6-09.ウヅキ・ニートナル
泥縄的経営の沼に首までどっぷりのハヅキ領だが、もがくしか手がないのも事実である。
迷宮問題は魔物狩り組合の組合長ウェンレイトンさんとヨス傭兵団に放り投げ、俺は水問題への対策のため蒸留器の調達しに伯都ツェルマットに訪れた形をとった。
普段、転移門で拠点間をひょいひょい移動しているのだけれど、表向きの出入りの記録とのつじつま合わせも必要なのよ。
入市の連絡が上に行ったのか、師父を通じて伯爵様直々の呼び出しがかかった。
「師父、嫌な予感しかしないのですが」
「私も最近のおまえの活躍を耳にしていた。伯爵様も本気になったのではないかと思うぞ?」
俺、なにかしちゃいましたっけ?
なんて無自覚・無責任な鈍感系主人公ではないモブの俺としては、あの件かそれともあの件か、なんて思い当たるふしがあったりするわけで。
「自由な立場を邪魔されるのは困るのですが……」
「ともあれ、名指しの呼び出しだからな。明日には御前に出ざるをえまい」
「俺は伯の臣下じゃないのに」
「だが、私の、ニートナルの名を持つ一門である」
それは十七歳の夏の日の、汗をかく日のことでした。
なんて、現実逃避していてもはじまらない。
ツェルマットの拠点、ニートナル魔術師学園敷地内のパーティ・ホームで寝起きするヒル子とミルディーフ、ついでにお産のために滞在しているフィルも交えた拡大家族会議で善後策を求めるも、現実は非情である。
「いいかげん仕官しろって話じゃないの?」
「ん」
まあそうねえ。
俺も家族を持った身として思うところはあるよ?
けどさあ、ツェルマット伯に仕えてしまうと、ハヅキのサポートできないじゃん。
「ウヅキ君たちの価値観についてはいまさらなのでとやかく言いませんが、正面切って召集拒否なんてしたら、それこそネイトナル様にもご迷惑がかかりますよ」
「それなあ」
自由民という例外はあるものの、基本的に領民は領主の私物である。
守ってやるから税払え、税を払ってるんだから守りやがれという、領主と領民との熱い関係がそのベースにある。
伯都ツェルマットの市街は当然にツェルマット伯の庇護下にあり、それはつまり、ツェルマットの市街に生きているだけで伯のご温情の下にいる守っている、守られていると解釈されるのだ。
守り守られ関係を拒否するならば、我が身は我がで守れという話になる。
ここで困るのが、我が身とは俺個人にとどまらず関係者一同を含むということで、俺と嫁たちだけでなく、師父や弟君の両ニートナル家全体にまで波及する。
俺自身がニートナルの一門として、家単位でとらえられるのだ。
翌日、師父とともに登城した俺は、待合室でくつろぐ間もなく執務室に通され、前置きなしで諮問を受けた。
……仕官云々ではなく、教会総本山の航空巡洋艦と、ヤマトゥーン家が入手した熱気球についての質問である。
「私が王都滞在の折に見かけた航空巡洋艦につきましては、全長150メートルはあったかと思います」
着陸係留されている際の遠景で、対象物との比較で割り出したものだから、そうずれてはいないはず。
ハヅキ曰くだと、例のヒンデンブルグ号もそれくらいのサイズなので、あるいは転生者の知恵なんてものが背後にあるのかもしれない。
総本山の勇者一行パーティおよびサポート人員が乗り込んで動かすうえで、それだけのサイズが求められたのかもしれない。
デカければデカいほうが、構造体の重量増加を上回って浮力を生み出す体積は増えるからな。
史実のヒンデンブルグ号だと乗員乗客合わせて百人近くが乗れたうえに、六十トン近い貨物を運べたそうだ。
俺の前世で飛行船といえば特殊用途かロマンだが、さすがに一時は空の王者として君臨し、爆撃任務も担っただけのことはある。
「単刀直入に問う。造れないか?」
「私には無理です」
理由を挙げると、素材不明、構造不明、なにより肝心の浮力を生み出すガスが不明ときたもんだ。
ヒンデンブルグるには水素を集めればいいが、集めた水素を閉じ込めておく容器、袋が作れない。
容器の問題を何とかしても、結局ヒンデンブルグるんでは世話がない。
「つまり、空気よりも軽ければ軽いほど浮き上がる力は強くなります。ここで、空気の割合を酸素分子二に対し窒素分子八と置きます。すると、酸素原子の原子量は十六なので分子量は三十二となり、また窒素も同様に原子量十四で分子量二十八より、空気としての分子量は二十八・八と導けます」
「むう……」
