第6話 研究者の昼食事情
保存魔導具の研究を始めてから、三日が過ぎた。
リリアの研究室には、すでにいくつもの試作品が並んでいる。
魔力消費を抑えるために内部構造を変えたもの。
外気の影響を減らすため、容器を二重構造にしたもの。
温度の変化を感知して、必要なときだけ冷却する魔導回路を組み込んだもの。
どれも決定的な成果には至っていない。
けれど、以前の装置より魔石の消費量が減るものもあった。
「もう少し……あと少しだけ、魔力の流れを変えれば……」
リリアは設計図を睨みながら、何度目か分からない修正を加えていた。
朝食をとって研究室へ来てから、どれほど時間が経っただろう。
窓の外から差し込む陽射しが、いつの間にか高くなっている。
それにも気づかないまま、リリアは試作品へ魔石を接続した。
淡い青白い光が回路を走り、測定器の針がゆっくり動く。
「……消費量が、また少し下がった」
思わず顔がほころんだ。
失敗続きだった研究が、ほんのわずかでも前へ進む。
その感覚が嬉しくて、リリアはもう一度計算を始めた。
だから、研究室の扉が開いたことにも気づかなかった。
「リリア、昼食の時間だけど――」
女性の声に、ようやく顔を上げる。
そこには、資料を抱えたミレーネ・ヴァイスが立っていた。
ミレーネは部署こそ違うが意見交換をしているうちに仲良くなった研究員。
初対面のとき、いきなりエーヴァルト殿下との関係を聞かれたときは驚いた。
「……昼食?」
「うん。食堂行かないの?」
リリアは窓の外を見た。
太陽はすでに、昼の位置まで昇っている。
「あ……」
完全に忘れていた。
「やっぱり。あなた、研究を始めると時間を忘れるでしょ」
ミレーネは呆れたように笑った。
「私も研究に夢中になることはあるけど、食事まで忘れたことはないよ(お腹も鳴るし)。昨日もノアに『食べないと倒れるぞ』って言われてたでしょ?」
「そうでした……」
「だったら今日は一緒に行きましょ。食堂の日替わりは鶏肉の煮込みらしいよ」
「……それは、少し気になります」
ミレーネに促され、リリアが立ち上がった、そのときだった。
廊下の向こうが、なぜか騒がしくなった。
「また殿下が来たぞ」
「今度は昼間か?」
「研究院に用事でもあるのか?」
そんな声が聞こえてくる。
リリアが不思議そうに廊下へ顔を出すと、濃紺の上着をまとったエーヴァルトが、こちらへ歩いてくるところだった。
その隣には、当然リヒャルトもいる。
エーヴァルトはリリアを見つけると、わずかに歩みを速めた。
「昼食はとったか?」
「……まだです」
「やはりか」
エーヴァルトは持っていた包みをリリアに差し出す。
「あ、ありがとうございます」
素直に受け取るリリア。
リヒャルトはエーヴァルトのわずかな笑顔ともとれる表情に、嬉しさ半分、呆れ半分でツッコミをいれる。
「殿下、そのためにわざわざ王宮から昼食をお持ちになったのですか?」
「彼女が食事を抜くよりはいい」
「その理屈で毎日研究院へ通われては、私の仕事が増えるのですが」
「お前の仕事だろう」
「殿下のお世話が私の仕事であることは否定しません。しかし、殿下が『昼食を届けに行く』と言い出すたびに執務予定を組み直すのは、別の話です」
リリアは思わず目を瞬かせた。
「……殿下は、本当に面倒見がいいんですね」
「そういうわけでは……」
エーヴァルトが言葉を濁す。
リヒャルトは何かを察したように、わずかに視線を逸らした。
ミレーネだけは、二人のやり取りを見ながら小さく笑っている。
「リリアさん。殿下が面倒見がいいというより、あなたのことを――」
「ミレーネさん」
リヒャルトが静かに制した。
「あら、失礼しました」
ミレーネは楽しそうに口元を隠した。
リリアだけが首を傾げている。
エーヴァルトはそんな彼女を見つめ、それから包みに目を移す。
「食べてから研究を続けるといい」
「ありがとうございます。ですが、今日は食べに行こうと思っていました。ミレーネさんも誘ってくれて……」
