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第3話 クラウゼル王立魔導技術研究院

 王都アルディア。

 クラウゼル王国の中心であり、政治、文化、経済、そして魔導技術が集まる大都市。


 石畳の大通りには商人や旅人が行き交い、建物はリューゼルより荘厳なものが多かった。

 荷馬車の窓から街並みを眺め、リリアは思わず息を漏らす。


「……大きい」


 隣の王宮文官が穏やかに笑った。


「初めての王都ですか?」

「はい。ベルノアとリューゼルしか知りませんでしたから……」


 視線の先には、丘の上にそびえる白亜の王城がある。

 あそこにエーヴァルトも暮らしている。

 そう思うだけで、自然と背筋が伸びた。


 婚約破棄から、まだ数日。

 それなのに、人生がまるで別の物語へ移ったような気がする。


「見えてきました」


 文官の声に顔を上げる。

 王城の近く、白い石壁に囲まれた広大な敷地に、重厚な建物が並んでいた。

 何棟もの研究棟を渡り廊下がつなぎ、中央には大きな時計塔。庭では白衣姿の研究者たちが資料を片手に議論している。


「こちらが、クラウゼル王立魔導技術研究院です」


 リリアは思わず息を呑んだ。

 研究者なら誰もが憧れる、王国最高峰の研究機関。


 その門前で――。


「ようこそ」


 聞き覚えのある低い声が響いた。

 濃紺の上着をまとったエーヴァルトが立っている。


「殿下……?」

「長旅、ご苦労だった」

「い、いえ……」


 慌てて頭を下げるリリア。

 まさか第一王子自ら迎えに来るとは思わなかった。


「本来なら院長が迎えるところだが、今日は私が来た」

「え……」


 理由を尋ねる前に、エーヴァルトがリリアの革鞄へ手を伸ばす。


「荷物を貸してくれ」

「だ、大丈夫です! 研究資料も入っていますし、私が持ちます」

「問題ない」


 エーヴァルトは鞄を受け取りながら答えた。


「……え?」


 あまりに自然な動作で、鞄は王子の手へ移っていた。

 周囲の衛兵や職員が目を丸くする。


「……殿下自ら?」

「荷物を持ってる……?」

「彼女が噂の研究員か」


 ざわめきが広がり、リリアの顔が熱くなる。


「あの、本当に私が持ちます!」

「構わない」

「でも……」

「君は周りを見ているといい。これから働く場所だ」


 エーヴァルトは前を向いたまま続ける。


「研究者なら、まず研究院をよく見ておくべきだろう」


 その言葉に、リリアは口を閉じた。

 優しさを見せたいのではない。

 新しい環境を知り、研究に集中してほしい。

 そう考えているのだと理解した。


 気付けば、リリアの口元には小さな笑みが浮かんでいた。

 その横顔を見て、エーヴァルトの目元もほんのわずかに和らぐ。

 後ろを歩く側近リヒャルトだけが、その変化に気づいていた。


(殿下。そんな特別扱いをされていると、周りに勘繰られますよ)


 そんなことを思いながら、リヒャルトは苦笑をこらえる。


「……あの、殿下」

「どうした」

「その鞄は……」

「この程度重くはない」

「いえ、そうではなくて……」


 思わず苦笑する。


「第一王子殿下に持っていただくようなものではありません」

「そうか」


 短く答えたものの、エーヴァルトは鞄を返さない。

 リヒャルトは心の中で頭を抱えた。


(殿下、そういう問題ではありません。第一王子が研究者の荷物を持って歩いていること自体が大問題なのです)