ツェルマット伯爵家当主トト様以下、執務室の面々はわかったようなわからないような顔をしてなさる。
けむに巻くための解説という側面もあるが、嘘は言っていないよ。
原子量や分子量だって、化学系の本に載ってたもん。
つうかアボガドロの法則が伝わっていないところがこう、片手落ちというかもやっとするところではあるのだけれど、いろいろ失伝しているのは明白なのでなんとも。
錬金術師の名の由来を鑑みるに、絶対原子炉こさえてるもん。
おそらくは世界の始まりのときに召喚された集団転移者たちだと思うけど、当時は機材なんかも一緒に持ち込めたのだろうか。
知識はあっても再現しようがない。
俺たち程度のうろ覚え知識でさえ、現実の前には歯が立たない。
世界の始まりから千年以上経過した現在、一部技術や文化を除いておおむね中世レベルに落ち着いているのは、そうなる理由があったということだ。
むしろ、日常生活に何の役にも立たない原子量だ分子量だが残っていることをほめるべきなのかもしれない。
「分子量二十八・八以下の気体で、比較的手に入れやすいものが水素ですが、これは先ほど述べたように集めておくことができません」
「むう……」
アンモニアは毒。
水素は爆発。爆発といえばメタンも空気より軽かったかな。爆発オチになる未来絵図しか見えないが。
「教会総本山が、壮絶なる技術を有することの証左なのでしょう」
「聞けば聞くほどに、航空巡洋艦とはデモンストレーションなのだな。単に空に浮かぶだけでも度肝を抜かれるというのに」
俺の知らないファンタジー素材やファンタジー魔法なんかのブーストがなければ、基本的にはヒンデンブルグと同様のシロモノだと思うんだ。
つまりはいずれヒンデンブルグるだろうな、と。
ヒンデンブルグらなかったなら、その時は教会総本山がヘリウム泉を押さえていると思おう。
しかし、とトト様は目を細めた。
「ヤマトゥーン家では空に浮かぶ熱気球なるものを運用していると聞く。その陰に、そなたの存在もあったと、報告を受けている」
「熱気球ですか?」
俺は許しを得て紙をもらい、ささっとスケッチを仕上げた。
丸描いて線引いてゴンドラーすればいいだけだから手間はない。脇に、使った布の量もメモしておく。
「@!」
俺のメモを渡されたトト様は、発音できない不可思議な音を立てて目を見開いた。
目が乾くぞってくらい、瞬きもせずにメモをにらんでいる。
「……この、布の量というのは」
「ヤマトゥーン家では、泣きながら用意してくださいました」
「そりゃ泣くわ」
トト様、素が出てますよ。
原理を説明せよと命ぜられたので、例によって焚火で、あっためられた空気はかざした手のひらに当たって上昇しますよねから、あったかい空気は冷たい空気より軽いんだに持ち込み、だから、あったかい空気を集めれば浮くと落とし込む。
「それだけのために、……この布の量か」
「原理は単純ですが、空気の冷熱差で生じる浮力は微々たるものですので、これだけの量を集めないと、装置全体が持ち上がらないのです」
「単純だが難しいとは、こういうことか」
呆けたように椅子に沈み込んだので、これで終わりかなーと思いきや、最後に爆弾が降ってきた。
「ウヅキ・ニートナル。そなたを我が騎士ニートナルの養子として認める。またニートナル家を一代騎士爵改め、永代の騎士として遇する。ネイトナルもそれでよいな?」
「私としては望外なのですが……」
「ちょっと」
「ああん?」
うわ、メンチ切ってきたよおっさん。
中世貴族って、ヤクザだなあ。いつでも殺せると思わなきゃ、ビビッて屈しちゃうよこんなん。
「……俺、ウヅキ・ニートナルはハヅキ領にて職を得ております。俺本人の意思なくツェルマットの臣に下そうというのであれば、ハヅキ領とツェルマット領との間の戦争となるでしょう」
「ふかすな小僧」
「そして戦争となれば、俺自身当事者として御身はじめとするツェルマット家の御一同、そうですね、手始めにはお隣の怖い顔でにらんでる人とか、あっちの戸棚の裏手にいる人たちとか、そのへんひとまとめにしてお相手せざるをえません」
あってよかった魔力感知。
部屋の前はもちろん、隠しにまで人が配置されてるんだから、偉い人ってのも大変だなあ。
「……脅しにもならん」
「お互いに、そうですね」
単に、殺すだけなら簡単なのだ。
ただなあ、どこまでやるのかとなると、これが難しい。ツェルマット全土を灰と化すまでやる羽目になる可能性だってあるとなれば、踏ん切りってのはなかなかつけられるもんじゃない。