「それなら、一緒に食堂で食べよう」
ミレーネはぐいっとリリアの腕を組む。
「リリアは区切りがつくまでと言いつつ、いつまで経っても食事をとらないからな。そのときは君に任せる」
「かしこまりました、殿下!」
「そ、そんなこと……」
エーヴァルトの頼みにミレーネは気持ちよく返答をする。
「……殿下、よく分かっていらっしゃいますね」
「数日見ていれば分かる」
エーヴァルトは何気なく答えた。
「彼女は朝食はパンを一つとスープ。昼食を抜くことが多く、夕食は研究が納得いく結果が出るまで食べない。食事量も多くない」
「そこまで把握されているんですか?」
ミレーネが思わず尋ねる。
「健康管理に必要な情報だ」
「なるほど」
ミレーネはにっこり笑うが、リヒャルトは怪訝な表情をする。
「健康管理、ですか」
「……何か?」
「いいえ。とても熱心な健康管理だと思っただけです」
リヒャルトが咳払いをした。
「ミレーネ研究員、その辺りでお願いします。殿下は本気で『健康管理』だと思っていらっしゃいますので」
「ええ、分かっています」
「お前たちは何を話している?」
「何でもありません」
二人の返事が妙に揃った。
リリアはますます分からない。
けれど、包みから漂ってくる香りには勝てなかった。
「こちら、いただきます」
「ああ」
リリアの表情を見て、エーヴァルトはようやく安心したように頷いた。
その様子を見て、リリアはふと笑う。
「殿下は、本当に研究院がお好きなんですね」
「……」
エーヴァルトの動きが止まった。
「研究の様子を見に来られたり、私の食事まで気にしてくださったりしますから」
「それは――」
違う。
そう言いかけて、エーヴァルトは口を閉じた。
研究院が好きだから来ているわけではない。
ここに、彼女がいるから来ている。
けれど、それを今ここで口にする理由も、まだ見つからなかった。
「……研究院には、優秀な研究者が多いからな」
「そうですよね」
リリアは素直に頷いた。
「私も、ここへ来られて本当によかったと思っています」
その笑顔を見て、エーヴァルトは何も言えなくなる。
リヒャルトはそんな主を横目で見て、心の中で静かに嘆息した。
(殿下、その説明では、誰も納得しませんよ)
◇
昼食を終えると、リリアは再び研究へ戻った。
ミレーネも自分の研究室へ戻り、廊下の向こうではノアが別の研究員と魔導回路について議論している。
「ノアさん」
「ん?」
呼び止めると、ノアが振り返った。
「保存魔導具について、少し相談したいことがあるんです」
「もちろんだ」
ノアは開発部の補助研究員ということもあり、積極的にリリアの相談に乗ってくれる。
「魔石の消費を抑えるなら、回路だけじゃなくて熱の逃げ方そのものを考えたほうがいい」
「やっぱり、そう思いますか?」
「ああ。ただ、俺ならそこから先は専門外だ。素材ならミレーネのほうが詳しい」
「では、あとでミレーネさんにも相談してみます」
「それがいい。研究院には変なやつも多いけど、使える知識は山ほどあるからな」
ノアが笑う。
リリアもつられて笑った。
ここには、自分の研究を面白がってくれる人がいる。
失敗すれば一緒に悩み、行き詰まれば別の視点をくれる仲間がいる。
そして、研究に夢中になりすぎれば、食事まで届けに来る王子までいる。
こんな毎日が、ずっと続けばいい。
そんなことを思いながら、リリアは再び設計図へ向き直った。
その日の午後。
新しい試作品に魔石を接続すると、測定器の針がこれまでとは違う動きを見せた。
「……え?」
リリアは思わず身を乗り出した。
魔力消費量が、明らかに下がっている。
まだ一度の測定だけでは成功とは言えない。
それでも。
「これなら……」
胸の奥に、小さな確信が灯った。
新型の保存魔導具は、もう夢ではないところまできている。
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