引き出し。

 二重底。

 偽装棚板。

 額縁の裏。

 ありとあらゆる“わざわざ悪意を持って隠されているもの”が、片っ端からオートで発掘され、しかも種類ごとに空中で自動分類されていく。


 その上で。


 明らかに不要物フェイクである偽造手紙の束が、ぽいっ! と部屋の隅に置かれたゴミ箱へ向かって一直線に飛んでいった。


「うわっ!?」

 思わず声が出た。


 飛んだ。

 今、手紙が飛んだ。

 めちゃくちゃ迷いなく、シュートを決めるみたいにゴミ箱に入った。


 一方で、別の書簡や裏帳簿は、机の上へふわりと優雅に着地する。

 しかもご丁寧に、項目別、日付順、関係者別みたいな感じで、完璧にファイリングされて分類済みである。


 有能か?


 いや、有能なんですけど。

 怖いんですよね、有能の方向性が。


 私は呆然としながら、まずゴミ箱の中を見た。

 そこへ入っていたのは、数枚の手紙。

 上質な紙。丁寧な筆跡。

 けれど、文章の構成がどこか不自然で、公爵家の印章もわずかに雑だった。


 レオン様も一歩近づき、それを見下ろす。


「……これは」

「偽造、ですね」

 私は乾いた声で言った。

「おそらく、“レオン様が隣国と内通している”ように見せかけるための捏造文書かと。これを部屋に隠して、後で摘発するつもりだったのでしょう」

「……」

「そして、こちらが」

 私は机の上へきれいに並んだ『ヤバい書類群』へ視線を移した。


「たぶん、あちらが隠していた『本物』です」


 ◇ ◇ ◇


 部屋の空気が、極寒に変わった。


 ついさっきまで、私はわりと気楽に“お部屋の片づけタイム”くらいのつもりでいたのだ。

 それが今や、“国家レベルの不正発覚・ガサ入れ現場”に立ち会っている。


 意味がわからない。

 いや、流れとしてはわかる。

 継母だ。

 またあの性悪な継母である。

 最近、レオン様の評価が上がりすぎていろいろ追い詰められているから、いつか何か大きな自爆手を打つだろうとは思っていた。

 でもそれが“反逆罪スレスレの決定的な証拠書類、整理整頓により一括発掘”だとは思わないじゃないですか。


 私は机の上の帳簿を、おそるおそる開いた。


 ……うん。

 真っ黒である。


 帳尻のまったく合わない金額。

 存在しないはずの莫大な支出項目。

 霊薬畑の正規の収益とは無関係なはずの、強引な資金流用。

 しかも、その金と情報の流れの先にある名義が、隣国系の怪しい商会や、密輸の仲介人ばかりだ。


 さらに書簡の束を開けば、もっとひどい。


『例の件、王都での混乱に乗じて』

『公爵家内部の調整が済み次第、あちらへ利を――』

『レオン排除後の継承については、予定通りエドガーを――』


 うわ。

 うわあ。

 これはもう、言い逃れの余地が1ミリもない。完全なるアウトだ。


「クロエ」

 低く呼ばれて、私ははっと顔を上げた。


 レオン様は、机の前に立ったまま書類を見下ろしていた。

 その表情は静かだ。

 静かすぎて逆に怖い。


 蒼い瞳の色が、すうっ、と絶対零度へ冷えていく。

 氷よりも冷たく、暗い何かが、静かに瞳の奥へ沈んでいく。


「……俺を排除した後の継承、ですか」

 その声音は平坦だった。

 けれど、奥にある激しい怒りは平坦ではない。


 私は喉の奥が、ひりつくのを感じた。


 ああ。

 この子はもう、昔みたいに“なぜ家族に嫌われるのか”と純粋に傷つくだけではない。

