大賢者の失敗
大陸冒険者ギルド連盟、緊急最高幹部会議。
重厚な円卓を囲むのは、各国のギルド支部長と、その背後に控える軍事顧問たちだ。皆一様に、伝説上の怪物でも見るかのような目で、円卓の末席に座る一人の青年――リアムを注視していた。
(……よし、空気は十分に温まっておる。あとはこの『劇物』を、さも魅力的な果実であるかのように各国の喉元へ押し込むだけじゃ)
ギルドマスター・ムドーは、冷や汗で湿った掌を膝で拭った。
彼の視線は、リアムのすぐ後ろで、怪しげな色の液体が詰まったフラスコを揺らしているアクアに止まる。
かつてアクアは、ムドーの忠実な協力者であった。リアムを「救世主」に仕立て上げるための薬を調合し、プロパティを操作し、ムドーの望むままに「虚像」を塗り固めてきた。
だが、今の彼女は違う。
(……このマッドサイエンティストめ。今やワシの命令など耳にも貸さん。彼女にとっては、調合の実験台が誰であろうと、その過程で『未知の反応』が見られればそれでいいのじゃ。今はリアムという究極の検体を見つけ、その快感に酔いしれておるだけ。……加担する相手など、彼女の気分次第。実に恐ろしい女じゃ……)
ムドーは内心で毒づいた。アクアは、リアムがもたらすカオスそのものを愛し始めていた。彼女にとってムドーの野心など、今や顕微鏡の隅に映るゴミ程度の価値しかないのだ。
「……さて、リアム。お主の今後について、連合側から提案がある」
ムドーの声が静まり返った会議室に響く。
リアムは、その瞬間、心の中でガッツポーズを決めていた。
(……キタ! ムドーさん、いよいよだね! 「お前はもうクビだ、遠くの支部に飛ばしてやる」って言ってくれるんだよね!?)
リアムは緊張のあまり、顔面は蒼白、指先は小刻みに震えていた。
その「震え」を見た各国の幹部たちは、一斉に身構えた。
(……見ろ、あのリアムの指先を。今にも魔法を放とうとしているのか?)
(いや、違う。我々の『出向』という提案が、彼のプライドを傷つけたのか。……殺される! 今ここで、この建物ごと消されるぞ!)
リアムは絞り出すような声で言った。
「……どこでも、いいです。……あ、あはは……。……なるべく、遠くがいいな。……誰も僕を知らないような、静かな場所なら……どこへでも行きます……」
リアムの意図は「左遷・隠居・逃亡」の三連コンボであった。
しかし、アクアはその言葉を聞き、慈愛に満ちた(歪んだ)微笑みを浮かべた。彼女は手にしたフラスコの栓を抜き、微かな、しかし抗いがたい芳香を会議室に漂わせる。
「……お聞きになりましたか、皆様。リアム様は『どこであっても、私の支配に例外はない』と仰っているのですよ」
アクアの声が、甘い毒のように幹部たちの耳に侵入する。
「……ムドー様、そんなに怯えないで。リアム様が『遠くへ行く』と仰ったのは、今この瞬間から、この大陸の果てまでを自分の庭にするという、宣戦布告に他なりません。……ふふ、素敵。そのための『広域服従薬』なら、もう試作が終わっていますわ」
「な……ッ!? アクア、何を勝手な通訳を――」
ムドーが立ち上がろうとした瞬間、リリーの魔導書が音もなく開き、会議室の床から漆黒の茨がムドーの椅子を拘束した。
「ムドー。貴方の役割は『リアム様の覇道』を事務的に処理することだけよ」
イブが冷徹な瞳で、指先に小さな、しかし太陽のような熱量を持つ火球を灯す。
「……リアム様をバラ売りしようだなんて、身の程を知りなさい。彼を共有するのではない。世界が彼に供出されるの。……わかったら、今すぐその震えている連中に、『徴収の準備』をさせなさい」
「……ひっ……」
会議室に並んだ各国の重鎮たちは、もはや蛇に睨まれた蛙であった。
アクアが焚き始めた謎の香香のせいで、彼らの思考は恐怖と「リアムへの奇妙な敬服」に塗り替えられていく。
「……あ、ああ……そうか。我々は、管理しようとしていたのではない。……お迎えし、跪くための準備をしていたのだ……!」
一人の支部長が、トランス状態で立ち上がり、リアムに向かって深く膝をついた。それに続くように、次々と他国の代表たちが椅子を蹴って跪く。
リアムは、目の前で次々と土下座を始める偉い人たちを見て、思考が停止した。
(……え? 遠くに飛ばしてくれるんじゃないの? なんでみんな泣きながら拝んでるの? ムドーさん、助けて! 怖いよ!)
助けを求めてムドーを見たが、ムドーはすでに、アクアが肩に置いた手のひらから伝わる「微細な痺れ(警告)」に、魂を削られていた。
「……ホッホッホ……。……そうじゃな。……決まり、じゃな」
ムドーは、枯れ果てた声で宣言した。
「……今日を以て、大陸全ての冒険者ギルドは解体・再編される。……唯一絶対の頂点、リアム総帥を戴く『大陸統一ギルド』……。……これより、全国家の軍事権は、実質的にリアム殿の管理下に置かれるものとする……」
「「「リアム総帥、万歳!!!」」」
会議室に響き渡る、狂気じみた歓声。
リアムは「……管理下……? 僕が……? 休みは……? 僕のバカンスはどこ……?」と、虚空を見つめて呟いた。
その横で、アクアは満足げに新しい薬瓶を手に取っていた。
「……さあ、リアム様。世界中から届く『供物』という名の検体が山ほど増えますわ。……お疲れの貴方には、この特製の『強制覚醒剤』を。……眠る暇なんて、もう一秒も差し上げませんことよ?」
ムドーは、自分の手で作り上げた「救世主」が、アクアという制御不能な助手の手によって「大陸の絶対者」へと昇華し、同時に自分を「死ぬまで終わらない残業」へと叩き落としたことを悟り、静かに意識を飛ばした。