 研究院の職員たちも遠巻きに二人を見ていた。


「殿下が直々に迎えた研究員って、誰だ?」

「見たことがないな」

「一体、何者なんだ?」


 そんな声が広がっていく。

 だが、当のエーヴァルトは気にする様子もない。

 リヒャルトには分かっていた。

 エーヴァルトは興味のない相手には必要最低限しか話さない。

 しかし、一度「必要だ」と認めた相手には驚くほど世話を焼く。

 昔から変わらない癖だった。

 そして今、リリアはその対象。

 一方、本人はそんなことなど知る由もない。


「……すごい」


 リリアの視線は研究院へ釘付けだった。


 窓越しに見える実験設備。

 研究棟をつなぐ渡り廊下。

 熱心に議論する研究者たち。


「気に入ったか」


 エーヴァルトが尋ねる。


「はい!」


 即答だった。

 その返事に、エーヴァルトはわずかに口元を緩める。


「それはよかった」


 リヒャルトは思わず空を仰いだ。


 笑った、しかも自然に。

 王城の侍従たちが見たら卒倒するだろう。


 正門をくぐると、金属を削る音や装置の駆動音、研究者たちの議論が聞こえてきた。

 リリアは思わず足を止める。


「……研究の音」

「音?」

「……変ですよね」

「いや」


 エーヴァルトは首を横に振った。


「私には分からない感覚だ。だが、ここへ来た研究者は皆、同じような顔をする」

「殿下は、よく研究院へいらっしゃるのですか?」

「時間があるときは」


 エーヴァルトは研究棟を見渡す。


「研究は国を支える。現場を知らずに、支援はできない」

「素敵なお考えですね」


 リリアが微笑むと、エーヴァルトはわずかに目を瞬かせた。


「……そう言われたのは初めてだ」

「え?」

「研究院へ来ることを、変わっていると言われることはあった」

「変だなんて思いません」


 リリアはきっぱり答えた。


「研究者だけでは国を良くできません。支えてくださる方がいるから研究できます。研究院へ来てくださるのは、とてもありがたいことです」


 エーヴァルトは黙ってリリアを見つめた。

 その表情が、ほんの少しだけ和らぐ。

 リヒャルトは内心でため息をついた。


 ――これは相当ですね。


 やがて一行は中央棟へ到着した。

 吹き抜けの広間には、王国各地の魔導具が展示されている。

 さらに案内板には、


『開発部』

『魔導回路研究部』

『動力機構研究部』

『素材開発研究部』


 そのほかにも共同試作工房、魔石解析室、性能評価棟などが並んでいた。


「……全部、ある」


 リリアは感嘆する。

 リューゼルの研究所も設備は揃っていたが、軍事関係に偏重していた。

 ここなら、研究に必要なものがすべて揃っている。


「君なら、ここを気に入ると思っていた」

「ありがとうございます!」


 リリアは満面の笑みを浮かべた。


「こんな場所で研究できるなんて、まだ夢みたいです」


 その笑顔を見て、エーヴァルトは小さく息を吐く。


「……そうか」


 リヒャルトは確信した。


(殿下は、この笑顔が見たかったのですね)


 だから自ら迎えに来て、荷物を持ち、研究院を案内している。


 すべては、リリアが心から笑える場所へ連れてくるためだ。

 もちろん、本人だけは気づいていない。

 研究院を歩きながら、リリアは以前から気になっていたことを尋ねた。


「あの……殿下は、とても研究院にお詳しいのですね」


 建物の配置から各研究室の役割、設備の特徴まで、まるで長年働いているかのように把握している。

 エーヴァルトは少し考えてから答えた。


「詳しいわけではない」

「え?」

「君が来ると決まってから覚えた」

「……私のために、ですか?」

「ああ」


 あまりに自然な返事だった。


「せっかく王都へ来るのだ。研究に集中できる環境を、私の言葉で説明したほうが安心するだろうと思った」


 リリアは目を丸くする。


「でも、お忙しいでしょうに……」

「時間は作った」


 それだけだった。

 だがリヒャルトは知っている。

 エーヴァルトは三日前から執務の合間に研究院の図面を読み込み、昨日も現地を訪れていた。

 設備担当者へ質問し、研究棟を一つずつ確認していたのだ。

 すべては目の前の研究者のため。

 それでも本人は特別なことをしたつもりがない。


「ありがとうございます」


 リリアは自然に微笑む。


「そこまでしていただけるなんて、思ってもいませんでした」

「気にすることはない」


 エーヴァルトは静かに答える。


「君には、研究だけに集中してもらえればいい」


 その言葉が、胸に深く響いた。

 エドガーから言われ続けたのは、「成果を出せ」「役に立て」という言葉だった。

 だが、エーヴァルトは研究できる環境そのものを整えてくれる。

 それが、何より嬉しかった。

 やがて一行は研究員宿舎へ到着する。


「こちらが研究員宿舎だ」


 石造りの三階建てで、研究院とは渡り廊下でつながっている。


「夜遅くまで実験する研究者も多い。希望者はここで生活できる」

「研究院の中に住めるんですか……?」


 リリアの目が輝いた。


「実験の途中で部屋へ戻れるなんて、夢みたいです」

「君なら、そう言うと思った」


 二階の部屋へ案内され、扉を開ける。

 窓際には大きな作業机と本棚。

 設計図を広げる十分なスペースがあり、寝台も清潔だった。


「……すごい」


 リューゼルでは食卓で設計図を描き、寝る前に片付けていた。

 ここなら、研究だけに集中できる。


「気に入ったか」


 リリアは振り返り、満面の笑みで頷いた。


「はい! こんな素敵なお部屋、本当にありがとうございます!」


 エーヴァルトは、ごく自然に口元を緩める。


「それならよかった」


 その様子を見て、リヒャルトは小さく苦笑した。


(殿下。その笑顔が見たくて、ここまで準備なさったのでしょう。それでも当の本人だけは、最後まで気づかないのでしょうが……)

読んでいただきありがとうございます!


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今後ともよろしくお願いします。

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