 今は、大人の悪意の醜い構造まで、すべて見えてしまう。

 見えてしまうからこそ、怒りも冷酷に、深くなる。


 私はそっと、手元の書類を閉じた。


「先に申し上げます」

「……何を」

「怒るのは当然です」

「……」

「でも、今ここで感情だけで動くのは、相手の思う壺です」


 レオン様は黙って私を見る。


 その視線が痛いくらいまっすぐで、私は一瞬だけ息を詰めた。

 たぶん今、彼の中にはいくつもの残酷な選択肢がある。

 暴露する。

 社会的に潰す。

 物理的に脅す。

 あるいは、もっと静かで徹底的で、二度と再起できない方法を取る。

 今の彼なら、そのどれも冷酷に実行できてしまいそうな怖さがあった。


 だからこそ、私はストッパーとして先に言わなければならない。


「これは、武器です」

 私は机上の書類へトン、と触れた。

「しかも、とても強い、必殺の武器です」

「……」

「剣で斬るより、ずっと深くえげつなく、相手の息の根を社会的に終わらせる類の」

「……ずいぶん物騒な言い方ですね」

「だって事実ですので」


 私は少しだけ、わざと口角を上げて笑った。

 少しでも、空気を凍らせすぎないために。


「せっかく向こうが自滅用の決定的な証拠を、こんなにきれいにファイリングして保管してくれていたんです」

「……」

「なら、いちばん効果的で劇的なタイミングで、いちばんきれいに顔面へ叩きつけて差し上げましょう」

「きれいに、ですか」

「ええ。私は整理整頓が得意なメイドですので」


 その言葉に、レオン様の張りつめていた目元が、ほんのわずかにやわらいだ。


 よかった。

 少し、温度が戻った。


 だが、その次に彼が言った言葉で、今度は私の心臓がひやりと冷たく跳ねた。


「もし、これが見つからなかったら」

「……」

「俺は、また何も知らないまま、無様に嵌められていたんでしょうね」

「……そう、かもしれません」

「クロエがいなければ」


 胸の奥が、ちくりと痛む。


 私は何も言えなかった。


 だってその通りだ。

 もし私がここにいなければ。

 もしこの部屋を片づけようと思わなければ。

 もし私の整理整頓魔法が、都合の悪い真実まで自動で分類しなければ。


 この子はまた、家族の悪意に囲まれたまま、何も知らずに断罪されていたかもしれない。


 そう思った瞬間、限界オタクとしての怒りが遅れて激しく込み上げてきた。


 どこまでやるのだ。

 どこまで、この子からすべてを奪うつもりなのだ。

 食事も、部屋も、評判も、命も、未来も。

 挙げ句の果てには、国家反逆の特大の濡れ衣まで着せようとしていたのか。


「……許せませんね」

 ぽつりと漏れた底冷えのする声に、自分でも驚いた。


 レオン様がこちらを見る。


 私は息を吸って、はっきりと言い切った。


「これはもう、完全にアウトです」

「……」

「家の内輪揉めでも、子供の兄弟喧嘩でもありません」

「ええ」

「公爵家の乗っ取り未遂で、国家への裏切りの気配まである特大案件です」

「……」

「ですので、遠慮なく徹底的に片づけ(ざまぁ)ましょう」

「クロエ」

「はい」

「今、少し楽しそうでしたよね」

「気のせいです」


 嘘である。

 少し楽しい。

 いや、楽しいというと語弊があるが、“ようやく向こうを完全に詰ませるだけの明確なカードが手に入った”という意味で、私の『限界オタク兼推し救済担当』としてのテンションは上がっていた。