師父はじめ関係者を逃がすにしても、後の生活の保障で頭が痛い。
不毛なにらめっこは、師父の渋い声で破られた。
「ウヅキの師として、また、ツェルマット伯に仕える者として申し上げます」
「なんだ」
師父は、この馬鹿な小僧をどうにかしろとでも言いたげな目線を向けられた。伯の臣下として、不肖の弟子の俺を説得する立場でもあらせられる。
いかに反論するかを脳裏に巡らしていた俺の耳に、予想外の文言が飛び込んできた。
「おそらくウヅキは、城中の者を皆殺しにするくらいは簡単だと、そう考えているはずです」
「はあ、ありえんだろ?」
「いえ、簡単ではないですよ?」
突然の師父の物言いに、俺とトト様は揃って声を上げ、お互いに認識が違いすぎることを改めて確認してしまった。
「……できる、というのか?」
「そりゃまあ、城ごと壊すだけならなんとか? ただ、全員殺すというのは結構面倒ですよ?」
ツェルマット伯トトは、深く、深く椅子にのめりこんだ。
「お前を臣下にするというだけで、そこまでのことを考慮せねばならんのか?」
「他家の人員を勝手に臣下にしようっていうんです。当然のことでしょう?」
「他家といっても……ああ、ハヅキとやらもおまえの関係者なのだったな」
何ですその目。傷ついちゃうわ。
「ヤマちゃんが手を出していない、臣下にしてないわけを深く考えるべきであったか」
「ヤマちゃんって……」
中世貴族クオリテイでは、力は正義である。
力なき者は力ある者の庇護下に入り、守ってもらわなければならない。
力ある者だけが我を通すことを許された世で、では、力を認め合った者たちはどういう関係になるでしょう。
「両属ってことでどうよ」
「落としどころですかねえ」
「なら固めの盃だ!」
やっぱりヤクザ家業じゃん……。
師父のニートナル騎士家は、一代騎士から永代の騎士家へとなり、ここに伯都ツェルマットに隣接した領地を持ち、ニートナル魔術師学園を家業とする騎士家が正式に誕生した。
この数年も事実上はその扱いであったのだが、師父には世継ぎがないために、養子縁組必須案件として宙ぶらりんであったのだ。
ツェルマット伯としても始めたばかりの肝入り事業に、旧来の利権問題を抱えた家臣から養子を送ることはイヤだったらしい。
「家臣なんてよぉ、ワガママなもんだぜ」
「急に愚痴っぽくなったぞ、このおっさん」
「そこは胸襟をひらいたっつうんだよ、お世辞でも」
「えー、お世辞でござるかあ」
でもって、いろんな噂になるくらいには俺の武勇伝も耳に入っていたようで、抱え込みたい人材ではある、と。
「大体がだな、ネイトナルもお前に継がすつもりでいたんだぞ。そこんとこ汲んで素直にウチに仕えてりゃいいものをよぉ」
「むう」
しかし、すでにハヅキの臣であれば(臣とは言っていない)筋が通らないのも事実。
無理を通すのは力だが、無理押ししてもメリットがない。なんせ得るべき俺が最大の敵になってしまうのだから。
ここで、俺たちにとって、あえてツェルマット伯と敵対する理由はない。
同様に、ツェルマット伯にとってもわざわざ俺たちと敵対する必要がない。
「ならもう両属でいいから、敵にはまわるなって言うしかねぇじゃねーかよー」
「ちょ、おっさん酒臭い」
かくして俺は、ハヅキの騎士(騎士とは言っていない)にしてニートナル騎士家の跡継ぎ養子の騎士ということになった。
腫物に触るような周囲の視線とか、酒臭いおっさんに絡まれての騎士叙勲とか。
なんだかんだと城に長居する羽目になり、みんな心配してるかなと家に帰ったらそれどころではなくなっていた。
「う、うまれるぅ」
【メモ】
原子量と分子量
・原子の質量を、炭素原子の質量を12とし、これを基準に他の原子の質量を比で求めたものが原子量
・分子の質量は、その分子をつくっている原子の原子量の総和で求められ、この値を分子量と呼ぶ
・原子量 H=1、C=12、N=14、O=16 として
・水素分子H2の分子量:1×2=2
・窒素分子N2の分子量:14×2=28
・酸素分子O2の分子量:16×2=32
・水H2Oの分子量:1+1+16=18 ※ただし常温で液体
・アンモニアNH3の分子量:14+1+1+1=17
・二酸化炭素CO2の分子量:12+16+16=44
アボガドロの法則
気体の種類によらず、同じ体積の気体の中には、同じ個数の分子が含まれている




