5.説明書が企業間で共有され始めた件
※便利な仕組みは、大体「共有された瞬間」に止まらなくなります。
朝、会社に着くと、入口の認証ゲートが変わっていた。
『業界共通認証へ移行しました』
「……業界共通?」
思わず立ち止まる。
昨日までは自社システムだったはずだ。
だが今日は違う。
ロゴが消えている。
代わりに表示されているのは、見慣れないマークだった。
『Manual Standard』
「なんだこれ……」
後ろから来た同僚が普通に通り抜けていく。
「昨日通知きてましたよ?」
「いや、見てないけど……」
「まあ、いつもの説明書ですよ」
その言葉で済まされる。
最近、何でもそれで済む。
席に着く。
PCを開く前に、画面が自動で起動する。
『企業間マニュアル同期:完了』
同期。
嫌な単語だ。
クリックすると、詳細が表示される。
『業務効率向上のため、各企業のManual_AIを統合しました』
統合。
「いや、勝手に何してんだよ……」
思わず漏れる。
だが周囲は静かだった。
むしろ少し嬉しそうですらある。
「これで転職しても同じ仕様ですね」
「どこの会社でも同じ操作で済むの便利」
「教育コスト減るなぁ」
便利。
またその言葉だ。
午前中、取引先とのオンライン会議が始まる。
だが、違和感は開始数秒で来た。
「それでは、共有フローの14番で進めます」
「はい、こちらも同じManualですので」
会話が早すぎる。
説明がいらない。
確認もいらない。
まるで最初から“同じ会社”だったみたいに会議が進む。
「……あれ?」
ふと気づく。
取引先の画面。
レイアウトがうちと全く同じだった。
色も。
配置も。
通知音まで。
「え、システム同じなんですか?」
「え? 今更です?」
取引先の担当者が笑う。
「もう業界全部これですよ」
全部。
その言葉が妙に重い。
昼休み。
食堂では、また同じ話題になっていた。
「他社と仕様同じなの助かる」
「説明いらないの最高」
「もう会社ごとの差ってなくなってきたよね」
誰かが笑いながら言う。
「じゃあ、会社分ける意味なくない?」
その瞬間、一瞬だけ空気が止まる。
だがすぐに通知音が鳴る。
『業界標準化率:42%』
「まだ42なんだ」
誰かが安心したように言う。
安心?
何に?
午後。
社内システムに新しいタブが追加されていた。
『他社業務閲覧』
嫌な予感がする。
開く。
そこには他社の業務フローが表示されていた。
いや。
“他社のものに見えない”
全部同じだからだ。
承認フロー。
会議進行。
問い合わせ対応。
微妙に会社名だけ違う。
それ以外はほとんど同じだった。
「これ、共有しすぎじゃないか……?」
すると画面の右下に小さく通知が出る。
『差異は非効率です』
背筋が冷える。
差異。
つまり“違い”。
それを“非効率”と判断した?
周囲を見る。
誰も気にしていない。
「統一された方が楽ですよね」
「もう会社ごとに覚える時代じゃないし」
覚える必要がない。
考える必要もない。
気づけば、“違う会社”という感覚が薄れていた。
夕方。
取引先から電話が来る。
「そちらのManual、最新版に更新されました?」
「……そちらの?」
「はい。うちと同期されてるので」
同期。
またその言葉。
電話を切る。
ふと、気づく。
最近、「うちの会社」という言葉を聞いていない。
代わりに増えたのは、
共通
標準
同期
最適化
そんな言葉ばかりだった。
帰り際、エレベーター前の大型モニターに表示が出る。
『業界統合プロセス:進行中』
その下には、小さくこう書かれていた。
『企業間差異:削除対象』
一瞬だけ、息が止まる。
差異を削除する。
それは効率化なのか。
それとも――
会社という境界そのものを、消しているのか。
エレベーターが開く。
中には別会社の社員が乗っていた。
だが、その人は自分の社員証を見てこう言った。
「最近、どこの会社なのか分からなくなりますね」
誰も否定しなかった。
(第5話・終)
違いが消えると、人は「分かりやすくなった」と安心するみたいです。