 だってこれで、理不尽にただ耐えるだけのフェーズが完全に終わるのだ。

 ようやく全力で叩き返せる。

 正面から。

 堂々と。

 言い逃れのできない証拠つきで。


 そりゃ少しは気分も上がる。


 ◇ ◇ ◇


 その夜は、二人で徹夜で書類の確認をした。


 いや、正確には、私が「はい、これは横領」「これは偽造」「これは隣国との密通の疑い濃厚」とスピーディに分類し。

 レオン様が「なるほど」「終わっていますね」「想像以上に終わっていた」と淡々と事実確認していく作業だった。


 ひどい。

 本当にひどい。


 継母単独ではないだろう。

 エドガーの教育係の名も、側近の名も、いくつかの裏帳簿に出ている。

 公爵本人がどこまで関与していたかはまだ断定できないが、“知らなかった”では済まない程度には家中の金が派手に動いていた。


 しかも悪質なのは、これらの証拠の一部がわざわざレオン様の私室周辺へ偽装配置されていたことだ。

 発覚した時に、

「実はレオンが隠していた」

 と見せかけるための、実に丁寧で陰湿な仕込みである。


「趣味が悪すぎる」

 レオン様が、低く吐き捨てるように言った。


「ほんとうに」

 私はしみじみ頷いた。

「もっと健全な方向へ情熱を向けられなかったのでしょうか」

「たとえば?」

「庭づくりとか、趣味の刺繍とか」

「それで反逆の証拠を量産するよりは、よほど平和ですね」

「でしょう?」


 一瞬だけ、張りつめた空気がやわらぐ。


 だが、すぐにまた沈黙が戻った。

 重い沈黙ではあるが、前みたいな“ただ耐えるしかない無力な沈黙”ではない。

 今はもう、手の中に返すための『必殺の武器』がある。


 レオン様は最後の書簡へ目を通し、それを静かに机へ置いた。


「……親族会議が近いですね」

「はい」

「ちょうどいい」

 その声は、底冷えしていた。

 でも、以前みたいに怒りの感情へ呑まれてはいない。

 氷の下に、きちんと理性という芯がある。


 私は彼を見つめた。


 本当に強くなった。

 怒りを持っても、それをただ暴発させるのではなく、使うべき形へ冷酷に整えられるようになってきている。


 それが、嬉しかった。

 同時に、少しだけ怖くもあった。

 この子が強くなればなるほど、その冷たさは鋭い武器になる。

 だからこそ、私はいつだって、彼の中にあるやさしさやあたたかさまで一緒に守らなくてはならないのだ。


「クロエ」

「はい」

「あなたがいてよかった」


 不意に、そんな重いことを言われた。


 私は目を瞬いた。


 レオン様は、まっすぐこちらを見ていた。

 その瞳には、先ほどまでの冷気とは違う、熱を帯びた感情が宿っている。


「あなたがいなければ、俺はたぶん、今日この部屋で我を忘れて全部壊していました」

「……それは困りますね」

「ええ。だから、助かりました」

「それは、なによりです」


 私はそう答えながら、胸の奥がじんわり熱くなるのを感じていた。


 ああ。

 そうか。

 今のこの子にとって、私は“救いの原点”であるだけじゃない。

 怒りを使う方向まで、一緒に整える『ストッパー』の役目を持っているのだ。


 責任重大だ。

 でも、光栄でもある。


 私は少しだけ微笑んだ。


「でしたら、最後までお付き合いします」

「最後まで?」

「ええ。証拠の整理も、暴露の順番も、綺麗に整えて差し上げます」

「……本当に容赦がありませんね」

「整理整頓のプロですので」


 レオン様は、そこでようやく、小さく笑った。


 その笑みは冷酷公爵令息のものではなく、私だけが知っている、どこか甘くてやわらかなものだった。


 危ない。

 こんな緊迫した空気の中でも、ふいにそういう顔をするから困る。

 心臓がもたない。


 ◇ ◇ ◇


 書類をひとまとめにし、封印用の箱へ整理し終えた頃には、もう夜も更けていた。


 部屋の中は静かだ。

 結界の向こうで風が鳴っても、ここには届かない。

 机の上には、完璧にファイリングされた証拠の束。

 我ながら惚れ惚れする仕上がりである。

 証拠能力も高そうだし、並びも美しい。

 うん。

 仕事ができる。

 私の家事魔法、やっぱりチート級に仕事ができる。


「これで十分ですか?」

 私は箱へ手を添えながら尋ねた。


 レオン様は頷いた。

「ええ。十分以上です」

「では、あとは使うタイミングですね」

「親族会議で」

「はい。あの場が一番、効果的で劇的です」

「みんなの前で?」

「みんなの前で、です」

「……」

「向こうが人前であなたを貶めるつもりなら、こちらも人前で倍返しにするのが礼儀かと」

「礼儀」

「礼には礼を、無礼には動かぬ証拠を、です」


 レオン様が、ふっと息を漏らした。

 笑ったのだ。


「クロエ」

「はい?」

「やっぱり、あなたは面白い」

「今の流れでそれ言います?」

「ええ。こんな絶望的な状況でそういうことを言えるのは、たぶん世界であなただけです」

「褒め言葉として受け取っておきますね」

「そうしてください」


 少しだけ、沈んでいた空気が軽くなる。


 よかった。

 今夜見つかったのは、最悪の証拠だった。

 でも、その最悪を“こちらの勝ち筋”へ変えられたのなら、それはもう半分勝ったようなものだ。


 私は箱を抱え直した。


「では、こちらは私が責任をもって保管します」

「俺が持ちます」

「いえ、こういうのは整理担当の仕事です」

「危険です」

「北棟の私の部屋、かなり強固な結界を張ってありますよ?」

「……それでも」

「……」

「あなたが狙われる可能性が上がる」


 その一言に、私は一瞬だけ黙った。


 ああ。

 そうか。

 彼は今、書類そのものよりも、“それを持つ私”の危険を先に考えている。


 胸の奥があたたかく、少しだけ痛んだ。


 私はやわらかく笑う。


「大丈夫です」

「……」

「私、モブのくせに割としぶといので」

「知っています」

「それに」

 私は箱を軽く持ち上げてみせた。

「いざとなれば、このまま【鮮度保持庫】の異空間へ避難させます」

「国家反逆の証拠書類を、食材保管庫と同列に扱わないでください」

「でも絶対に安全ですよ?」

「それは否定できません」


 真顔で返されて、私は思わず吹き出した。


 レオン様も、ごくわずかに口元をやわらめる。


 その瞬間、私はふと思った。


 ああ。

 この先、どんなに彼が冷たく強くなっても。

 こうして私の前でだけ少し笑うのなら。

 少し肩の力を抜けるのなら。

 私はたぶん、何度でもこの子のそばで整えていける。


 怒りも。

 痛みも。

 証拠も。

 未来も。


 全部、きれいに並べ直して。

 この子が進みやすいように、片づけていける。


「クロエ」

「はい?」

「絶対に、離れないでください」

「……」

「今、この状況であなたまでいなくなられたら」

 彼はそこで言葉を切り、静かに息を吐いた。

「たぶん、俺は本当に、誰も容赦できなくなる」


 私は目を見開いた。


 声は静かだった。

 だが、その静けさの奥にあるものは、ひどく重く、暗く、そしてまっすぐだった。


 ああ。

 この子の中の執着は、やっぱりもう“少し懐いている”程度では済まないところまで来ている。


 嬉しい。

 でも、同時に、決して軽んじてはいけない熱でもある。


 私はゆっくり頷いた。


「離れません」

「……本当に?」

「はい。少なくとも、こんな面白……いえ、大事な局面で置いていくわけがないでしょう」

「今、少し何か不穏なことを言いかけましたね」

「気のせいです」


 レオン様は、少しだけ呆れたように、それでも甘く目を細めた。


「……そういうところです」

「どういうところですか」

「俺が、あなたを手放せなくなるところ」


 呼吸が止まりそうになった。


 だが、彼はそれ以上何も言わなかった。

 ただ、その視線だけが静かに、溺れるほど深かった。


 私は箱を抱えたまま、心の中で盛大にうろたえた。


 いや待って。

 いまのは。

 いまのはだいぶ。

 だいぶ危険な恋愛フラグ発言では!?


 でもダメだ。

 考えるな。

 今は断罪前夜である。

 感情の精査は後回し。

 後回しにさせてください、お願いです。私の心臓のために。


 ◇ ◇ ◇


 その夜、自室へ戻った私は、証拠箱を前に一人、深く息を吐いた。


「……すごいことになってきたなあ」


 国家反逆級の証拠。

 継母の自爆手。

 親族会議での逆転の目。

 そして、ますます重くなる最推しの視線。


 情報量が多い。

 多すぎる。

 でも、不思議と気持ちは折れていなかった。


 むしろ、燃えている。


 だってここまで来たのだ。

 地下室の夜から始まって、毒を抜き、部屋を浄化し、食を整え、剣を与え、師を呼び、理不尽に打ち返すだけの力を積み上げてきた。

 その先にある、大きな大きな山場ざまぁが、ようやく見えてきたのだ。


 だったら、やるしかない。


 親族会議で、全部ひっくり返す。

 継母も、異母弟も、公爵家に巣食う膿も。

 ひとつ残らず暴いて、片づけて、レオン様の前から取り除く。


 だって私は、整理整頓が得意なのだから。


 推しの人生に積もった理不尽なゴミなんて、全部まとめてゴミ箱行きである。


 そう思いながら、私は証拠箱へ手を置いた。

 箱の中には、きれいに整えられた真実が眠っている。


 ――そして、この“整理整頓魔法の暴走事件”をきっかけに。

 公爵家を揺るがす親族会議は、もはやただの内輪の話し合いでは済まない、血を見るような場へ変わっていく。

 継母が仕掛けた罠は、逆に彼女自身の首を締める縄となり。

 レオン様はついに、人前で堂々と反撃するための刃を手に入れる。


 一方で、彼の中では。

 “クロエがいなければまた奪われていた”

 という事実が、ますます重い意味を持ち始めていた。


 救われた。

 守られた。

 整えられた。

 だからもう、手放せない。


 その感情は、たぶん私が思っているより、ずっと深く彼の中に根を張っている。


 ……まあ、当の私はそのへんをまだ、

「最近の推し、距離感がやや重めの大型犬だな……?」

 くらいで処理していたわけですが。


 残念ながら、たぶんもう。

 大型犬というには少し危険すぎる段階へ、来てしまっていたのだと思う。



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